日曜日から変な匂いが自分の鼻奥からしていて
これは風邪ひいてるなぁ〜って思ってたんですけれど、
昨日はもう起きてられないぐらい眠くて眠くて
人に会うために一度出かけたくらいで
その後はずっとぼんやりとしていたsachiakiです。
で、今日は12時間寝たおかげか
比較的調子を取り戻した感じです。
鼻の奥の匂いは残っているので
早く耳鼻科行けって気もするけれど……。
それはさておいて。
そんなダルい目覚めだったのですが、
起きて最初に見たニュースが「脱成長」を語るもので
お、おう。となっておりました。
私もどちらかといえば「脱成長」を目指す人たちのことの
言葉がわからんでもないって思う方ですが
まぁぶっちゃけですよ、人類にはまだまだ早すぎる考え方だな
っていうのが一番大きな感想だったりします。
私たちは資本主義という競争社会にいるからこそ
持つものと持たないものの格差があって
その開きがあるから不平不満も溜まるし、
増やすためなら悪行(法的な意味でなく)も辞さない
そういったものの中にいるように感じます。
だったら急激な成長(増やす)ではなく
あるものを大事にしようって考えるのは
シンプルに考えればそうなるなって思ったりします。
私も環境保全などは必要だと思ってるからね!
リゾート(誰かの悦楽)のために奪うものっていうのは
よくよく考えなくちゃいけないって思っています。
とはいえ、よ。
エントロピーが増大するのは世の理ってなもので、
増やさないを是とするのは
ほとんど無理な話なんじゃないかなぁって思います。
より良い暮らし、より良い未来。
それを描いて人類は進んできたわけだし、
それを否定するのはやっぱり無理筋な感じがします。
より良い暮らしとはなんなのか?
そう問うことはできるんじゃないかな。
だから今の暮らし(今の軸の成長路線)を否定するのではなく
これからの暮らしをどうゆるやかに右肩上がりするかを
考えるってことが重要なんじゃないかしらと。
そしてその時に、ただたんに
「脱成長は地獄への道」「脱成長は共産主義」って
忌避するんじゃなくて、
この人たちの言っている環境保全や
儲け主義ではなく、資本の格差が開かない成長って
どんなものなのかな?って考えることなんじゃないかしら?
なんてことを思いました。
両極があるからこそ中間があるように
極端な意見が出てきたことには
問いただすことができるきっかけができたと
喜ぶ時なのかもしれません。
人というのは誰かより優れているという部分が
その人の個性になったりします。
だから誰かよりもっと良い人生を送りたい
もっと良い目に会いたいというものを否定しては
なにも進まないんじゃないかなって思います。
「誰かよりもっと良い人生」というのだって
人よりも多く儲けたいって人もいれば
人よりももっと尊敬されたいって人もいるし、
人よりもずっと人気者であることを喜ぶ人もいる。
今はそれらの手段がお金持ちになって
そのお金持ちになる方法で尊敬されて
人気者であるという総取りを目指すから
なにか変な感じがするのかな?って気もします。
人の数だけ幸せの感じ方が違うのだろうし、
成長のみを押し付けず、脱成長を押し付けず
それぞれの喜びを体現していけたら良いんじゃないでしょうか。
社会活動をしながらだって儲けることはできるんですし。
そういったものに対して嫌儲であれと思っているから
格差が広がったりするんだと思うよ。
そんなことを思いました。
それぞれ幸せになりましょう。
ってことで、解散!モイモイ。