写真1 十九夜様(雨引山延命観世音)の掛軸の前に灯明、白ご飯、線香を供えて拝む。今回、お孫さん誕生の女人講(十九夜講)員から金一封のお布施
写真2 女人講の皆様は参拝を終えると茶話会。参拝、茶話会ともに当番さんの座敷で行なう
写真3 茶話会を終えた女人講の皆様は11体の十九夜塔に参拝。当番の女性がお供え白米を渡す
写真4 女人講の皆様は11の十九夜塔の上に白米を供えた。女性たちの参拝前、2本のワラツト(シモツカレと赤飯を包む。)が供えてある。写真には1本だけ見える
写真5 十九夜塔と庚申塔。埼玉県久喜市八甫
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里みちや農道を歩くと石塔が目に入る
十九夜塔、庚申塔、馬頭観音、道祖神など(例:写真5)
そのたびに、由来、内容などを知りたいと思う
2016年02月06日、初午、石嶋いちご園に伺う
当日、まず伝統郷土料理シモツカレを賞味(弊ブログ2016年02月08日)
さらに、馬頭観音参拝とジュウクヤサマを見聞撮
本日はジュウクヤサマを採り上げる
石嶋いちご園・石嶋家の奥様は「村」の女人講(ジュウクヤサマ)の一つに所属
具体的には町田上(マチダカミ)、中新田(ナカシンデン)の女人講
男性世帯主の奥様あるいは女性世帯主、計11人が講員
ジュウクヤサマは年2回、02月19日、11月19日に行うのが原則
しかし、当番さんの都合で変更できる
本年02月は06日の初午の日、11時から8人が参加
まず、写真1~写真4にみる次第、内容で行なわれた
十九夜塔に供えた白米の残りは、お孫さんが生まれる講員が持ち帰った
次に、参拝(写真4)を終えた8人はレストランでの昼食会へ出発
そもそも、女人講(ジュウクヤサマ)は安産、母子の健康などを祈願する女性の集団
子安講と云う地域もある
かつてのジュウクヤサマは石嶋いちご園の母上によると次のよう
当番さんの家に集まり、十九夜様(雨引山延命観世音)の掛軸の前で祈願
ジュウクヤダンゴを作りいっしょに食べた
ダンゴだけでなく、お昼ごはんも作りいっしょに食べた
妊婦さんはジュウクヤサマの場で挨拶させられた
妊婦さんのいる家が臨時のジュウクヤサマをお願いして行なうこともあった
11の十九夜塔(写真3・写真4)のうち08体の建立年次は次のよう
寛文11年(1671)、寛保03年(1743)、寛政05年(1793)、寛政06年(1794)
寛政10年(1798)、文化01年(1804)、文政07年(1824)、嘉永06年(1853)
すなわち、町田のジュウクヤサマは344年前には行なわれていた
執筆・撮影者:有馬洋太郎
撮影日:2016年02月06日
撮影地:栃木県下野市町田