中学生の彼のこともあり、なかなか眠れないので、
過去の記憶を遡っております。
膵炎という病気に罹患したことで、
精神的に一番落ち込んだのは
発症当初でも、なかなか痛みの原因がわからなかった頃でも、
そして重症急性膵炎で何ヶ月も退院できなかった時でもなく。
父が亡くなり、法事が一段落ついた頃のことでした。
(膵炎発症からは5年後、重症から3年後です)
(2010年の9月ぐらいです。お暇な方は過去記事をどうぞ。)
父が危篤に陥ったときに私は膵炎の増悪で入院していたので、
親の死に目に会えないかも?とハラハラドキドキしました。
私の行いが悪いから、こんなことになるんだ、とも考えました。
その時からネガティブな気持ちが、根付き始めていたのかもしれません。
精神的なストレスを感じていたこともあってか
2010の夏はとても頻繁に外来受診しています。
両親が揃っている間は経済的な心配は皆無でしたし、
私も長年の勤務で貯めた貯金がありましたから、
先の心配をする必要がなかったのです。
ところが、父が平均寿命よりも随分と早く亡くなりました。
父が亡くなったら、次は母の番なわけですね。
母だって難病持ちなのだから、長生きは考えづらいのです。
この頃の母は
「私が死んだらこの子(=私)を頼むで」
と姉によくお願いするようになってきました。
弟は離れて住んでますが、
姉を養わなければいけないかもというので
姉を扶養に入れる方法を調べたりしていたようですし、
随分と重荷にも感じたようです。
姉が看護師に転職したのも、
私の病気がかなり関係しています。
臨床検査技師に比べると、仕事がたくさんありますから。
その当時の私は。
私が長生きしたら、きょうだいに迷惑が掛かるから、
早く死ななければ考えてるようになっていました。
一人では思いを抱えきれず、
坊さんの友達に相談したこともあります。
あなたはお金に困る生まれじゃないから大丈夫、とか、
あなたが病気になったことで得るものもあったでしょう。
死ぬことばかり考えていたら、死んでからが大変よ。
等のアドバイスを受けましたが、
なかなか前向きにはなれず。
当時は定期的な点滴生活や短期入院は、
一生続くものだと思い込んでました。
しかし、この思い込みはいけませんね。
悪い未来を予測している限り、
良い未来はやってきません。
これは脳科学的にも証明されてます。
その頃、姉に
「SLEからの膵炎ということで難病手帳貰えないかなぁ?」
と聞いたことがあるのです。
それに対する姉のお答えはというと。
なんで難病にして貰うことを考えるの?
なんで治ることを考えないの?
アンタは医者もビックリの規格外の患者なんやから、
難病だろうが治ると信じたら治る!
というものでした。
当時の私には耳に痛い意見でもあり、
また同時に「膵炎は治らない」という情報に支配されてましたから、
姉にどんなに諭されても。
「治るわけないし。」
と思い込んでましたね。
・・・本当に面倒な人間です・・・。
この気持ちが上昇に転ずるまでには、
ウォーキングを始めて体力が回復したということがあったり、
ボクちゃんとの運命的(笑)な出会いがあったり、
また、新たな主治医との巡り合わせがあったり、
はたまた、この私(!)が畑をする羽目になったり。
色んなことがありました。
ただ、自分が変わらなければ何も変わらない
のは確かだと言えます。
勿論、周囲は色んなサポートをしてくれます。
でも、それに甘えていては、根本的には解決しません。
父の七回忌を今年終えましたが。
当時のような精神状態で
法事をせずに済んで本当に良かったです。
でないと父も心配で、あちらの世界で修行をしていられないでしょう。
まだまだ、先を行く姉や弟には追いつけませんが、
私にも自信をもって言える職業ができるよう
コツコツと頑張っていきたいです。
自宅で教えている生徒さんの数は4人に増えました。
全員、個別指導なので、そろそろ限界数に近くはあるのですが、
今後もご相談をいただいたら、
出来る限り対応いきたいと考えています。
自閉症スペクトラムや学習障害のお子さんにも教えています。
私は基本的に短気なのですが、
不思議に子供が何をしても全く腹が立たないのです。
「アンタが優しいのは子供に対してだけやな。」
と姉には評されております。(笑)
なんだか、まとまりがなくなりましたが。
人間は変われる!ということで〆にします。
過去の記憶を遡っております。
膵炎という病気に罹患したことで、
精神的に一番落ち込んだのは
発症当初でも、なかなか痛みの原因がわからなかった頃でも、
そして重症急性膵炎で何ヶ月も退院できなかった時でもなく。
父が亡くなり、法事が一段落ついた頃のことでした。
(膵炎発症からは5年後、重症から3年後です)
(2010年の9月ぐらいです。お暇な方は過去記事をどうぞ。)
父が危篤に陥ったときに私は膵炎の増悪で入院していたので、
親の死に目に会えないかも?とハラハラドキドキしました。
私の行いが悪いから、こんなことになるんだ、とも考えました。
その時からネガティブな気持ちが、根付き始めていたのかもしれません。
精神的なストレスを感じていたこともあってか
2010の夏はとても頻繁に外来受診しています。
両親が揃っている間は経済的な心配は皆無でしたし、
私も長年の勤務で貯めた貯金がありましたから、
先の心配をする必要がなかったのです。
ところが、父が平均寿命よりも随分と早く亡くなりました。
父が亡くなったら、次は母の番なわけですね。
母だって難病持ちなのだから、長生きは考えづらいのです。
この頃の母は
「私が死んだらこの子(=私)を頼むで」
と姉によくお願いするようになってきました。
弟は離れて住んでますが、
姉を養わなければいけないかもというので
姉を扶養に入れる方法を調べたりしていたようですし、
随分と重荷にも感じたようです。
姉が看護師に転職したのも、
私の病気がかなり関係しています。
臨床検査技師に比べると、仕事がたくさんありますから。
その当時の私は。
私が長生きしたら、きょうだいに迷惑が掛かるから、
早く死ななければ考えてるようになっていました。
一人では思いを抱えきれず、
坊さんの友達に相談したこともあります。
あなたはお金に困る生まれじゃないから大丈夫、とか、
あなたが病気になったことで得るものもあったでしょう。
死ぬことばかり考えていたら、死んでからが大変よ。
等のアドバイスを受けましたが、
なかなか前向きにはなれず。
当時は定期的な点滴生活や短期入院は、
一生続くものだと思い込んでました。
しかし、この思い込みはいけませんね。
悪い未来を予測している限り、
良い未来はやってきません。
これは脳科学的にも証明されてます。
その頃、姉に
「SLEからの膵炎ということで難病手帳貰えないかなぁ?」
と聞いたことがあるのです。
それに対する姉のお答えはというと。
なんで難病にして貰うことを考えるの?
なんで治ることを考えないの?
アンタは医者もビックリの規格外の患者なんやから、
難病だろうが治ると信じたら治る!
というものでした。
当時の私には耳に痛い意見でもあり、
また同時に「膵炎は治らない」という情報に支配されてましたから、
姉にどんなに諭されても。
「治るわけないし。」
と思い込んでましたね。
・・・本当に面倒な人間です・・・。
この気持ちが上昇に転ずるまでには、
ウォーキングを始めて体力が回復したということがあったり、
ボクちゃんとの運命的(笑)な出会いがあったり、
また、新たな主治医との巡り合わせがあったり、
はたまた、この私(!)が畑をする羽目になったり。
色んなことがありました。
ただ、自分が変わらなければ何も変わらない
のは確かだと言えます。
勿論、周囲は色んなサポートをしてくれます。
でも、それに甘えていては、根本的には解決しません。
父の七回忌を今年終えましたが。
当時のような精神状態で
法事をせずに済んで本当に良かったです。
でないと父も心配で、あちらの世界で修行をしていられないでしょう。
まだまだ、先を行く姉や弟には追いつけませんが、
私にも自信をもって言える職業ができるよう
コツコツと頑張っていきたいです。
自宅で教えている生徒さんの数は4人に増えました。
全員、個別指導なので、そろそろ限界数に近くはあるのですが、
今後もご相談をいただいたら、
出来る限り対応いきたいと考えています。
自閉症スペクトラムや学習障害のお子さんにも教えています。
私は基本的に短気なのですが、
不思議に子供が何をしても全く腹が立たないのです。
「アンタが優しいのは子供に対してだけやな。」
と姉には評されております。(笑)
なんだか、まとまりがなくなりましたが。
人間は変われる!ということで〆にします。
あゆさんの当時の心境が良くわかりました。
納得できます。
私も椎間板ヘルニアで2度入院しました。
私は直接聞いていませんが義兄からは「復帰不可能では?」とかみさんは言われたそうです。(苦笑)
1度目はともかく2度目は、また仕事に復帰してもすぐに入院になるだろうとの恐怖がありました。
今も腰がダルやめする時は、また腰の痛みで七転八倒するかなと思ってしまいます。
あゆさんと違って、調子の悪い日は無理しなくても良い分気楽ですが。
あゆさんが書かれていたように前向きに考えることが、病気にはとても良いことだと思います。
あゆさんは膵炎の初めのほうは、本当に、入院が多かったですね。
私も、あゆさんは、入退院を繰り返すほどひどいいのだと思ってました。お若いのに、大変だなと。
でもだんだんお元気になり、お仕事もはじめられ、お庭のお手入れもされて、本当にお元気になったなと思います。
家族の誰かが亡くなると、いろんなことをかんがえてしまいますよね。
私も母のことが心配です。心臓が悪いので、そして今は、骨折した手が動かせないので、施設にいますが、
そろそろ、よその施設に行かないといけないかもしれません。
内綿加は、長女がしっかりしてるので、いろいろ難しいことをやってくれて、助かってます。三女の私は、話を聞くだけです。
あゆさんも、お父様の7回忌後、いろいろ考えたようですね。私は3回忌のとき、沢山お寺さんのお話を聞き、いろいろ考えました。姉たちは、とても元気です。次女は、胃がんを初期に見つけてもらい、内視鏡で取ってもらって、時々検査に行ってます。広がってなかったので、放射線の治療などはしなくていいそうです。
千代の富士親方が、がんで亡くなられたのを知って、やはり膵臓は治せないんだなと思いました。
このまま一生お薬を飲み続けるのだなと思いました。
お薬を飲んでるから、普通の生活ができるのでしょうね。いい先生に巡り合えたことをありがたく思います。
あゆさんは、お子さんたちに、お勉強を教えていらっしゃるのですね。すごいわ、いろんなお子さんがいて大変でしょうけど、若いエネルギーを貰って、がんっばってくださいね。
もう、入院にないでいいといいですね。
私はつい、自分が元気でいられるのは、お薬のおかげだということを忘れてしまいます。もちろん、お薬は忘れずに飲んでますが。自分が、膵炎だから飲んでるし、それで元気でいられるということを忘れがちです。
もっと、自分の体に気を付けて、初期もままで生きていけたらいいなと思ってます。
慢性膵炎=いつか膵癌 そんな風に書かれている情報が多いですよね。ブログを拝見させていただいてる限り膵炎の状態があゆさんととても症状が似ていて私も規格外なので絶対治るし、もしくはこのまま付き合ってやるんだと思いこむようにしています。
今、私は看護学校へ通っています。入学時に癌のこと、膵炎の事面接で話したのですが「薬を飲んでいても持病があっても日常生活が送れていれば健康なのですよ」と合格させていただきました。実習、勉強と軍隊さながらの生活は40の身体にはキツイし、膵炎が悪化するかもと思ったのですが最近私もお坊さんに「あなたはこれから使命がある」「やらなきゃいけない状況になれば人間はそれに適応しようとする」と言われたんです。かりにこれで寿命が縮んでも自分が病気で苦しんだ経験を患者様に役に立てられたらと思って奮闘しています。身体が疲れる=悪化する、治らないかもしれないなど自分の思い込みだと思って今は封印しています。ちょっと調子がわるくてもなんとかなってしまっています。
それぞれ生きる環境は違ってもあゆさん、絶対規格外で長生きしましょうね!
病気特に重病だと精神的にかなり落ち込みます。
これは仕方がないですね。
誰でも早かれ遅かれかならず墓に入ります。
どうせなら少しでも前向きに生きようと私は思っています。
私も病もちですが、お互いに前に向いていましょうね。
私も慢性膵炎と聞いたとき、病気が治らないことにショックを受け、病室で、声を殺して泣きました。
一人で悩み、何気なくスマホで見つけたあゆさんのブログで救われました。
たとえ治らなくて、生涯付き合わないといけない病気だとしても、人のお役に立てるかもと、退職後ブログ始めました。
落ち込むことも多いです。正直、楽しそうに仕事してる同僚を見ると、病気になるまでは、私もその場所にいたのにと思うこともあります。
私は慢性膵炎にかかったことは試練だと受け止めてます。私なら乗り越えられると思い、神様が与えられた課題です。
1日1日、精一杯かけがえのない命を精一杯生きようと思います。
私も病気のことを教会の牧師さんとこの前、お話ししました。
人生つらいこと苦しいことが多いほど、人には優しくすることができますよと言われました。
9月25日で膵炎発症して、1年になります。
つらくて、エンディングノート書いたり、自分らしい葬儀の本も読んだりしてました。
私も試練を歩む道を神様が備えてくださる、そう信じたいです。
子どもたちにお勉強を教えるというのが、あゆさんのこの世で与えられた役割なのかもしれません。それゆえ子どもたちには優しくできるのですね。
私は人のお世話をするためこの世に生まれてきた気がします。
また再び、人のお世話をすることができたらと思います。
病気に打ち勝つ精神力をみなさんからいただいてます。
お互い前向きに病気がありますが、乗り越えていきましょうね。
壁は多いですが、みんなで壊していきましょう。
あゆさんとお会いするときは、お互い明るい顔で、会いたいですね。
病気だからといって、すべてのことをあきらめたくないのです。病気だからできることもあることに、最近気づいた気がします。
私も弱い人間です。すぐ落ち込んでしまうし。
でもあゆさんやみなさんがいるから、がんばれてます。
一人でないのだから。
長くなりました。一緒に長生きしましょうね。私も生涯病気と付き合う覚悟を決めました。
前向きな気持ちに成ってといっても、そうそう簡単に気持ちは変わりません。
反対にもうダメなら、好きに生きよう思えば案外吹っ切れて気が付けば病気が回復しているという場合もあります。
2003年に乳ガンかもしれないということで、民間療法で回復を試みました。
以前に卵巣腫瘍で、子宮と卵巣を摘出していました。
ガンは乳ガンと思っていたので、予想通りです。
生活習慣を変えて、完全に回復しました。
というか、病院に行っていないのですがまだ生きています。
余程のことがない限り、病院にはいきません。
ガン患者会の手伝いをしていましたので、思いひとつで病状が変わることを身近でみています。
あゆさんの読者になってあまり日が経たないので
昔の事は読んでないのですが。
色々あったんですね……
ありますよね。
治らないと言われている膵炎になったんだから。
私もなった当時も色んな不安がありました……
けど、少しずつ症状が固定された来てからは
また別の事を考えるようになりました
ラッキーなことに私は結婚してるので
あゆさんほどお荷物になりたくないと言う気持ちにはなりませんでしたが
1人病室のベットにいると
家族には大変な思いさせてるな……とか
ガンになったらどうしようとか……
今でも不安になります
でも、考えたってしょうがないこともあるわけですから
今自分がやれることやりたい事やって
一生懸命生きるしかないんですよね……
自分が変われば周りの環境や思いも変わりますよね
最近は家族なんだから
少しくらい面倒かけてもいいよね?
って思わなきゃって言い聞かせてます……
あゆさんほど頑張ってないし……
偉いな〜って思います。
奥さまもさぞ心配なさったことでしょう。
毎日毎日痛いと、だんだん良くなるというイメージが
なかなかつかめないものですよね。
でも、2歩進んで1歩戻りながら
病気と付き合うコツを会得しけばいいのかもしれませんね。
どの病気でも無理を重ねないことが
長引かせない、悪化させないコツなのだろうと思います。
痛いときはお互い早目に休みましょうね。
百か日が終わった頃ですね。
父の発病自体が、私が入院していたために
父の状態に気がつくのが遅れたというところから始まってまして
そもそも私が入院していなかったら、
父はあんなに早く死なずに済んだのかもしれないのです。
父が患っていた間質性肺炎という病気は急性増悪を起こすと9割方死亡します。
ですから、急性増悪を起こさないようにすることが大事なのですけど
私の入院中に風邪から肺炎を起こしてしまったというわけです。
寿命がそこにあったということかもしれませんけど
やはり自分のせいだという思いも捨てきれず
余計に落ち込んだのだろうとは思います。
以前は常に用意していた入院セットももう片づけてしまいました。
頓服で飲むお薬の量も少しずつ減らせてますし
お薬の総量も減らしていけるといいなと思ってます。(^^)
rinkoさんにも一番体調の悪い頃から励ましていただきました。
感謝してます。
慢性膵炎だからといって膵臓がんにはならないだろう
・・・と私は考えてます。
膵臓がんに限らず、がんの心配をしてもそれで予防できるわけでもないし
体にストレスを与えるだけなので、気にしないほうがいいですよね。(^^)
さくらさんは看護学校に通われているのですね。
姉も年齢を重ねてから学校に行きましたが
病気を抱えながらの実習は大変だろうと推察します。
でも、病気を持つ人の辛さを誰よりも理解できるでしょうから
患者さんにとっては頼りがいのある看護師さんになられると思いますよ。
実習の3年間に加え、看護師一年目が一番大変な時です。
なんとかすべてを乗り切って、素敵な看護師さんになられてくださいね。