ちょっとした知り合いが、運営していたシェアハウスの撤収をするというので
そのシェアハウスラストデーにお邪魔するべくお出かけてしてきたsachiakiです。
運営していた本人様はすごく人間味があって魅力に溢れた人で
損得かけ値なしに人のために色々できる人なので
シェアハウスにいつ遊びに行っても人・人・人に囲まれていて、
お金に困ってるの…とFacebookに投稿するだけで
ポーンといろんな人がお金を持ち寄ってくれる、そういう人なんだけど、
いかんせんお金儲けについての能力が恐ろしく欠落している人で
なんていうか、笑えないくらい似た思想をしているので
自分ごとのように心配でずっと見守っていたんですよね……。
私は500人を動かす元気なんてないし、
自分の弱みを晒してまで今困っていることを訴えたりできないけれど
それでも人のためならお金は出すし、
自分のために来るお金については
出してくれる人の気持ちがこもっていれば額は別にいいや。
みたいなところがあって、
いつまでもお金が貯まらない。
そういった人が自分以外にもいるっていうのが
なんとなく嬉しくて、濃く絡みはしないものの
ちょいちょいその人が困ってそうな時はDMしたり
食材を届けに行ったりしていたわけです。
んでまぁ、その人は私なんかの100倍パワフルな人で
(ブルーな時も100倍ダメ人間になるけれどw)
その人が言うんですわ。
「恥ずかしいことなんて、自分が思い込んでいるだけなんだよ」って。
人は自分が思っているほど自分のことなんて見てくれていないし、
やりたいことがあるのに人の目なんか気にしてちゃダメ!!
って。
ほんでな、迷ったら駅前で歌を歌ったり、ヒッチハイクをしてみろって言うわけですわ。
見てくれていないことに凹むけれど、それでも手を貸してくれる人がいるってことに気付けるし
自分は一人じゃないんだってことに気付けるんだと。
さすがに私みたいなヘタレには駅前で歌を歌ったり、ヒッチハイクはできないけれど
自分自身にかけているブレーキはなんだろうなってことを
その人にあって久しぶりに考えてしまったわけです。
今自分がやりたいことがあるのに、前で進みきれないのは何が問題なんじゃろね?と。
そこでまた久しぶりに読み返していた「もやしもん/石川雅之 作」にて
主人公の幼馴染が『自分にない極端な選択』をしてかけ離れた経験を通して
新しい自分を世界を知るっていうやつに
改めて「そうなぁ〜」って感心したりしてました。
まぁ割と自分も人見知りのままではイカン!と
高校入った時に今も腐れ縁となるあもさんたちに話しかけに行ったり、
専門学校入ってからは礼儀正しくいつまでもかしこまっていなくても良いんだってことに気づいたり、
(一般社会からはみ出しても良いという世界にすごく頭をカチ割られました)
まともに就活をして就職もできたのに(しかも超氷河期に!!)
あっさりと辞めて次のところにバイトに入った時も
小学時代からパソコンを使った仕事なんて絶対に嫌だと思っていたのが
DTP天職やんけ!!って気づいたり、
30歳過ぎて「いやいやゴスロリとか何言ってるの?」ってところをあえて進んだり、
写真に撮られる側とか絶対無理って思っていたのに撮られるようになったり
なんだかんだとチャレンジしては変容してきたなぁと思ったりしていました。
自分の中にある向いてる・向いてないは結局経験を通してでしか分からないので
行き詰まったりしたら、一度別の世界を覗いて新しい体験をし
やっぱり今までの道が合っているのか、
もっと別のものが待っているのか、
そういったことを試してみても良いんだと思います。
体力の限界があるので、向いてる・向いてないは若いうちに気付けると良いとは思いますけどねw
とはいえ、自分の中にある「これはないわー」ってものがあるのなら
そちらに飛び込んでみるのも一興かもよ?って話。
あとは何かを見た時に「自分の方がうかくやれると思うんだけどなー」っていうのは
意外と自分の中にできることがあるってことに自覚しているってことみたいなので
「うまくやれそう」ってものが見つかった時は
積極的にやってみると良いと思います。
✳︎
シェアハウスの撤収ラストパーティーに同席して
いろんな話ができてよかった。
元気な人をみると元気をもらえるものですなぁ(*´∀`)
私もそうやって誰かに元気を分けてあげられるくらいになりたいものです。
そんな感じ。
そんじゃまた。
明日は仲良くしてくれた友達のお通夜があるのでシンミリモードだと思いますが
適当によろしくお願いいたします。
そのシェアハウスラストデーにお邪魔するべくお出かけてしてきたsachiakiです。
運営していた本人様はすごく人間味があって魅力に溢れた人で
損得かけ値なしに人のために色々できる人なので
シェアハウスにいつ遊びに行っても人・人・人に囲まれていて、
お金に困ってるの…とFacebookに投稿するだけで
ポーンといろんな人がお金を持ち寄ってくれる、そういう人なんだけど、
いかんせんお金儲けについての能力が恐ろしく欠落している人で
なんていうか、笑えないくらい似た思想をしているので
自分ごとのように心配でずっと見守っていたんですよね……。
私は500人を動かす元気なんてないし、
自分の弱みを晒してまで今困っていることを訴えたりできないけれど
それでも人のためならお金は出すし、
自分のために来るお金については
出してくれる人の気持ちがこもっていれば額は別にいいや。
みたいなところがあって、
いつまでもお金が貯まらない。
そういった人が自分以外にもいるっていうのが
なんとなく嬉しくて、濃く絡みはしないものの
ちょいちょいその人が困ってそうな時はDMしたり
食材を届けに行ったりしていたわけです。
んでまぁ、その人は私なんかの100倍パワフルな人で
(ブルーな時も100倍ダメ人間になるけれどw)
その人が言うんですわ。
「恥ずかしいことなんて、自分が思い込んでいるだけなんだよ」って。
人は自分が思っているほど自分のことなんて見てくれていないし、
やりたいことがあるのに人の目なんか気にしてちゃダメ!!
って。
ほんでな、迷ったら駅前で歌を歌ったり、ヒッチハイクをしてみろって言うわけですわ。
見てくれていないことに凹むけれど、それでも手を貸してくれる人がいるってことに気付けるし
自分は一人じゃないんだってことに気付けるんだと。
さすがに私みたいなヘタレには駅前で歌を歌ったり、ヒッチハイクはできないけれど
自分自身にかけているブレーキはなんだろうなってことを
その人にあって久しぶりに考えてしまったわけです。
今自分がやりたいことがあるのに、前で進みきれないのは何が問題なんじゃろね?と。
そこでまた久しぶりに読み返していた「もやしもん/石川雅之 作」にて
主人公の幼馴染が『自分にない極端な選択』をしてかけ離れた経験を通して
新しい自分を世界を知るっていうやつに
改めて「そうなぁ〜」って感心したりしてました。
まぁ割と自分も人見知りのままではイカン!と
高校入った時に今も腐れ縁となるあもさんたちに話しかけに行ったり、
専門学校入ってからは礼儀正しくいつまでもかしこまっていなくても良いんだってことに気づいたり、
(一般社会からはみ出しても良いという世界にすごく頭をカチ割られました)
まともに就活をして就職もできたのに(しかも超氷河期に!!)
あっさりと辞めて次のところにバイトに入った時も
小学時代からパソコンを使った仕事なんて絶対に嫌だと思っていたのが
DTP天職やんけ!!って気づいたり、
30歳過ぎて「いやいやゴスロリとか何言ってるの?」ってところをあえて進んだり、
写真に撮られる側とか絶対無理って思っていたのに撮られるようになったり
なんだかんだとチャレンジしては変容してきたなぁと思ったりしていました。
自分の中にある向いてる・向いてないは結局経験を通してでしか分からないので
行き詰まったりしたら、一度別の世界を覗いて新しい体験をし
やっぱり今までの道が合っているのか、
もっと別のものが待っているのか、
そういったことを試してみても良いんだと思います。
体力の限界があるので、向いてる・向いてないは若いうちに気付けると良いとは思いますけどねw
とはいえ、自分の中にある「これはないわー」ってものがあるのなら
そちらに飛び込んでみるのも一興かもよ?って話。
あとは何かを見た時に「自分の方がうかくやれると思うんだけどなー」っていうのは
意外と自分の中にできることがあるってことに自覚しているってことみたいなので
「うまくやれそう」ってものが見つかった時は
積極的にやってみると良いと思います。
✳︎
シェアハウスの撤収ラストパーティーに同席して
いろんな話ができてよかった。
元気な人をみると元気をもらえるものですなぁ(*´∀`)
私もそうやって誰かに元気を分けてあげられるくらいになりたいものです。
そんな感じ。
そんじゃまた。
明日は仲良くしてくれた友達のお通夜があるのでシンミリモードだと思いますが
適当によろしくお願いいたします。