
2015/09/03 下野市

写真1 初見のTさんが友人といっしょにオカボ・陸稲を収穫 2015/09/04 下野市

写真2 籾袋を友人が軽4輪トラックに運ぶ


写真3 8月10日の陸稲 写真1の畑
写真4 8月10日の陸稲 Tさんの2筆目の畑

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今どき珍しいオカボ・陸稲
約60年前、鎌による陸稲手刈りを見た(注1)
時代は変わった、水稲と同じく自脱コンバインによる刈取り、初見
陸稲の立ち毛は、下野市域の里みち・農道歩きを始めた2008年に見撮(弊ブログ2013年08月17日)
陸稲の今昔について当地区の人たちから次のように伺う
1.陸稲はもち米。収穫した陸稲はヤミヤに売る(注2)
2.現在、水稲刈取りコンバインに陸稲が残って販売水稲に混ざっていたら駄目、規格外
コンバインの掃除は大変。したがって農業者は作らない、作るとしても種を入手するのは難しい
3.かつて、夏の畑は①麦間に定植・生長したフクベ稔るユウガオ畑(弊ブログ2015年05月20日・06月06日)、②陸稲稔る畑の二つ
4.陸稲(もち米)政府買取り価格は水稲より安く、栽培農家は激減
5.干瓢つくり農家数は、かつての1/3に減った。つくる人は若くても50歳代、トシヨリがいるから干瓢つくりをできる
6.かつて、畑地灌漑のスプリンクラーが回る畑があった、今はない
注1 故郷、鹿児島市東桜島町で見た
注2 ヤミヤ、懐かしい言葉、米需給を政府が管理していた時代の言葉
執筆・撮影者:有馬洋太郎 撮影日・撮影地:上記