明日が試験日なんでね、お仕事もひと段落しているので勉強モードにシフトしているsachiakiです。
と、その前に昨日と今日はやたらとグッタリするので
うまく勉強できないんですわー……。
昔っから低血圧なのもあるけれど貧血持ちだからねー、
多分夏の暑さにやられてビタミンなどが不足してしまってるんでしょうね。
体力回復にはビタミン必須ですもんね。
と、いう言い訳をしつつ。
今日は『錯覚の科学』を復習してますよ。
若干『危機の心理学』とも被っているところがあるのが
この ”人の記憶は確実なのか” に出てくるフォールスメモリーであります。
人間の記憶が曖昧なのって、人間の記憶の仕組みが正確に記憶するのではなく、
経験則に基づいて覚えるからなんですよね。
つまり正確には覚えなくてもスムーズに行動することができるようになっている
脳のすごいシステムのことなんですけれど
人間はけっこう曖昧にしか覚えていないので
記憶に正確さを求めるのって危ないんですよね。
そして記憶できない、曖昧だってことくらいなら問題はないけれど、
ありもしなかった記憶を ”あたかもあったように” 思い出すことができる。
こういった植えつけられた記憶というものが恐ろしいのです。
どういったこと?
というと、芥川龍之介の書いた『藪の中』や森鴎外が書いた『高瀬舟』が良い例なので
読んだことがない人はちょっと読んでみてね。
私たちは ありもしなかった 思い出を聞かれた時に
記憶にないものでも、今まで溜め込まれた記憶をつなぎ合わせて別の記憶を作り出してしまうのです。
さて、このことを踏まえて(記憶の曖昧さにつけこんで)質問をしたりすると
まったく別の記憶を植え付けることもできます。
これを記憶のインプランテーションと言います。
例えば私がなにげなくパンダ氏に
「昨日のラーメンまずかったよねー」と言ってみます。
さすがに前日のことなのでパンダ氏は
「いや、昨日はラーメン食べてないじゃん」
って否定します。
そして1ヶ月の間、外食もせずに過ごしていたとして
「ちょうど1ヶ月前くらいに食べたラーメンまずかったよねー」
というと
「あぁ、あのラーメンはなかった。次はパスタの店に行こう」
と、あたかもあったように返答してくる。
こういう記憶違いが生じるってことなのです。
それも間違ってる記憶なのにありありとリアリティをもって、鮮明に思い出すことができる。
こういったことがおこるってことなのですね。
ラーメンを食べたかどうかくらいなら大したことないけれど
契約とかの話だったりしたらどれだけ恐ろしいか、ちょっと考えてみてください。
だからこそ契約など大切なものは外部記憶装置に頼れ、ということになります。
例えば契約書にて約束を取り付ける、例えばメールでのやり取りにしてログを取る
などですね。
もともと人間は一度に記憶できることは7つ程度しかないことや
記憶保持をしている間に忘れてしまったりボヤけてしまったりするので
いざ記憶を取り出そうとしても、検索ワードが思いつかないなどもあり
かなり曖昧である、ということは注意しておかないとならないのかもしれません。
てことで、記憶力がただでさえ悪い私は単位を落としかねない!ってことなので
頑張って復習してきます。
そんじゃまた!じゃぁねー。モイモイ
追伸:とうとうツールドフランスも昨夜終わってしまい、大変寂しいなと思っているところです。
あぁ、もう夏が終わったかのようだよ、、パトラッシュ。。。
と、その前に昨日と今日はやたらとグッタリするので
うまく勉強できないんですわー……。
昔っから低血圧なのもあるけれど貧血持ちだからねー、
多分夏の暑さにやられてビタミンなどが不足してしまってるんでしょうね。
体力回復にはビタミン必須ですもんね。
と、いう言い訳をしつつ。
今日は『錯覚の科学』を復習してますよ。
若干『危機の心理学』とも被っているところがあるのが
この ”人の記憶は確実なのか” に出てくるフォールスメモリーであります。
人間の記憶が曖昧なのって、人間の記憶の仕組みが正確に記憶するのではなく、
経験則に基づいて覚えるからなんですよね。
つまり正確には覚えなくてもスムーズに行動することができるようになっている
脳のすごいシステムのことなんですけれど
人間はけっこう曖昧にしか覚えていないので
記憶に正確さを求めるのって危ないんですよね。
そして記憶できない、曖昧だってことくらいなら問題はないけれど、
ありもしなかった記憶を ”あたかもあったように” 思い出すことができる。
こういった植えつけられた記憶というものが恐ろしいのです。
どういったこと?
というと、芥川龍之介の書いた『藪の中』や森鴎外が書いた『高瀬舟』が良い例なので
読んだことがない人はちょっと読んでみてね。
私たちは ありもしなかった 思い出を聞かれた時に
記憶にないものでも、今まで溜め込まれた記憶をつなぎ合わせて別の記憶を作り出してしまうのです。
さて、このことを踏まえて(記憶の曖昧さにつけこんで)質問をしたりすると
まったく別の記憶を植え付けることもできます。
これを記憶のインプランテーションと言います。
例えば私がなにげなくパンダ氏に
「昨日のラーメンまずかったよねー」と言ってみます。
さすがに前日のことなのでパンダ氏は
「いや、昨日はラーメン食べてないじゃん」
って否定します。
そして1ヶ月の間、外食もせずに過ごしていたとして
「ちょうど1ヶ月前くらいに食べたラーメンまずかったよねー」
というと
「あぁ、あのラーメンはなかった。次はパスタの店に行こう」
と、あたかもあったように返答してくる。
こういう記憶違いが生じるってことなのです。
それも間違ってる記憶なのにありありとリアリティをもって、鮮明に思い出すことができる。
こういったことがおこるってことなのですね。
ラーメンを食べたかどうかくらいなら大したことないけれど
契約とかの話だったりしたらどれだけ恐ろしいか、ちょっと考えてみてください。
だからこそ契約など大切なものは外部記憶装置に頼れ、ということになります。
例えば契約書にて約束を取り付ける、例えばメールでのやり取りにしてログを取る
などですね。
もともと人間は一度に記憶できることは7つ程度しかないことや
記憶保持をしている間に忘れてしまったりボヤけてしまったりするので
いざ記憶を取り出そうとしても、検索ワードが思いつかないなどもあり
かなり曖昧である、ということは注意しておかないとならないのかもしれません。
てことで、記憶力がただでさえ悪い私は単位を落としかねない!ってことなので
頑張って復習してきます。
そんじゃまた!じゃぁねー。モイモイ
追伸:とうとうツールドフランスも昨夜終わってしまい、大変寂しいなと思っているところです。
あぁ、もう夏が終わったかのようだよ、、パトラッシュ。。。