さそりのらびりんす~たわごと~

慢性膵炎持ちのあゆが気ままに書く、たわごと日記です。

ごあいさつ

ようこそ、いらっしゃいました。あゆと申します。
2005年に慢性膵炎を発症いたしました。
闘病記録に日々のあれこれ、趣味のこと。
たわごとに寝言、なんでもありの内容となっております。
時折現れる、さそりの毒にはご注意を。(^_-)-☆

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膵臓に関する記事は、あくまで素人の作った内容です。
間違いが含まれている可能性はありますので、あくまで自己責任ということで情報を利用してください。

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ICU生活~5泊6日~

2007年11月24日 12時26分29秒 | 重症急性膵炎
ERCPによる膵菅ステント挿入の3日目にICU送りになったワタシ・・・。
3日目である9日の記憶は激痛のせいで、かなり曖昧になっていて、元気になってから家族と確認して記憶を繋げました。(^^;)

まず、動脈カテーテルをいれてからICUに行くまでの記憶が飛んでます。
家族の話ではICUに到着したのが午後1時頃だったようです。

気が付いたらお腹の痛みがだいぶ治まって、上向きに寝かされてました。

膵炎持ちの方ならお分かりになるでしょうが、痛いときに上向きに寝るのはとても辛いことです。
なのに、上向きに寝ても平気・・・強い痛み止めが使われたということですね。

ICUの看護師さんに「ここでは痛いのは我慢しなくていいんですよ」
と言われ、すごくホッとしたのを覚えています。

実際に痛み止めとして使われたのは「フェンタニル」という、医療用麻薬
これが点滴で10分おきに持続的に投与されました。
後で来られた主治医に「痛いのを我慢しなくていいのが良いです」と一番に言ったほど、痛みからの解放が嬉しかったです。

しかし、嬉しいのはこれだけ。
ICUというところは恐ろしい所です。(^^;)

まず、動脈カテーテルが入っているため、絶対に足を動かしてはいけない。

当然、寝返りは打てず、クッション等で10度傾けるのが限界。

24時間電気がついていて明るく、ずーっと響き続けるモニター音・・・。

フサンの動注療法が5~7日間と言われたのは、姉がネットで調べたところによると
「意識のある人間が、動くなと言われて動かずにいられる限界が1週間」だからとか。
・・・これは主治医に確認はしてませんけどね。

従って、ほとんど意識朦朧だったICU初日と二日目は余裕で乗りきれたけど、二日目の夜あたりから、
いつまでこうしてなきゃいけないんだろう・・・早く出たい!と思いはじめました。
体は毎日楽になってるのに、精神的に追い詰められるのがICUです。
最後のあたりなど、物凄く狭いところに無理矢理寝かされてるような、軽い幻想に捕われてました。

尿管を入れられ、右足に動脈カテーテル。左手からも点滴。首には中心静脈カテーテル。胸に心電図、口に酸素マスク。
左手か右手か忘れたけど、指に酸素を測る機械、そして右腕に常に血圧測定器が巻かれてました。

さらに熱がずっと8度ぐらいあったため、頭に氷枕、脇にもアイスノン。
全身ガチガチです。
我ながら、よく我慢しました。

ICUでした治療
動脈カテーテルによるフサンと抗生物質の投与。
輸液の投与。
熱が8度になると、ロピオンの点滴。
持続で痛み止めの投与。

ICUでよく怒られたこと。(笑)

・動いちゃいけません
・酸素マスクをはずしちゃいけません

この二つです(笑)
動いてはいけないとわかってても、じっとしてると体が痛くて無意識に動かしてしまいます。
また、熱を下げるための点滴で汗だくになって、酸素マスクが鬱陶しくなって、つい外してしまうのです。(^^;)

また。
私にずっとつけられていたモニターでは
血圧が130ー80
脈拍100ちょっと
となってました。
そして酸素は酸素マスクを外すと測定不能になるほど。
だから、看護師さんがすっ飛んで来て「外すな」と怒られたわけです(^^;)

普段の血圧が90ー60ぐらいなので、異常事態。
酸素量が少ないのは胸水がたまっていて呼吸が苦しかったからです。

さて。
フサンの動脈療法を初めて半日たった翌朝の採血。
なんとアミラーゼが半減し2000台になってました。
一晩で倍に増えたものが、一晩で元通りになったのです。
フサンって凄い!
前々から点滴でも効果を即感じられてたので、私によく効く薬でもあったのでしょう。

ただ、半減したこの日も意識はまだ朦朧。
面会に家族が来ているのに、話しながら寝てしまってました。

ところが、この日の私は顔色がまっ黄色だったそうで、医療系の姉は
「黄疸!?膵臓から肝臓に炎症が移った!?多臓器不全!?危篤では!?」と思ったらしいです。

急性膵炎って顔が黄色くなるものだと後で知って、なーんだ、だったらしいですけど。

母は前日のICU送りあたりから線がプッツン切れてしまい、「あの子、死んでしまう~」と泣いてたそうな。

そして、仕事で韓国に出張にいってた弟は、ネットで『重症急性膵炎』を調べたら、大変なことが書いてあったので、こりゃヤバイ、と帰国即帰省する始末。

当人は家族の大騒ぎなど露知らず、寝てましたがね。(^^;)

ICU3日目の11日。
実はこの日、私の○○回目(笑)の誕生日でした。
ERCPによる重症急性膵炎を引き当てたのも凄いけど、誕生日がICUってのも凄いかも。

これを誰に言う!?
主治医しかいません。(笑)
「せんせっ、私、今日誕生日なんですよ~」
「えらい誕生日になってしまったなぁ」
といつものようにサワヤカに答えつつ、「今日、夜は来れないんよ、悪いけど」と謝られました。
この日は日曜。
最近は日曜は休むことにしてるのに、重症患者がいるから来られたんですね。

ERCPで重症急性膵炎になってしまったけど、主治医への信頼は揺らいでおりません。
今も大好きです(笑)

そして誕生日記念(笑)
採血でアミラーゼがまた半減。1000台に落ちました。
毎日半減。凄いです。
だから、誕生日のこの日あたりから意識もはっきりしてきて、暇を持て余すようになってきました。

テレビは用意してくれたけど、私はテレビより誰かとしゃべりたい人です。
でも、重病人だらけのICUでは、看護師さんもただの話し相手になる暇はありません。
う~口がくさる~(爆)
そんなもので、しゃべれる人=面会人がくると、待ってました!
この日面会にきた弟が「あれだけしゃべれたら大丈夫」と言って帰ったそうな(笑)


翌12日の採血。
ICU4日目です。
アミラーゼ更に半減。600台にまで落ちました。
こんなに早く良くなるなんて・・・とお医者様を驚かせました。
私の生命力はシベリア抑留で生き残った母方の血のおかげだったのかしら。

主治医にこれだけ数値が良くなっているなら明日CTを撮ってみて、予定より1日早く切り上げて一般病棟に戻りましょう、と言われました。

わーい、帰れる~
しゃべれる~(爆)

13日に行ったCT。
造影剤、気持ちわるっ(*_*)
ICUに戻った途端、久しぶりにゲーゲー吐いちゃいました。
多量の嘔吐で持参の枕に着ていたねまきパジャマも汚れ、更にERCPの時から肌身離さず身につけていたお伊勢さんのお守りが、オダブツに(^^;)

ある意味、お守りの役目を果たし終わったということでしょう。

CTの結果は上々でした。
特筆すべきは、4日間の動注療法で膵臓全体が小さくなっていたこと!です。

慢性膵炎で肥大していた膵臓が小さくなる。
こんなことあるんですね。
主治医もびっくりでした。
ただ、先生が私を一般病棟に戻そうとしたこの日は病棟満床。
泣く泣くICUにもう一泊することに。


夕方になって、動脈カテーテルを抜くことになりました。

抜くの痛いんですか?と聞いたら、チクチクする程度だとのことで一安心。

まず、主治医が私の足に貼ってあるテープを遠慮なくバリバリ剥がしました。
イタタッ

「先生っ、これが一番痛いんじゃないんですか?」

「女性はどーってことないの。男の人は大変なんだから」

・・・膝と足のつけ根に大きなテープです。

毛深い人はそりゃ・・・大変ですわね(^^;)

さて。
いざ、カテーテルを抜くという段階になると、担当医に変わりました。

え~!?主治医じゃないの!?
私の体で実習するなっ

・・・と思ったけど。
入院してから色々とお世話になったことだし、先生も上手にならなきゃいけないことだし・・・とさせてあげることにしました(笑)
糸をはずすのがチクチクと痛い。
いざ、抜く段階になったら主治医が横にたって実地指導。
実習ですよ(^^;)
抜いた後、動脈カテーテルは20分止血です。

じーっと立ってる担当医。
大変だなぁ。
主治医は途中覗きにきて、「そんな止血してたら、ダメ。足の色が変わってるでしょ。血栓が出来てしまう」
とまたまた指導です。

無事、カテーテルは抜きましたが、抜いた後も出血防止のために4時間は動かないように、と言われました。

まだ、動いてはダメですか(^^;)

でも、この日はフサンの動注をやめたせいか、母が面会に来てる時に、気分悪っ・・・と吐きそうになり、思わず体をひっくり帰してしまいました。

そしたら、看護師さんがすっとんできて
「何してるの!まだ動いちゃいけません。肝臓から出血したら大変なことになるんだから」

と、えらく怒られました(^^;)

私は気分が悪かっただけなんだってばぁ・・・

ああ、早く帰りたい・・・
うつろ~になったまま、最後のICUの夜は更けていきました。