さよなら三角 また来て四角...日本編☆第二章☆

オーストラリアから10年ぶりに帰国。特別支援教育に携わりながら
市民農園・家庭菜園に励んでいます。

あと半年!

2013年07月22日 18時08分16秒 | Web log
スクールホリデーも今日で終わり、子供たちは明日から学校が再開。
早いもので、4学期中2学期が終わり、あと残り半分。

私のクラスは一日早く今日からスタートしまして、私の看護コースも
12月はじめには終わりますので、実質残り4ヶ月となりました。

早いです。あっという間でした。

スクールホリデー中はあっちこっち飛び回って、ブログを更新する時間が
ありませんでしたが、楽しく過ごしました。

岡本太郎のことを知ってから、日本の縄文時代についてちょっと興味が
あったのですが、上田篤氏の「縄文人に学ぶ」という新書を手に入れまして
読み終えたところです。

どうも、上田氏も太陽の塔で有名な大阪万博で岡本太郎と一緒に仕事をして
縄文に目覚めたということですので不思議な縁を感じます。

上田氏いわく、縄文文化は長い間認知されてこなかった。野蛮な未開の文化
というレッテルを貼られてきたゆえに学問としてまだまだ未知の部分が多い
らしいです。

さて、表面的には男権社会が色濃く見える日本ですが、本質的なところでは
母系社会といわれています。私のだんな(イギリス人)は「日本で家庭の主権を
握っているのは女性だ」とよく言います。そして、甘えの構造を書いた土居健郎氏、
精神分析学者の小比木啓吾氏などの名前をあげ、日本の母性原理は縄文時代から
続いてきたものだと言います。

縄文時代は、母親とその姉妹たちが一緒に生活して子供たちを躾、育てるという
形態をベースとした集団をつくっており、父親は生活をともにせず、通い婚という
形をとって生活していたらしいです。男性が山や海、川での採取、狩猟等で多くの
期間家を空けていたということも関係していたようです。

母親とその姉妹が一緒に生活して子供たちを育てるというのは、オーストラリアの
アボリジニーたちの間でも見られる形なので、縄文人に特異のものではないかと
思いますが。

氏いわく、日本社会あるいは文化の根底にあるものは縄文時代から脈脈と受け継がれて
きたものと思われるというのです。

そのほかにも何故、日本人は旬のものを食べるのか?とか、これも縄文時代に遡っての
仮説が書かれておりました。

それから日本人は非常に平和を好み、争いを好まない国民といわれていますが、
縄文人の人骨等は、弥生人のそれと比べると外傷がほとんどみられないらしく、
縄文人は争うことなく、長い間平和を保って暮らしていたけれども、弥生人が
渡来して以降、部族間あるいは弥生人VS縄文人の争いが激しくなったのではないか
という話とか、正しいか否かは置いといて、興味深いことも書いています。

興味のあるかたは是非お読みください。

ということで私の学校も始まったことだし、頭のほうを看護&メディカルに
切り替えてあと少しガンバります。

読者のことはあまり考えず、自分の考えや思いをまとめるために書いているブログなので
つまらないかとは思いますが、読みにきてくださっている皆さん、
これからもよろしくお願いしま~す。

署名

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