あも&サチアキの交換日記

どうやら交換日記が続いているようです(祝何年目?

久しぶりにコスをした

2024-02-22 | from:sachiaki
けれど、まぁうん。
やっぱりもう隠せないほどアチャーな感じでしたw
どうにもならない場末感で
見せられた方もカンベンしてぇ
って感じだったのではないでしょうかw
どうも。KSBBAになる準備万端のsachiakiです。

折りしも『スナックバス江』が放送中ですが
場末のもうなにもかも輝かしくはない
しかし大人ならではのホッとする空間に
ツッコミ待ちなあれやこれを許容する
あの感じが年寄りの包容力ってやつなのかな?
なんてことを思ったりしてました。
バス江のママが常連にひどいこと言われても
「自尊心が傷ついたわ〜」って笑って誤魔化せるような
あの包容力がたまらないですね。
表向きのコンプライアンスでは
絶対にやっちゃダメなんですけれど、
そこは暗黙の了解で築き上げた人間関係でしかできない
「ここだけの」というのがイイ。

光があれば影が差すものだけど、
暗がりの安らかさは必要で
部屋の電気を消してホッとするような
そういうものが人間には必要だってことですよね。

というわけで、やっぱり「アチャー」な結果になってしまった
ケモミミコスプレも、笑い物となって昇華されたなら
それはまた一つステージを上がれたんじゃないかなって思います。

先日バズッていた話にも
「歳をとるとは可能性を失ってゆくことですが、
 その失った可能性に呪われず、
 潔く手放しながら残った手札でいかにやりくりするか。
 それが生きるということ」(@74no_editor)
とあったので、
年を取れば若い時と同じようなパフォーマンスや
オーディエンスは期待できないけれど
残った手札で面白おかしく生きていくのは
大切なことなんじゃないかなって思いました。

それを自分がやり続けたいかどうかはまた別の話で。

そりゃ完成度が高いもので提供できれば
全然別の形になって、「若い」だけの価値とは違った
大きな評価を得ることもできるんでしょうけどね。

どう生きたいの?
という質問に対して、
やっと明確に恥ずかしいながらも
自分らしい答えが出たので
そう生きていこうと思っているのです。
曰く、成功するとか、注目されるとかではなく
静かに、しかし自分の興味がそそる面白いからブレないこと。
死ぬ時は路上で食べ物もなくて惨めになるかもしれないけれど、
楽しかった!って言えること。
多分ロクでもない答えなんだけど、
これが自然だなって思ったんです。

株価は上がり始め、会社勤めの人たちは給料が上がり始め
個人商店ではなく、大きなチェーンに取り込まれたところが
幸福度を上げていて、
それはそれで実力のない人も幸せになれる
新しい形なのだと思うし、
どれだけ街から色が消えても、
それは生命維持として正しい形なんだと思う。
そんな中で一点の汚点として生きるのも
なんていうか、アウトサイドを歩くみたいで楽しいかなって。
や、本当にロクでもないので
姪っ子や甥っ子たちには、
さっさとマネー運用の勉強とかしてもらって
よりよく生きる糧を見つけてもらいたいと思ってるんだけどw
見捨てられた世代の見捨てられた側から見た世界ってのを
どこかで残せたらいいなって思う次第です。

呆れるほどダサい話だけど。

世界の端っこのそのまた隅っこで
ジメッと生きていこう。
たとえどんだけ笑われても。
そんなことをコスしたみじめな自分を見て思いましたとさ。
それではまた。モイモイ。
コメント
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