スプラトゥーン3を作りにあたり、
次のテーマを「秩序」にするか「混沌」にするかが
スプラトゥーン2の最後のフェスのお題だったそうで
結果が「混沌」となり、
スプラ3はハイカラがテーマの1と2からイメージが離れ
世界観がバンカラな街ということになったそうです。
私は3から入ったから3の世界観しかわからないけれど、
エキスパンション追加コンテンツを手に入れた時に
「ハイカラ街」にも行けるようになって
たまに行き来をするようになったんですけれど、
うん。バンカラ街は汚いけれど私はこちらが好き。
落書きがいっぱいあって、
至る所にステッカーとか貼ってあって
マンションからは住んでいる人たちの
生活が垣間見える洗濯物たちがブラ下がっている。
いわゆるアジアの都市ってやつですね。
オーバーツーリズムについては悩ましいものがあるけれど、
人は人臭さというか、動物的なところに
安心するものがあるのだと思うsachiakiです。
街中を歩いていてゴミを見つけたら拾って捨てるとかするんだけど、
だからといってゴミひとつ落ちてない街っていうのは
それはそれで不思議な気がするんよねぇ。
それは壁に描かれることが多いグラフィティと呼ばれる落書きも同じ。
ただ汚くなっていくと治安も悪くなるのが問題なんだけど、
ようはゴミを捨てたり落書きを放置してしまうほど
無気力で理性のない証左になり、
自分もそのレベルの低さに
慣れていってしまうってことなんだろうけど
じゃぁ大きな組織にゴミを出さないシステムを強要されたり
「お前たちは理性がない生き物だから」と
色々なものを管理されるのが良いのか?っていうと
いや、それは勘弁してくれって思うのが人情じゃないでしょうか。
ほどほどに抑圧されつつほどほどに自由というものを
維持していくのは難しいものなのかもしれません。
ものごとは極端な方向に流れそうな時に
カウンターの力が働いて逆振りして
っていうのを繰り返して進んでいくのかしらん?と。
それってヤジロベェのようだな〜と思ったりです。
ここ数年のポリティカルコネクトの話や
クリーンエネルギーだのなんだのを見ていて
今までカウンターの力だったものたちが
数になりつつある今、
きっとカウンターの力は動いているんじゃないかしら?
とも思っているんです。
もちろん良いところはちゃんと残しながら
それでもやり過ぎと思われる部分は削がれていく。
レトロを求める人たちのあの感覚は
ただ懐かしいというような意識だけでなく
汚いところや劣っているところを
もう一度取り込みたいというような
そういう流れがあるのではないでしょうか。
一番悪いところは引き継がないようにしつつ再評価する。
いわゆるルネッサンスですわね。
今回に揺り返しはどの辺までのことなのでおゆか。
さすがに1,000年前まで掘り返そうって思っているとは思えないけれど、
出に平安時代とかやたらと見直されているので
やっぱりそういうのなんでしょうかね?
野蛮なものや粗野なものっていうのは
まったく良いものではないけれど、
それら全てを否定できるようなものでもないのでしょう。
スプラ3の追加コンテンツ『サイドオーダー』より
秩序の塔を攻略している最中にて
秩序の塔の色のない世界も綺麗だけど、
やっぱりたくさんの色に溢れていて
ちょっと汚いバンカラ街でホッとしたってところから
そんなことを考えていました。
モイモイ。