女子の中のカテゴリーって
なんか色々とあるみたいですけれど、
ずいぶんと前に「江古田ちゃん」という漫画が流行った時に
”隠れ猛禽”と呼ばれる女子が描かれていて
あれ?私っぽくね?って思っていたら
他の人からも「これさっちゃんだよね」と言われて
なるほどそれで古くから「モテるでしょ」って
やたらと言われてたのか……などと
ガッテンがいったsachiakiです。
別に自慢したいとかそういうんじゃなくて
久しぶりにとあるポストを見ていたら
「地味な女は猛禽」っていうのが回ってきて
あー、まぁそうね。
って思ったっていう。
見かけだけの猛禽って意味で
海外帰りの女子に多い、自己肯定感がバカ高くなって
化粧とかも強強で身だしなみがビシーっとしている人がいるけれど
実はそういった女性は狙ってる人が落とせないという
ジレンマがあるんですよね。
曰く、なんだかんだで男性側も繊細で脆いので
自分自身に力を入れる人よりも
人に対して力を発揮してくれそうな
サポートしてくれそうな女子の方がウケてしまう。
つまり「地味な女性」が強い。
というパンドラの箱があるんですよ。
結局のところ、お互いが「サポートをして欲しい」
といった欲求を持っているので
折れることのできる人が需要高く
あっという間に売れていってしまい、
「なんであんなのが!」キィってなっている間に
そのことに気づけた人から
どんどん売れていってしまうという現実があるんですな。
現実というのはいつも残酷です。
世の中では「自分を大事に」といい、
「我慢をしなくて良いのだ」を強調してきたので
「他人を大切に」が後回しになり始めてるな〜
なんてことを少し思ったりもします。
「他人を大切に」できている人が
「自分を大切に」できないからこそ
そういった言葉が一人歩きして
自分大好きな人が「自分を大事に」して
「他人を大切に」できないのって
けっこう致命的だと思うんです。
にしのかなの「トリセツ」が歌われた時に
この歌ヤベェって思ったものですけれど、
今や女性のご機嫌を取れない男性は
生きる価値なしにまでなっている?のかもしれません。
まぁ戦後わりとすぐから
「かあちゃん(伴侶)には逆らえない笑」っていう
自虐がけっこうありましたけどね。
「かあちゃんには逆らえないなぁ笑」
って笑って過ごせる範囲の窮屈さを
楽しんでいるのはお互い様よね
っていうものだと思いますけれど、
もはや「かあちゃんになるかもしれない」勢には
生存の許可を得なくてはならないほど
チー牛という言葉が定着して
ドロドロとした男女の憎悪をぶつけ合っているのが
滑稽にしか見えません。
互いに歩み寄り、違いを楽しめばいいじゃないですか。
なんて思うけれど、
感情というものは理性を軽く飛び越えてしまうので
感情的に無理となったものに対して
努力をしようという気力は多分にないのですよね。
まぁなんていうか隠れ猛禽と呼ばれる私的には
告白されたこともちょこちょことあり、
嫁になって欲しいと言われたことも
まぁまぁあるものの、
どれも気持ちが悪いと思ったことはないので
この漫画のコマの女性の気持ちっていうのが
大多数の女性の気持ちだと言われても
全くピンと来ないなって思っていました。
↓

「興味のない人から向けられる好意ほど
気持ちの悪いものってないでしょう?」
コテンパンに振ってあげた方が優しさっていうけれど、
そういうことじゃない、なんていうか
嫌悪の仕方がすごくてわけがわからん。
そういや私はファザコンな上にブラコンなので
洗濯物を同じにされたりしても
別になんとも思わなかったのよなぁ。
それはそれで遺伝子的にダメなんだけど。
とりあえずこの漫画の女の子のような
狭量な気持ちにはまったく共感できないのは
おそらくそういう気持ちの余裕というか
懐の広さみたいなものが強者の証で
隠れ猛禽たる所以なのかもしれません。
なんか自分を持ち上げるみたいで
すごくアレだなって思うんですけれど、
もし「懐の広さ」がその獲得性質ではなく
生まれ持ったギフトなのだとしたら
かなり絶望的な気持ちになるなって思ったのでした。
このままだと人類は滅んでいくだけなのかもしれない……。
そのことを昔の人は知っていて
受け入れられないものでも
無理やり押し付けないと生存戦略できないと
とんでもない婚姻習慣などが
あったのかもしれないですね。
そんなことをフと思いました。
人と一緒に過ごしていれば
情が湧いてくるってもので
それが「愛情」でなくっても
成り立つものはあるんだぞって話なのかもしれません。
とはいえ、やっぱり自由恋愛は素晴らしいと思うし、
なくならないように憎悪をぶつけあうことは
早々に切り上げないと
色々と危ないぞって思います。
モイモイ