世の中的にはバレンタインですね。
ハッピーにしてますか?
気持ち的に晴れることがないsachiakiです。
とはいえ、そんなズンドコに底冷えしてるわけでなく
ボンヤリとした不安が
ペッタリとまとわりついてるって感じで
出力120%で動くのは無理だけど
出力70%ぐらいで動くことはできるなぁって感じです。
まぁもともとそんなにフル出力で動く方ではないので
こんなもんかって感じもする。
というわけで世の中がどんだけ浮かれていようと
マイペースを貫く性格は変わらないので
自分が浮かれたい時は浮かれるし
そうでないときはそれなりにを信条にしてるので
今日もそういう感じです。
さて、そんなバレンタインにややまつわる話として
さっき自分のメモを色々と見返して
これは面白いなって思ったものがあったので
そちらの話を少し。
「セックスロボットと人造肉 テクノロジーは
性、食、生、死を“征服”できるか/著 :ジェニー・クリーマン」
という本をメモに挟んでいてて、
まだ読んでないのであくまでここから連想した話なのですが、
現在のパワハラ・セクハラに次ぐさまざまなハラスメントの話が出てきて
誰かが不快に感じたり、誰かの尊厳を傷つけるような行為が
全てNOと言われるような時代になりつつある背景では
「性愛」なんてのはもっとも忌避されることだろうし、
動物の権利を守るっていうのを延長していけば
環境問題と絡めて培養肉の問題に突き当たるわけで
現在その技術は目まぐるしく成長しています。
「生殖」に関しても、「性愛」が無理となれば
当然のように試験管ベイビーが増えていくことでしょう。
人工子宮がどのぐらいちゃんと機能するのかわからないけれど、
それと並行するように倫理的なことで現在はNGとされている
デザインベイビーもその倫理を超えてくる気がします。
「自死」については人間が老化することに怯え続けて
寿命を延ばすあらゆることをし続けた結果
長寿の人たちが病院で拘束されて
死ぬに死ねないような延命をさせられたりしている現状に
「死ぬ権利」を持ちたいと望んでいるので
これも話をちゃんとしていかないとならない問題だろうと思います。
ちょうど今私の母に対して感じている気持ちと同様に
それぞれの介護者を持つ家族持ちなら
色々と思うことはあるのではないでしょうか。
どんな形であれ生きてて欲しいというエゴと
尊厳をなくしてまで生きる意味を本人が感じているかどうか
それはとてつもなく難しい話だと思います。
これから老人へと進んでいく自分ができることといえば
せいぜい認知がしっかりしている間に
自分がこうなった時はこうして欲しいということを
書面に残し、家族と共有しておくことぐらいじゃないかしら。
当然その究極の時になった時、
本当に自分が理性を持っている時と同じ気持ちになっているかどうか
そんなことまでは考えらんないんですけれど。
と、「性愛」について、現在女性の性を守るべく
AV新法などができたりしてアダルト分野に激震が走ったのも束の間
ギリギリ合法である風俗業に従属するでもなく
若い女性たちが街中に立って、
個人間での売春を成立させてしまっています。
守ってくれるところで自らを売るより
守ってくれないけれど取り分全部を持っていきたいという欲望ゆえか、
結局のところ守りたい対象が守れる城から抜け出し
自らを傷つけるものに対して
社会はどう折り合いをつければ良いのでしょう。
違法行為と知りながらもそれで性を謳歌できる人もいれば
それはマズいと
セクサロイドやVR空間で性を謳歌する人も出てくるんじゃないかしら。
その時はきっと、セクサロイドやVRで楽しめる人は
一定のお金や権利を持っている人たちだけで、
もたざる人たちだけが違法行為で性のやりとりをする
そういう未来になってしまうんじゃないでしょうか。
そこにある「人間性」とは「理性」と「本能」と
どちらが”らしく”感じられて、どちらが忌避されるのか
ちょっとわからない感じです。
『ブレードランナー』の世界で気に入った相手と
性行為をする際にVR空間に誘う描写がありますが、
これからはそういう時代になるのか、
それとも『すばらしい新世界』のように
性愛は肉体を持って行われるが
さまざまな悪感情(嫉妬や執着)から離脱できるように
常に精神薬を飲んで精神管理をし、
生殖を含む交配は試験管の中でのみとなるのか
いずれにしてもそんな未来を望んでいるのかはなはだ疑問ですが、
今はどちらかに突き進んでいるように感じます。
人を好きになり、その人と声をかけあったり
肌を重ね合わせることが自然なことであり続けるよう
このバレンタインを通してパートナーシップについて
考えてみるのも一興だと思います。
というわけでこの辺にて。
そろそろ病院に行く時間なのでね。モイモイ。