母の病歴を整理しようと思って、
かれこれ10年前ぐらいにまとめた書類の束を久々に引き出しました。
すると、肝臓病友の会(だったっけな?)から
送って頂いた書類なんかも出てきたりしました。
肝臓病って日本人に多いこともあってか、患者会の活動が熱心です。
難病情報センターによると、
原発性胆汁性肝硬変の患者さんは14000人。
一方、慢性膵炎は45000人。
患者数は4倍近いのに、膵臓病のほうはあまり患者会の活動がないですよね。
うちのような地方でも「原発性胆汁性肝硬変」についての講演会が開かれたことがあります。
でも、膵炎はなし。
この違いは一体・・・?
にほんブログ村ランキング参加しています。
肝臓の記事でも参加カテゴリーは一緒なので便乗♪
さて。
母の記録を辿ってみると。
肝機能の異常が健康診断で現れ始めたのが平成2~3年頃。
当初はγーGTPだけでしたが、
やがてGOT、GPT、ALPと異常数値が増えていきました。
病気だと判明する平成10年の頃には、健康診断による肝機能の判定はD。
「お酒を控えましょう。」
と書いてあります。
でも、母はたまにビールを飲む程度で、
晩酌の習慣はありませんでした。
平成10年の健康診断にて、脾臓の腫れ(脾腫)と肝機能の異常から、
精密検査に行くようにと指示されました。
その後、自宅近くの個人病院にて肝生検と採血結果等により
「原発性胆汁性肝硬変」であることが判明。
原発性胆汁性肝硬変は抗ミトコンドリア抗体が9割の人に陽性と出るのですが、
うちの母は疑陽性が1回だけで、あとはすべて陰性。
そのため現在では公費負担から外されてしまっています。
でも、上手くできているもので、何故か公費対象を外されてからは一度も入院していません。
さすが主婦。
(その代わり娘が医療費を使いまくっている)
その後、ウルソを服用しながら個人病院にて経過を見ていたところ、
平成12年に食道静脈瘤が出来ていることが判明。
当時のドクターによると
「いつ破裂するかは誰にもわからないけれども、いずれは処置したほうがいいですよ。」
とのこと。
緊急性はないという口ぶりであったし、
複数ある静脈瘤を潰すのに数回にわけて入院しなければならず、
そのたびに3週間入院が必要であるとのことだったので、
当時家の立て直しでバタバタしていた事情もあり、
しばらく様子を見ることになりました。
5月には下血が始まり、そして軽い吐血もありました。
吐血のあと、慌てて病院に行ったところ、すぐに胃カメラ。
「現在、出血しているところはありません。でも、静脈瘤がありますので出来れば早く入院したほうがいいですね。」
とだけ言われ、採血もされず、そのまま家に帰される。
(何やら青臭い匂いが漂ってきましたね。筍か)
その数日後、食道静脈瘤が破裂し、大吐血。
緊急入院となりました。
ヘモグロビンが4にまで下がっていたため、輸血を800ml行う。
そして、胃にも静脈瘤が出来ていたため
「これが破裂したら命に関わります。すぐに●●病院に行って下さい。」
と胃静脈瘤の治療目的で、現在私がかかっている殿病院を紹介されました。
ここで、待ちかまえていたのが、現在のかかりつけ医。
母は肝臓の病気だったので、てっきり肝臓専門医に廻されるのかと思いきや
“胃静脈瘤”の治療のためだったため、
胃が専門であった現かかりつけ医の担当となった模様。
転院し、一通り検査したところ
『胃の静脈瘤の治療を行う必要はありません。
ステージが3か4になると治療するのですが、まだステージ1です。
この治療は危険も伴うので、今の状態ではすることはないでしょう。』
と言われて、唖然。
個人病院では一刻を争うように言われていたのに!?
そして、肝臓の状態も既にかなり悪化しており、
もう長くはないというニュアンスだったけれど、その件についても否定されました。
胃や食道に静脈瘤が出来るのは、一般的には肝硬変が進行し、
門脈圧亢進症をきたしているということになるのですが
たまに、原発性胆汁性肝硬変の初発症状が静脈瘤であることがあり、
母はこの稀な部類に属したようで、
静脈瘤が出来ている→既に肝硬変→長くない
という図式には当てはまらなかったようです。
また。
「折角来られたのですから、食道静脈瘤の治療だけしましょうか。」
と言われ、「一度に3~4カ所。1週間おきに二度やります。」
と言われてまた唖然。
3週間の入院が必要で、
何度かにわけなくてはいけないという話は???
ここに至り、ドクターの力量に差があることをはじめて知る。
この件もあり、またそれ以前から弟が
「難病は町医者で診られるレベルではない」と何度も言っていたため、
本来は胃静脈瘤の治療を終えれば個人病院に戻る予定であったのだけれども
姉の知り合いを通じて内科部長にお願いし、転院することとなりました。
その後、
平成15年9月:胃静脈瘤の治療(BRTOといわれるバルーンカテーテル法)
平成16年6月:食道静脈瘤の治療(食道静脈結紮術(EVL))
平成17年1月:食道静脈瘤の治療(食道静脈結紮術(EVL))
と3回入院しています。
(私が膵炎で最初に入院したのが平成17年2月。
私が入院するようになってからは入院していないのは偶然かしら。)
お薬はウルソを1日6錠とガスターを1日1錠。
これで現在はALP以外はほぼ正常値になっています。
ただし、脾腫の関係もあり、血小板は5000台で白血球も基準値以下となっています。
膵臓と違って肝臓は自覚症状がないので、
無理をしないようにしなくてはいけませんが、
今のところ元気にはしています。
経緯はこんなところでしょうか。
あー。長かった。(笑)
かれこれ10年前ぐらいにまとめた書類の束を久々に引き出しました。
すると、肝臓病友の会(だったっけな?)から
送って頂いた書類なんかも出てきたりしました。
肝臓病って日本人に多いこともあってか、患者会の活動が熱心です。
難病情報センターによると、
原発性胆汁性肝硬変の患者さんは14000人。
一方、慢性膵炎は45000人。
患者数は4倍近いのに、膵臓病のほうはあまり患者会の活動がないですよね。
うちのような地方でも「原発性胆汁性肝硬変」についての講演会が開かれたことがあります。
でも、膵炎はなし。
この違いは一体・・・?
にほんブログ村ランキング参加しています。
肝臓の記事でも参加カテゴリーは一緒なので便乗♪
さて。
母の記録を辿ってみると。
肝機能の異常が健康診断で現れ始めたのが平成2~3年頃。
当初はγーGTPだけでしたが、
やがてGOT、GPT、ALPと異常数値が増えていきました。
病気だと判明する平成10年の頃には、健康診断による肝機能の判定はD。
「お酒を控えましょう。」
と書いてあります。
でも、母はたまにビールを飲む程度で、
晩酌の習慣はありませんでした。
平成10年の健康診断にて、脾臓の腫れ(脾腫)と肝機能の異常から、
精密検査に行くようにと指示されました。
その後、自宅近くの個人病院にて肝生検と採血結果等により
「原発性胆汁性肝硬変」であることが判明。
原発性胆汁性肝硬変は抗ミトコンドリア抗体が9割の人に陽性と出るのですが、
うちの母は疑陽性が1回だけで、あとはすべて陰性。
そのため現在では公費負担から外されてしまっています。
でも、上手くできているもので、何故か公費対象を外されてからは一度も入院していません。
さすが主婦。
(その代わり娘が医療費を使いまくっている)
その後、ウルソを服用しながら個人病院にて経過を見ていたところ、
平成12年に食道静脈瘤が出来ていることが判明。
当時のドクターによると
「いつ破裂するかは誰にもわからないけれども、いずれは処置したほうがいいですよ。」
とのこと。
緊急性はないという口ぶりであったし、
複数ある静脈瘤を潰すのに数回にわけて入院しなければならず、
そのたびに3週間入院が必要であるとのことだったので、
当時家の立て直しでバタバタしていた事情もあり、
しばらく様子を見ることになりました。
5月には下血が始まり、そして軽い吐血もありました。
吐血のあと、慌てて病院に行ったところ、すぐに胃カメラ。
「現在、出血しているところはありません。でも、静脈瘤がありますので出来れば早く入院したほうがいいですね。」
とだけ言われ、採血もされず、そのまま家に帰される。
(何やら青臭い匂いが漂ってきましたね。筍か)
その数日後、食道静脈瘤が破裂し、大吐血。
緊急入院となりました。
ヘモグロビンが4にまで下がっていたため、輸血を800ml行う。
そして、胃にも静脈瘤が出来ていたため
「これが破裂したら命に関わります。すぐに●●病院に行って下さい。」
と胃静脈瘤の治療目的で、現在私がかかっている殿病院を紹介されました。
ここで、待ちかまえていたのが、現在のかかりつけ医。
母は肝臓の病気だったので、てっきり肝臓専門医に廻されるのかと思いきや
“胃静脈瘤”の治療のためだったため、
胃が専門であった現かかりつけ医の担当となった模様。
転院し、一通り検査したところ
『胃の静脈瘤の治療を行う必要はありません。
ステージが3か4になると治療するのですが、まだステージ1です。
この治療は危険も伴うので、今の状態ではすることはないでしょう。』
と言われて、唖然。
個人病院では一刻を争うように言われていたのに!?
そして、肝臓の状態も既にかなり悪化しており、
もう長くはないというニュアンスだったけれど、その件についても否定されました。
胃や食道に静脈瘤が出来るのは、一般的には肝硬変が進行し、
門脈圧亢進症をきたしているということになるのですが
たまに、原発性胆汁性肝硬変の初発症状が静脈瘤であることがあり、
母はこの稀な部類に属したようで、
静脈瘤が出来ている→既に肝硬変→長くない
という図式には当てはまらなかったようです。
また。
「折角来られたのですから、食道静脈瘤の治療だけしましょうか。」
と言われ、「一度に3~4カ所。1週間おきに二度やります。」
と言われてまた唖然。
3週間の入院が必要で、
何度かにわけなくてはいけないという話は???
ここに至り、ドクターの力量に差があることをはじめて知る。
この件もあり、またそれ以前から弟が
「難病は町医者で診られるレベルではない」と何度も言っていたため、
本来は胃静脈瘤の治療を終えれば個人病院に戻る予定であったのだけれども
姉の知り合いを通じて内科部長にお願いし、転院することとなりました。
その後、
平成15年9月:胃静脈瘤の治療(BRTOといわれるバルーンカテーテル法)
平成16年6月:食道静脈瘤の治療(食道静脈結紮術(EVL))
平成17年1月:食道静脈瘤の治療(食道静脈結紮術(EVL))
と3回入院しています。
(私が膵炎で最初に入院したのが平成17年2月。
私が入院するようになってからは入院していないのは偶然かしら。)
お薬はウルソを1日6錠とガスターを1日1錠。
これで現在はALP以外はほぼ正常値になっています。
ただし、脾腫の関係もあり、血小板は5000台で白血球も基準値以下となっています。
膵臓と違って肝臓は自覚症状がないので、
無理をしないようにしなくてはいけませんが、
今のところ元気にはしています。
経緯はこんなところでしょうか。
あー。長かった。(笑)
それにしても珍しい病気ゆえなのか、医療機関orドクターによって言うことが全然違うってのは本当に困りますよね~。
二転三転したのは大変だったでしょうけど、結果的には良い方の治療が受けられたみたいで良かったですね。
肝臓系のいくつかの数値が高いワタクシには勉強になる記事でした。
ありがとうございました
なかなかそういう活動を起こそうとかリーダーになろうって人が出ないからじゃ?
ま、特発性といわれる人たちの話だけどね。
お母様の病歴、きちんとまとめられてて感心しました。あたしなんかテキトーだから(笑)
何かあった時のためにも、こういうのはきちんとまとめておいた方がいいのね。
しかし、個人病院と大病院の差に、不安がさらに募ったのはあたしだけ?ヾ(_ _*)
転院する時に、それまでの経緯をきちんと話さなくてはと思って、時系列にまとめていたのね。
転院後は母が手帳に記入していたのを昨日聞きました。(笑)
基本的にドクターの見方のワタクシですが、町医者のレベルはヤブ通り越して筍だったよなあ・・・と、ある意味懐かしく思い出します。
多分、町医者はこの難病を見たことなんかなかったんじゃないかな。
アルコール性の人が患者会なんて作るわけがないし
(その前に断酒会に入れって話(笑))
慢性膵炎と確定診断されている人からアルコール性を除いたら、かなり患者の数が減ってしまうものね。
個人病院がすべて悪いとは思わないのね。
でも、ここは中途半端に入院施設のある199床の病院だったので
大病院のドクターと能力の差が大きかったのかなあ、なんて思います。
やはりウデを疑うよね。
>ヤブ通り越して筍だったよなあ…
あはは♪
あゆちゃん名言だわ!
しかし、そんなことに縁のない生活送りたいよね~
いいドクターとの出会いも重要ですよね。
>今のところ元気にはしています。
すごい元気付けられる言葉です。
私の難病、脊髄小脳変性症にはブログやってる人もたくさんいて、同病の仲間をすぐに見つけられるのですが、姉の原発性胆汁性肝硬変はブログ仲間を見つけれません。それがちとつらいです。
藪にもなれない、筍医者ですね(笑)
後日、耳にした内部情報によると、この病院には画像がみれないドクターがいるそうです。
いやー_(^^;)ゞ
肝臓病ブログは多いですが、原発性胆汁性肝硬変のブログやネット情報は少ないですね。
初発年齢が高めなのも原因かな、と思います。
また、情報交換させてください。