こんなに美味いなら先に言え!寿司ーーーー!!
美味いという自覚はあるのかっっっ寿司っっっ!!
と絶叫する寿司ゲームの実況を見続けたせいか
寿司が食べたいな〜と思っていたところで
接待お寿司を受けてきたsachiakiです。
お肉が苦手なのでお魚がいいですね
って言ったらお寿司になったよヾ(⌒(ノ'ω')ノわーい
で、お寿司を食べながらあれやこれやの話をしてた時に
「今日はおそらく好きだろうと思うプレゼンを持ってきました」と
手渡された雑誌が、ほんの数日前に読みたいなって思っていたもので
マジか!って驚いてしまいました。
旧Twitterでは社会問題等についての話題に触れるので
そちらの私を知っている人ならいざ知らず
全然そういった話をしない方からもらったので
どこで「このジャンルの本が好き」と嗅ぎつけたのか
不思議だなぁ〜ってなってきました。
ちなみに『スペクテイター』という雑誌です。
まさにここ数ヶ月わたしが日記でちょいちょい書いてきた
それはそれ、これはこれ。
といった棚上げをすることで違いを許容する
そういったことが大事なんじゃないの?
っていうような話の最前線が載っていて
目から鱗が落ちまくりました。
相手の文化が気に入らない。
そこまではそういうもんだと思う。
でも相手の文化を潰してもいい。
これは暴力的だと思うんです。
そりゃもちろん、今でも人柱が文化で
毎年一人村の乙女が選ばれて
神様に生贄にならなくてはならないしきたりなのだ
なんて言われたら、なんて野蛮なのだ!
って思うのは当然なんだけど、
だからといって、内側からその疑問が起こらない限り
外側から壊すっていうのはもっと違うって話なんですよね。
まぁその延長線上で大きな国の中にある
小さな民族をどう扱うかっていう時に
内政干渉となるのか、人道倫理として訴えるかが
問われるところはあると思うけれど、
それでも基本的には外側が壊して良いものだとは思わないんです。
それは捕鯨とか、犬を食べるとかそういう文化についても
そう思うのです。
人間が食べるために大量に生物(動物)を殺している
だから消費を促す会社を潰すっていうのは
安直だねっとも思う。
”安価で食べられるように大量に”が問題なのであって
”消費を求めるのは殺戮だ”っていうのとは
大きな壁があると思うのです。
私はパレスチナに対するイスラエルのやり方は
とても現代の理性のある人間がやることだとは思えないので
今すぐ虐殺をやめろとは思うけれど、
パレスチナがどうあるべきかは
それは現地の人が決めるものだと思っているのです。
実効支配で問題があるなら、
その問題はお互いの民意であるなにかで解決されるのが
良いと思っているんです。
他にもLGBTQ+だったりフェミニズムだったり
外圧で変わるっていうことはあるけれど、
外圧を受けて変わるのは
その内側からの力での変容であって
押し付けられるものじゃないと思うんです。
いつもこの手の話を考える時に
私は「スタートレックエンタープライズ」の話で
「第3の性」という話を思い出します。
この話はかなり重いので、
覚悟をして見ないとならないんですけれど
あらすじに触れると
ある惑星では生殖をする際に
別の種族を介さないと増えることができない
それゆえに仲介をする種族に対して
教育をほどこさずに扱っていた。
そこに文化の外側から来た異星人(エンタープライズクルー)が
仲介する種族の扱いを不当に思い、
色々と世話を焼き、その仲介者は教育で知性に目覚めるが
その知性ゆえに自分の境遇が不遇であることに絶えられなくなり自殺。
その仲介者を得ないと子供を作れない種族も不幸になった。
というトンデモエピソードがあったのです。
他文化への干渉をする時になにが正義かっていうのは
一つの視点では決められないってことなんですよね。
私はこの話がとても好きで
何度も思い返してはどこが正解ラインなのだろう?
なんて考えこんでしまいます。
その他にも「スタートレック」には異星人がいっぱい出てきて
いろんな価値観でものを考えるので
早いうちから触れておくと多文化への接し方
みたいなものの練習にはなるんじゃないでしょうか。
どちらが悪いっていうことは地球上には存在しないけれど、
どこかでボーダーを引いてグレーでぼかす
っていう仕様は必要。
そんなことを思う今日この頃です。
難い話になってしまったけれど
今日の総論は「寿司が美味いっっっっ」
これです。
寿司の概念が違っていても寿司を愛する心は同じ。
そう「そろそろ寿司を食べないと死ぬぜ!ユニバース」は
教えてくれました。
それではまた。モイモイ!