友人が「絶対に見て!」って言っていたので
どんなものかと前評判を見ていたけれど、
どの友人も「手放しでは面白かったって言えない」と
言っていたので、う〜んそうなのかぁって思って
構えて行ったんですけれど、
なんていうか、普通に面白くって
なんでこれを手放しで面白かったと言えないのか
めちゃくちゃ不思議な気持ちになってきたsachiakiです。
セックスシーンがけっこう頻繁に出てくるので
それで不快な人もいるのかもしれないけれど、
そんなところで不快になるのは
あまりにも弱過ぎるな〜ってなるかな。
不要な恋愛要素をブチ込まれるヒーローアクションものとかの方が
よっぽど不快なんだけど、たぶん逆なんだろうね。
で、タイトルにYoutubeからトレーラーの
字幕部分を切り取ってきたんだけど
この映画のテーマって「成長」だと思うのよ。
人の成長って、きっと特定の人からすると不快そのものなのよね。
なにせ白痴が一番美しいと曰う人は
ある一定の層にいるし、
弱々しい対照がだんだんと知恵をつけて
自分の手から離れていくのに耐えられない人もいる。
この映画の中で主人公のベラは
弱々しい守るべき者だから家から出さず
なんの心配もない場所に閉じ止めておく、
閉じ込められた側は刺激があまりになく
つまらない世界に閉じ込められていないから
色もなく音だけが快楽の全てだったのに、
ある日自分で自分を幸せにする方法を得るんですね。
それはだいたいの人間が「ウッ」となる
あの自慰行為のことなんだけど、
たしかに子供が自慰行為をしていたら
誰だって「ウッ」となると思うんです。
でも「なぜしてはいけないの?」の
正確な答えを持っている人はいないと思います。
彼女はこの「自分を幸せにする方法」の拡大版
セックスで様々な困難を乗り越えていきます。
だけど、本題はそのセックスになるのではなく
彼女の中でその幸福度を抜くものがないというのが問題なんです。
彼女に魅了された人がただ彼女を縛る道具として
愛や金や世界旅行や良識を押し付けるんですね。
だからその窮屈さをセックスで発散させつつ、
様々な問いを彼らに問い続けるわけです。
宗教上でタブーだからと言っていた人、
自分自身は散々女を捨ててきたのに
自分が捨てられる側になると知って発狂しちゃう人、
娼館に訪れる偉いと思われる役職の人たち、
世間的な上部のベールに包まれて
ちょっと服を脱いだだけで獣と変わらない
そういったことを受け入れられない人たち。
だけど、ベラは「改善」して「向上」したい
って意欲に満ちていて
船上で閉じ込められている時に
(物理的に閉じ込められているわけじゃないよ)
出会った黒人の青年と白人の老婦人の二人組に出会い
本を与えられて知識を貪るように身につけていくんです。
彼女は常識なしなことを好んでいるのではなく
「なぜ」を問うているだけで
自分が悪いことをしたのだと発見した時には改善していきます。
それらを今までは経験でしか体得していなかったのが
本の中での体験を通して「良いこと」をみつけていきます。
ご婦人は「肉体の快楽よりも思考の快楽が上回るの」って
いうけれど、ベラの「肉体の気持ちよさを忘れる?」という問いには
「たまに手を使うわ」って微笑んでくれるんですね。
「それを聞いて安心した」と言って
また本の世界に戻っていくところなんて
すごく素敵なシーンだなって思いましたよ。
その後彼女は「この世界が残酷なことを教えてあげる」と言われて
高級ホテルから見える眺めとして
下層にいる人々を見せてくれて餓死する人や
病気なのに何もできない人や横たわることしかできない赤子とかを
目にしてベラはとてつもなく衝撃を受けるんですね。
まさにインドに行くと世界の見方が変わるっていうアレですね。
と、様々な経験と知識が彼女を知的な自由人に成長させてくれるので
私はすっごく好きなんだけど
この映画を好きという人とそうでない人との間には
けっこうな隔たりがあるんじゃないかなって思いました。
私は『マルキ・ド・サド』の『閨房哲学』が
まさに似たようなことをテーマにしていると思っていて
タブーと見えるものがなぜタブーであるのかを
ちゃんと考えろって話だし、
べったりと張り付いた偏見の目を取り除いて
世界を見直して、どう自分は生き直すかって話だと思ったので
良い映画だったなって思います。
と、これでも短く書いたつもりだけど長くなってしまったな。
どんな人間も縛られることはできない。
それが一番大事なことなんだと思います。
それではまた。モイモイ!
第80回ヴェネチア国際映画祭最高賞、金獅子賞受賞!『哀れなるものたち』予告編│2024年1月26日(金)公開!