さよなら三角 また来て四角...日本編☆第二章☆

オーストラリアから10年ぶりに帰国。特別支援教育に携わりながら
市民農園・家庭菜園に励んでいます。

山谷えりこ「人生について、父から学んだ大切なこと」

2015年05月05日 17時01分04秒 | Web log
山谷えりこさんは、日本の政治家で、参議院議員。

日本の政治には縁遠く、何も存知あげておりませんでしたけれど、偶然
山谷氏の本をみつけまして、拝読。

まったく政治には関係なく、お父様である山谷慎平さんについての回顧録と
でもいいましょうか、お父様からどのようなことを学んだか、生い立ちも
踏まえてかかれた書物でした。

お父様である山谷慎平氏は、ニッポン放送のパーソナリティを長年勤められた人で
山谷親平のお早ようニッポンとかテレフォン人生相談とか担当なさっておられたようです。

そういえば、テストのためにラジオを聴きながら一夜漬けをしたときの朝に
「山谷親平の...お早うニッポン」と流れてきたのを耳にしたような、かすかな
記憶があります。

この本は、お父様である山谷慎平氏がどんな人であったのか...

どのような生い立ちだったのか、
どのような紆余曲折をたどってパーソナリティーになったのか、
どのような親子関係だったのか、どのような父親であり、どのような職業人であり、どのような
夫だったのかなどが、娘さんの視点から描かれているのですが、大正生まれの山谷氏のダンディズムや
人生哲学などがそこから読み取れます。

当時の日本では、かなり急進的な考え方をなさっておられたのだろうなぁと思わされました。
どちらかといえば、欧米的な考え方に強く影響を受けておられたのではないだろうか
と思わされました。

興味のあるかたは、是非、読んでみていただきたい本です。

読んでいてこんな素晴らしいお父様に育てられたのだから、山谷氏は最高の家族をもって
独立するまでは、きっと幸せな日々を送られたにちがいないと思うわけですが、

とんでもない!

お父様と殴り合いのけんかをして、娘であるえりこさんが、結局家を出て行くことになる
というエピソードがかかれており、お父様と長い間口をきかなかったとありました。

そのときのお父様の言葉「私は娘の復元を信じる」

親子関係というのは....本当に奥深い...。

はたからみたら素晴らしい人物であっても、子供が素直にそれを受け入れるとは限らない。

親子喧嘩だって、客観的にみてどちらが悪いとか、正しいとか、そんなものを超えて
対立してしまうときもあるんだなぁと..思いました。

親と子という関係を超えて、一個の人間同士として向き合うとでもいうのでしょうか。

山谷さんが学生の頃は学生運動が盛んな時期だった、という時代背景もあるのかもしれません。
既存のものをぶっつぶして、新しい社会を!という、既存の価値観を壊したいという衝動が
大きく、時代のあらゆるところに影響を与えていたのかもしれません。

とにもかくにも、この本の根底に流れる、山谷慎平氏の人としての美意識が素晴らしく。

「実りある人生だけが人生ではない。何の成果もないような1日、そして人生にも
意味がある。尊いものなんだ」

泣きたくなるくらい心に染み渡る優しいことばです。

私が中学生の頃...いつも何かに怒っていた。何かにつけて先生に反論していた。
なにもかも気に食わなかった。親身に話を聞いてくれた先生もいたけれども
自分の中のもやもやを吐き出さなければ、どうにもならないというような
得体の知れない感情を抱いていた。

高校生のころにはとても親身になってくれた現代文の先生に「お前が学生運動の
時代に生まれていたら、ゲバ棒もって戦っていただろうなぁ..」と云われるくらいに
とにかく何もかも面白くなくて、批判ばかりしていた。

そんなことを思いだすと、私の血をひくジョナサンとベンジャミンも、一筋縄では
いかないだろうとは、容易に推測できる。

どんなに愛情をもって育てても、反抗するときは反抗するだろうし、
反抗するくらいのエネルギーをもっているならば、それはそれでいいのかも
しれない。

子供が親を越えて大人になっていくというのは、そういうことなのかもしれません。

ふと思ったこと

2015年05月05日 11時50分02秒 | Web log
好きな人、大切な人の幸せを願うことは簡単だけれど

嫌いな人、嫌な事をされた思い出がある人の幸せを願うことは
本当に難しい。本当に本当に難しい。

嫌いな人の幸せを願う必要なんであるのだろうか?
そんなの偽善だ、とも思う。

でも、人の不幸を心のどこかで喜んでいるかのような自分の
存在を感じて、邪悪だなと思う。

嫌いな人に何か好ましくないことが起こったと知って、
冷たい心で「自業自得だ」と、思っている自分がいたりする。

その人が大変だと聞いて「可哀想だな」と同情を寄せることは
あっても、積極的に幸せを願えるだろうか?と思う。

同情は、ある意味自分が優位にたって可哀想がっているわけだから、
簡単なんだ。

***************************************************************

自分の正しさを武器にして、直接であれ間接的であれ相手を
徹底的に批判している自分がいる。

自分が正しいと信じて疑わない心。
正しいのだから相手を批判してもいいと思う心。

自分のちっぽけな正しさはちっぽけなままでしかないのに
全てであるかのように肥大化して「正義」という名を元に
「怒り」のエネルギーは暴走する。

署名

<script src="http://www.shomei.tv/project/blog_parts.php?pid=1655&amp;encoding=euc"></script>