あも&サチアキの交換日記

どうやら交換日記が続いているようです(祝何年目?

直接会うことの意味について

2022-02-09 | from:sachiaki
お店を開いている意味もそうなんだけど、
やっぱね、人と会うことの意味ってあるよね
なんてことをシミジミと感じていたsachiakiです。

今日はとある一人お芝居の天才をおうちにお招きしていたんです。
そう、昨日の日記で「人を待っている」と書いていた待ち人その人です。
今日は無事に辿りついてくれてヨカッタ ヨカッタとなりました。

そして狭いお部屋に通してお腹が空いてないか?と聞き、
いきなり鍋を振る舞う我が家。
親戚のおばさん並みに「これは食べる?何飲む?」と
矢継ぎ早にもてなしをしていき、
いらしてくれた待ち人も目を白黒させながら
「あ、ありがとうございます鍋いただきます」
「え、では雪印のコーヒーをお願いします」
などと返してくださり、
なんだかんだで鍋を囲みながら笑いっぱなしな時間となりました。

そして直接人と会う意味をシミジミと考えていたのですが
やはり情報量の密度の差なんだろうなってことで
割と腹落ちしていました。
よく言われていることですし、発達障害などを持っている方の中でも
一部の方は直接会って話すということの情報量の多さに頭が混乱するので、
できるだけ会わずにチャットでのやり取りができたら楽だ
という話も聞いたことがあります。
先日とあるアニメについて書きましたが、
長い説明台詞は冗長部分だ!って私が思ったのも
そういった言葉にせずともできる情報伝達を無視していることで
情報が重複して鬱陶しいってことでもあるんですよね。
人は言葉以外の情報がとっても多いんです。
目を合わせる回数やタイミング、
しきりに手先や足先が動いていないかなどの癖、
喋る時の音の大きさやテンポなど
呆れるほどたくさんの情報が言葉以外に溢れているんですよね。

そもそも、今日いらしてくれたこの方は
私の家からは1時間以上はかかるところにいる人で
わざわざその時間をかけて来訪してくれたこと、
そしてただ鍋を食べるという時間も共有してくれたこと。
その人の人生のほんの刹那の時間であれ交差したという意味。
再会がいつになるかはわからないけれど、
「またお会いしましょう」と言い合える心地よさなど
たくさんの言葉にならないものを受け取り
また与えたのだろうと思います。

ちなみにうちの人見知り大明神なダンナ氏ことパンダさんは
ずっとビールを飲んでひとしきり小芝居を打っておりましたw
一人芝居で各地を回っている人の前で
よくできるなぁと感嘆してしまうところですが
ご覧になっていたその人もすごく笑っていたので
やはり狂人同士なにか通じるものがあるのだろうな
なんてことを思ったりしました。(ぉぃ

とにもかくにも、大変良き時間を過ごすことができ
私は大満足であります。

私もお世話になった人、これからお世話になるだろう人のおうちに
直接会いに行きたいものだとしょっちゅう思いながら
なかなか重たい腰が上がらないでいるので
実行できる人というものを改めて尊敬いたしました。

というわけで時間がだいぶ押してしまいましたので
今日の日記をこの辺で閉じようと思います。
そんじゃまた。モイモイ。
コメント (2)
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人を待っている

2022-02-08 | from:sachiaki
今日はとある関係でおうちにお客を招くので
その人を待っているのだけれども
どういうわけかなかなかうちにたどり着けないそうで
前回の私が友人宅にたどり着けなかったことなどを思い出し、
今はそういう時期なのかな?なんてことを思ったりしていたsachiakiです。

それはそれとして。
毎週火曜日にはオンライン上で読書会?をしているんですけれど
お互いに読みたい本を制限時間で読み、
5分で読んだものをまとめて感想を述べるってやつで
私は「忘れられた巨人」を読み始め、
相手は「自分に集中する技術」という元僧侶の本を読んでいるのですが
今日はその中でも「自分に集中する技術」という話の中に出てきた
人間関係っていう段で「信頼」についての話をしていました。
私は基本的に同じ人間の中でもA、B、C、D...と
入れ替わり立ちかわる人格があり、
時間によってはまったく別人になっていることもあるので
その人の中の一貫性を信頼して
「こういう人だとは思ってなかった!」みたいなのは
ナンセンスだって思っているし、
それは信頼ではなく「期待」もしくは「依存」だと思っているので
人に対してなにかを施したからといって
それを受け取れるとは考えていないわけなのね。
でも与えたその人自身からは受け取れないことでも
めぐりめぐって受け取ることって多々あって
だからこそ私は与えれば返ってくると思っているし、
返ってくることを前提に与えるのは違うと思ってるんです。
それは先程の人格がくるくる回るのと同じで
世の中の流れっていうのが回る…流転するものだと思っているので
返ってこないっていうのは、
それはそれであり得ないとも思っているわけです。

なんだけど、読書でその本を読んでいる本人は
「返ってこないこともある」としきりに言っていて
この作者は考え方が甘いと思うって言うわけなんです。

で、その話の延長で「信頼」という話になって
「信頼関係の4つのステージ」という話になったんですね。
そこには契約という信頼、から純粋な信頼というものまであって
ちょっとメモしそびれたのでステージ全部は覚えてないんですけれど、
ふーんって感じだったんです。
で、私は上に書いたように人間は信用するに値はしないが
信用するしか世界は動かないって話をしたんです。
そしたら、じゃぁこの話は終わりですって切り上げられたので
う〜んとなってしまったり。

人を心の底から信頼しないと言いつつ
人からの善意や好意は返ってくると信じている私と、
人を信頼するベースで考えているのに
人からの善意や好意が返ってこないと主張する相手。
どちらも見え方が違うだけなんだろうなぁと思うけれども
生きやすさはどちらなんだろうか。

さて、こんな日記を書いている間にも刻一刻と状況は変わっており、
待っている人は明日の到着となることがわかりましたw
どうも色々と邪魔が入りがちな季節なようです。
まぁ生きてりゃ会えるでしょう。

とりあえず待ち人来ずということが分かったので
夕飯の準備でもしましょうかね。
それじゃまた明日。モイモイ。
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戯言夢日記

2022-02-07 | from:sachiaki
今日は早朝お仕事をブン投げたあと、
睡眠不足を解消するべくガッツリお昼寝をかましていたsachakiです。
忍び寄る確定申告があるというのに余裕だなって自分でも思います。
アカン。

確定申告や事業復活支援金に関すること等々
その他身の回りで起こっている些細なことで
どうやらストレスをチリ積もさせているようで
ここ二日、なぜか目的地とは別のところへ行くバスの夢を見てしまい、
さすがに連チャンは気になったのでググッてみたところ
バスの夢は身近な公共機関のため協調性や道徳性の象徴だと出てきて、
さらに目的地とは違うバスに乗ってしまうのは
自分には進みたい道があるのに周りに反対されたり
逆に流されたりして本来の進みたい道に進めていないという暗示だそうで、
考えすぎずにシンプルに物事を考えてみろっていうものだとか。

うーん、そんなに将来についてなんか考えていたっけなぁ。
昨日の今日って意味なら
この日記の前にあげた日記にあるように
ワクワクすることのスタートかも?というワクワクの後ろにある
かすかな不安を察知したってことなんだろうけれど
二日連続で見たってところが不思議なんだよなぁ。
おとといの晩に見たのは実家に帰ろうとしたら
なぜか行き先の違う循環バスに乗ってしまって
わ!これ違うバスや!!ってすぐに気づくもので、
昨日の晩に見たものは自分が引っ越しをしていて
その場所へ向かうバスに乗ったら
逆に進んだので、うわ!これ違うバス!!ってなったものだしなぁ。
あー、どちらも帰ろうとして違うっていうところに共通性があるかな。

そういえばバスの夢って滅多に見ないって思っていたけれど、
ちょいちょい見てることに気づいたんですよね。
2パターンあって、一つは子供の頃に乗っていたバスに乗るんだけど
母が乗るのを目撃したあと自分は別のバスに乗るっていうものと、
バスの接続停留所に着くんだけどギリギリで
乗り換えがうまくいかないと終電に乗れないっていうもの。
この2つはなぜかちょいちょい見るので
なんらかの不安を抱えているのかもしれないですね。
まぁ母に関しては認知症が徐々に進んでいるのもあって
それが怖いってことなんだろうし
思いつくことがちょいちょいあるかな。

夢って不思議なもので、なぜかよく見かけるモチーフがあって
思い出したことで気づいたバスの夢のように
私はよく川沿いを歩く夢を見たんですよね。
近所の川沿いであることもあれば
見知らぬオドロオドロとした暗い川沿いを
なにかもののけの類に追いかけられている夢も見ました。
よくある速く走れないという体験とセットで。
なぜか足を動かそうとするのにうまく動かせなくて
ゆっくりとした動作に焦燥感が募るやつです。
それも今となっては周りがドンドン進んでいくのに
自分は進めないとか、そういう類の不安の象徴だったのだろうなぁ。
胃腸をよく痛めることから考えても
ストレスにはアホほど弱いってことだし
相当些細なことで引っかかって不安を募らせていたんじゃないかしらん。
今となってはどうにもならない良い話ですが。

そういやRPGツクール史上最高級と呼ばれた
「ゆめにっき」というフリーゲームがあるんですけれど、
あれをプレイすると、たいがいの人が見たことのある
いや〜な気持ちになる夢の風景が広がっていて
それが妙に心地よいのでオススメしちゃいます。
ファンがすごく多かったのもあり、
KADOKAWAツクール開発チームが
正規品として作り直してNintendoからも発売されました。
製作監修として作者のさきやまさんが降臨されてるので安心二重丸なのです。

夢というのは現実世界とは全然違う様相をしているのに
その場にいる時はリアルそのものなので
思い返すと不思議なことが多いけれど
それこそが自分のリアルなんだろうと思うし、
そんなことが不安だったのか…などと気づきも多いので
印象に残っていたものは覚えていたりするけれど、
夢を記録するのはご法度だとも聞くので
ほどほどにしておきましょうね。
(巷の噂では精神が不安定になって発狂するらしい)

ちなみにバスの夢の大オチとしては
その夢を連チャンで見る前日に友達の家に行こうとして
なぜか逆の電車に乗ってしまったり、
降車後も近いはずの家が見つからずグルグルしてしまったという
嫌な思いをしたのがずっと引っかかっていたのだと思います。
よりにもよってお金の仕組みついて相談しに行った日なのもあって
色々と絡み合った結果の夢だったのでしょうね。
どんだけぇ。(古い

と、ネタバレ的なことも書いたのでこの辺にて。
今日はどんな夢を見るんかな。
そんじゃまた。モイモイ。
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久しぶりに相性占いなんぞを見ていたぞい

2022-02-07 | from:sachiaki
まぁ相性占いっていうよりも、
ホロスコープでダブルチャートを作って
自分にとってこの人はどうだろう?
みたいなやつを見ていたってだけだけど。
勝手に見るのは基本的にあんまり良いことではないけれど
気になったことがあったので、公開されていた情報をもとに
ちょいと占ってしまったsachiakiです。

こんなものは当たるも八卦当らぬも八卦ってね
お遊び半分で見ていたんですけれど、
昨日の夜、かなり珍しい人からメッセージをもらいまして
それがアニメの話だったのでキャッキャしていたんですけれど
そのあと全然違う方に話が滑り出して
気づいたらなんかすごーーーーーく楽しそう!
っていう計画の話にまで発展してくれまして
これは実現したらすごーーーーーーーーく楽しいものになるぞぅ。
なんて期待に胸を膨らませつつ、
いやいやいわゆる酒の席での与太話みたいなものかもしれんし
あんまり深くは考えないでおこう、
なんて頭の片隅に話を置いてみたものの
なんとなく気になったので相性占いをしてみたところ
めちゃくちゃ盛り上がりやすいが
散財やぬか喜びなどにつながりやすい相手、
取引先の場合、仕事は楽しいけれど実りは少ない的なものが出てきたので
めちゃやば案件じゃないかい!コレ!!ってなったんですけれど、
そういや巻き込みたい人がいるんだったな、
その人が絡むとどうなんだろう?って見てみたら
これがアホほど発展性のある相性で
え!なにこれすごい。って思わずゴクリと生唾を飲んでしまいました。
なんていうか、粘りのない私からすると
しつこいぐらいに執着のある相手からは学びが深いし
相手からすると狭い世界にとらわれそうになった時に
解放をしてくれる目線を広げる相手となるそうで
しかも一緒にいて楽しいときたもんだコレ。
マジかーってなりましたよね。
そもそも私に今日メッセージをくれた人とのつながりを作ってくれたのも
この相性が良いとされる友人なので
ひとえになんかもーすごい!って気持ちになりましたw
能力の分野が違うことと、二人は比較的硬い人なので
そんな中で「えー!楽しそうじゃんやってみよーよ」っていう
ノリが異様に軽い私という組み合わせが
どうやらハマりそうな感じなのですね。
不動宮の二人に対して柔軟宮の私ですから
地盤固めは二人に任せて、行き詰まりそう…苦しい…って時に
ちょっかいを出すぐらいで丁度良いっていう
あら素敵な組み合わせじゃないってなりました。

ちなみにゲスラジメンバーは良い感じに
活動宮、不動宮、柔軟宮といて
不動宮がまさにうちの要となる人なので
けっこうちゃんと揃うと面白いことになるんだなぁ
なんて気持ちが生まれたりします。
活動宮の人たちが面白いものをみつけてきて
不動宮の人が活動を安定化させ、
柔軟宮が環境を変化させて整えていく。
たしかに私と猫師匠の組み合わせは柔軟×活動で
猫師匠が面白そうなのみっけてきた!
っていうのに合わせて、
私がこうすればできそうだわ〜って言って
なんだかんだ二人でキャッキャしてたら
他の人たちが寄ってきたって感じなので
そういう風にできているのかもしれない。
し、後付けでそう感じているだけなのかもしれない。

それにしても20代〜30代は蟹座ブームで
身の回りに蟹が集まってくる!なんで!!
ってなっていたけれど、
40代になったら蠍ばかりが寄ってきよる。
なんでじゃ。
12星座一幼いと言われて保護欲をかきたてる双子だからか?
(蠍は面倒をみたい人が多い印象)
けっこう適当に生きているので大丈夫なんやで?
そういや動物占いでも気分屋の猿だから
ただでさえ幼く見える猿の中でもバカっぽいと言われるのもあるのか
そういうとこやぞ?みたいなところがあるんだろうか。

まぁそれはそれこれはこれ。
なんだかんだで私の癒しは天秤さん。
猫師匠といると本当に楽しいしなぁ。
ダンナ氏といるのも楽だ。
まぁよく二人には怒られているけれどw

と、全然違う方に話が走り出していってしまいそうなのでこの辺にて。
とにもかくにも、
本当にちゃんと転がりだしたらすごく楽しいことになりそうだよ?
って話でした。
良い報告ができるといいな。

そんな感じです。
そんじゃまた!おやすみなさいモイ〜。
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もっとワクワクしたい

2022-02-06 | from:sachiaki
ちょっとした知り合いからアニメの話をしていたはずなのに
なぜか斜めの方にぶっ飛んでいって
面白い話になったので、実現できたらいいな〜
なんてことを思っているsachiakiです。

その話についてはまだ何も書けないけれど
とりあえず今日の日記を書こうと思います。

が、これから読書会なのでまた真夜中に更新いたします。
ってことで、この辺にて!モイモイ
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本を読むことがインテリの証明とはならんやろ

2022-02-05 | from:sachiaki
メガネが知的アイテムと呼ばれていたのも今や昔。
ここ数年、というよりこの一年ぐらいで
やたらと本を読む人に対する当たりの強い話を見かけるようになり、
そんな世界線もあるの??とギョッとしているsachiakiです。

最初の頃に見かけていたのは
”女性なのに”本を読んでいると「見せつけている」と言われて
電車内で暴言を吐かれた、なんて話でしたが
それがいわゆるコーヒースタンドにあたる
ベローチ○やスタバァ的な的なところで本を飛んでても
同じように”女性”というところに焦点が当たるような
そういうものの書き方でされていて
今はやりのフェミニズムとひっかけて一石を投じたいのかな?
なんて思っていたんだけど、
とうとうそれが女性が受けた被害ってだけに限らなくなったのか
年上の男性に面白い本を薦めたら、ものすごく憤慨されたらしく
さらにその本を薦めた人の上司にまでお説教をした
という話が飛んできて、
どこの世界の話なのか…と思っていたら
何人かが”目上に本を進めるっていうのは馬鹿にしている”という
ニュアンスを含むだかなんだかで大変よろしくない
ていうことをリプライされている人がいて
なんていうか、この国は色々とダメかもしれない……
って思う一つの根拠を増やしてしまった気がします。

うっとこは旦那ちんことパンダ氏と面白かった本を貸し借りして
それがきっかけで仲良くなったこともあるし、
そうでなくとも年上の人と本のやり取りは今もするし、
なんならかなりその世界ではすごい人らしい先生にも
この本面白かったですよ、なんてやり取りもしているし、
上記のようなことを言い出すような会社や人たちの世界っていうのは
知性ってものを軽蔑しているか、恐れているかのどちらかなんだろうな〜
なんてことを思ったりしていました。

年下から知らないことを教わることを良しとしていないのって
相当マズイ風習だってことに気づけないでいる、
もしくは嫌だと思っているけれど、
その恩恵に預かれないので締め出したいって感じなのかなぁ。

自分が年上になった時に年下から教わるのが恥ずかしいとか
年上になったからには無条件で担いでもらえるとか
そういったことを期待していたりするのだろうか。
年下、目下には知恵をつけられたくない、
だって自分が恥ずかしい目にあうから。
みたいなものってあるんだろうなぁ。

たしかに徒然草の中でも賢い女がいたら興ざめだってあるし、
なんとなく女性には知性を持ってもらいたくないっていう
なにかを古くから男性は持っていたのでしょうし、
それが転じる形なのか、同じラインでの話なのか
目下のものには知性を持ってもらいたくない
って話になるのでしょうね。
そういや「良い奴隷は賢くなくて良い*」っていうのもあった。

まぁなんにしても人が自分よりも賢いってことに抵抗を感じる人が
ある程度いるってことが、なんとなく浮き彫りになってきたのかな?
って感じですかね。

私からしたらパートナーや自分の身の回りにいる人に
知性のかけらも感じないような人がいるより
自分が足りないっていうぐらいの人たちに囲まれている方が
なにかと利便性に富むというか(言い方!
自分も損しなくて良いなぁって思うんですけどね。
相手が自分より賢いせいで自分が損をするっていうのは
ちょっと特殊なケースだと思うんですよなぁ。
そりゃ悪辣な人っていうのも多いんだろうし、
人を陥れることになにも感じないというような
頭は良いのかもしれないけれど
心がダメというような人もいるのでしょうけどね。

とにもかくにも、本を読んでいる人が人を陥れる人っていうような
そういうものの捉え方はされたくないし
頭が良いアピールをしているわけでもないし、
むしろ自分の無能さを噛み締めるようなものが読書だったりするし
啓蒙書とかだけじゃなく、娯楽小説だったごまんとあるのだから
そういったものを漫画のように面白おかしく読む人たちもいるって
そう気付いて欲しいよね〜、なんてことを思いました。

私は今「泣き虫 弱虫 諸葛孔明」を薦めて頂いて読んでる最中ですが
抱腹絶倒と言っても良いほど笑いっぱなしで読んでいるので
三国志に少しでも興味のある方はぜひ読んでもらいたいな〜と。
稀代の天才軍師の人間性のアチャー感がヒシヒシと伝わってきて
脳髄をグチャグチャにかき混ぜてくれますぜ!

「図書館戦争」なんて、とにかく甘々な恋愛描写で
ぎゃーってなりながら読んでいたので
今でも読み返すのを少し戸惑ってしまうぐらいですw
その点同じ著者の「キケン」は理系男子のアホアホしさに惚れ込み
やはり男の子だけの話はバカで大変に良いと思ったものです。
これもある種のバイアスなんだろうけれど。
少年がバイアスだというのなら「三匹のおっさん」もよかったよ
というべき?
こちらは「三匹が斬る」のオマージュなんだと思いますけれど
おじさんたちのそれぞれの正義がかっこいいし、
体が動かなくなっていることや、
家庭内のあれこれによるジレンマもあって
三谷幸喜さんのドラマが好きな人たちには響くんじゃないかしらん。

おじさんがメインの話といえば
児童小説でかつての子供達の心を鷲掴みしていた
「ズッコケ三人組」の大人バージョンもシンミリしてよかったです。
>「ズッコケ中年三人組
調べ直してみたら主人公たち熟年(50歳)にまでなってたよ!
那須先生完結してくださり、ありがとうございました!

女の生々しい話といえば私の中では山本文緒さんだけど、
58歳で逝去されてしまって
大変惜しい人を亡くしたという気持ちでいっぱいですわ。
読んでいると嫌な気持ちにさせられるんだけど、
そうなんだよね…っていうドロリとした女の背負っている影の部分を
えぐり出してくれるので読後感は嫌悪に近いものがあるけれど
それを持って歩いていかなくてはならない……
みたいな不思議な感覚になったものです。

本日お亡くなりになってしまったことが分かった
西村賢太さんの本は恥ずかしながら読んだことがないのですけれど
「暗渠の宿」と「どうで死ぬ身の一踊り」は読んでみたかったものなので
これを機に探して読んでみようかと思います。
風俗がお好きだったという俗っぽさも良いなぁと思う人だけに
まだお若いのに逝ってしまわれたのが悔やまれます。

読書は楽しいんだぜ。
ってことで本の世界に誘われてきます。
そんじゃまた!モイモイ。

*「奴隷のしつけ方」より
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解釈一致と1mmの隙も許せなくなることと

2022-02-04 | from:sachiaki
先日ぼんやりとTwitterを眺めていた時
とある漫画原作のアニメの「主人公の独り言が多い」
という旨のツイートが拡散され、
そのあとに「説明してくれてありがとう」というツイートが現れ
さらに「説明不足では届かない、届ける努力を作家はするべきだ」
みたいなツイートまで現れて
あー……となっていたsachiakiです。

なにか表現をした時に、
「伝われ!」みたいなのをねじ込むわけだし
それを届けるように表現するのは
そりゃそうじゃ!って部分だし、
受け取り方によっては不快に感じたり
悲しませたりすることも含めて
表現っていうのは出し方を考えなくちゃならないものだったりもするけれど
だからといって説明すりゃいいのか、といえば
私はNOって思うんですよね。

だから前述した「主人公の独り言が多い」については
私もそう思っていたし、正直うっとうしいと思うところもあったりしてて
そういう言葉にわざわざしなくても良いことを
絵や動きで表現するのが漫画やアニメなんだから
いちいち言葉に出すのは無粋なんだよなぁって思って見ているわけです。
なんですけれども、今はアニメの見方も漫画の読み方もわからない
って人が出てきているそうなので
好きに見ればいいじゃんって思うものの
そうともいえない状況にまで来ているのだろうか?
と首をかしげてしまうのです。

なにせ算数で掛け算の順番や、
国語で意味があっているのにバツを付けられてしまう時代に
教育を受けてしまっては「正解は一つである」という呪いにもかかるし
解釈不一致なんてあってはマズイものなので
そりゃ漫画くらいは考えずに楽しめるものの方がウケるのも
なるほどなぁと感じざるを得ない……のですけれど……。
それでも世の中に一度出てしまえば
正解がある方がマレで、
基本的には「なにか全然わからん」ってのがだいたいのことなわけですよね。
好きな人の考えていること、友人の考えていること
上司の考えていること、親の考えていること、子供の考えていること……。
昨日はAと言っていたのに、今日はBと言っている、なんてこともあるだろうし。
だからこそ「この答えはあなたと見ている答えが同じものか」
っていうものに囚われてしまうのかもしれない。
しかしながら、40年以上生きてきてただただ感じることは
事実は一つしかないけれど、真実はいくらでもあるってこと
なんですよね。
どこかの主人公がしたり顔で放つ「真実は常に一つ!」ってことはないんですよ。
むしろ「真実」よりも「事実」という「経過と結果」がわかったってだけで
「真実」は見た人、行動した人、受け止めた人それぞれに違うんですよね。
だからこそお芝居や音楽などの「正解のないもの」を見たり聞いたりした時に
自分の感性で楽しむ余白があるし、
それぞれ受け止めた違いを語り合うことが豊かな文化を作り上げていくのだと思います。

せっかく仲良くなっても、ちょっとしたことのすれ違いでできた
ほんの1mm程度の隙でさえ怒り出す人たちがいるのかと思うと
解釈不一致なんていうことで仲違いしてしまうのは勿体無いような気もするし、
1mm程度の隙しかないぐらい仲が良くなってしまっては
もはやその小さな違和感の方が大きな違和感より許せないってことはあるかもなぁ
なんてことも思ったり。

色々と考えてしまうけれど、
なんにしても説明過多というのは想像力を切り捨ててしまうし、
説明不足は妄想力を掻き立ててロクなことにならなかったりもする。
たいがいの人間関係は説明不足なことが多いし、
説明をしたところで解釈不一致なことも多い。
言葉という「同じ」だと勘違いしている記号をもとに
あれやこれやを交換しているけれど
私たちはそんな記号を使わなくとも通じあうことも多い。
だからこそ説明は過不足なく。
そんなことができたら良いなって思います。

さて、今日もとくに締めやオチを考えずに書いていたので
どうやって締めようかって思っているけれど、
確定申告の季節にて、領収書の整理とか本当にいや〜ねって感じなので
気合いが入るような素敵なものを自分に用意しようと思うので
お買い物に行ってきます。
2/1からローソンで発売されたという
ゴディバとコラボしたメロンパンが気になったいるんだよ。
2/2から探しているけれど、一度もお目にかかっておらんのです。
今日で三日目。
みつかるといいなってことで、これにて!モイモイ。
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みんな仲良くっていうのは幻想だけど

2022-02-03 | from:sachiaki
やっぱり仲が良かった人同士が、激しく分裂してしまうのを見るのは
心が痛いなぁ……なんてことを思ったsachiakiです。

激しいなにかを見たってわけじゃないんだけど、
仲が良かった人たちが離れ離れになった後の
祭りの後のようなものを見てきたので
お邪魔したおうちを出て歩いている間に
なんとなく気落ちしてしまっていて
これはなんだろう?って考えてみたら
そのおうちでもう一人存在していた人の姿がなかったことに
なんとなく打ちひしがれてしまったというか
とても寂しいものを感じていたんだなぁと。
人と人の関係性に口出しできるものではないけれど
決定的な悪手になる前に、
それはちょっと違うんじゃないの?
っていうようなことを言えなかったのかな?
とか、そんなことを思ったりしていました。

たらればの話なので、そんなことを言っても詮ないことなんですけどね。
私が人と深く付き合えない理由の一つには
こういったことに不必要にダメージを食らうせいもあるのかなぁ
とかなんとか。
実際はよくわからんです。

それはそれとして。
後の祭りのようなものを味わって寂しくはなったものの
必要な話はできたし、楽しい時間も過ごせたので
それはそれ、これはこれってやつなんですよね。

と。
寂しい話題はこれで終わりとして……。

とうとうやってしまいましたよ。
「うる星やつら」のラムちゃんのコスプレを!
そして公開もいたしましたぞ。
正直こわい!!!って思いながら出したけれど
やはり思っていた以上に無風だったので
こんなものかとホッとしたやら寂しいやらw
複雑な気分ですw
とりあえずダラシなボディをどうにしかせんとイカンと
改めて思ったので、今年はもう少し筋トレに励まないとな……と
一人大反省会をしていましたw
顔本の方にあげた同じ画像は、
さすがに友人知人たちなので優しいお言葉で溢れかえっており、
ありがてぇ、ありがてぇよぉってなりましたw
Twitterの方はね、そりゃもうもっと良い素材の方がたくさんいらっしゃるので
このままスルーになってくれてれば良いかなって思いますw

こちらとしてもコスで知名度を上げたいわけではないので
デザインやイラストで知名度を上げたいから
そっち方面でもっと頑張るしかねーな!ってなりましたよ。

とりあえず今年はiPadを手に入れてから
とにかくガンガン描いているので
もっともっと描いていこうと思います。

さて、昨日は追い込み作業をしていて
ほぼほぼ寝ていないので、今日は早めの就寝を目指します。
そんじゃまた明日。モイモイ。
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節分とハロウィンは気合が入る

2022-02-03 | from:sachiaki
私がオリジナルコスをしてコラージュ作品?2.5次元合成作品?を
作るようになって、5年以上となるわけですが
毎年節分とハロウィンには気合が入るわけですよ!
鬼や悪魔のモチーフが大好きなsachiakiです。
まだまだ厨二病発症中だよ。

で、毎年オリジナルの鬼を上げていたんですけれど、
今年は小学館創業100周年を記念して
40年ぶり?に「うる星やつら」がリメイクされるっていうので
とうとう手をつけましたよ……あのコスを。

もともと節分の季節にこのかっこうをする人はいただろうし、
なによりも40年前にこのコスをするのは
この人しかいないっていう人がいたので
その方を飛び越えてこのコスをするのはありえない……
といった私の中での暗黙の掟があったのですけれど
今年は当たり年ってやつだし、
鬼といえばあたいっていうぐらい
一部の人からは思われるようになっているんだから
じゃぁやってみるかと。
重い腰を上げて「やってみます」って宣言したのが
2週間前ぐらいですかね。
そこからすぐに布を取り寄せたりすれば良かったのだろうけれど、
なんせトラ柄の布、しかもモコモコしてる毛皮バージョンは
お値段もワーオ!ってところがあって、
色々と考えているうちに時間が過ぎ、
ふと見たファッションサイトのページに
形は全然違うけれど、鬼コスっぽい洋服というか
ルームウェアというか、なぞの服がありまして
そのお値段がかなりチープで布を断裁するのに躊躇せずに済みそう!!
ってなったのでKO・RE・DA!となり即決したものの
届くまでまた時間を食い、
届いてからは断裁して縫ってってやってみたところ
どうにもこうにも型紙から起こしたものじゃないので
あまりに完成度が悪いんで、いっきにやる気がシュンと下がり
もう今年はやめようかな……ダイエットというか
ボディメイクも全然できてないし
あのコス、きっと今年はめちゃくちゃ多いだろうし……
なんてめちゃくちゃ気落ちしたりしてね。

とはいえ、さすがにもうしのごの言ってる時間はねーぞって
2月に入って覚悟を決めて、1日はすでに深夜になっていて
眠たいって顔があまりに人様にお見せする顔じゃなかったので
起きたらやろうって決めてスヤリしたんですけれど……。

やっぱり朝になったら「やーだーやっぱ微妙〜〜〜〜」って
全然体が動きませんでして。
動かざること山の如しってやつですよ。

でもそんなこと言ってたって時間は過ぎていくし、
そもそも「や〜だ〜」って自分に言ってるだけなので
ウオォオォ、こうなったらヤケじゃ〜〜〜い!!!って
メイクして、完成度の悪いと文句つけてた衣装を身にまとい
カラコンとウィッグをつけて鏡を見てみたら
ん??いや、そんなにダメじゃないかもしらん。
アホほど単純なオツムで助かったってもんで
自撮りで写真を撮ってるうちに
まぁいいかって気持ちになれたのでありました。

とはいえ、やっぱり並み居る美形コスの人たちや
人気がある人たちに埋もれるだろうけれど
混ざってしまうことへの罪悪感もまだ拭えないんですけどね。

とりあえずやるだけやった。
あとはどうにでもなぁれってことで
出すだけ出して節分を楽しもうと思います。
自意識過剰なんだろうなぁ。
どうせそんなに気に止められないんだからw

そんな感じです。
それではまた夜が明けたらね。モイモイ。
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旧正月にちなんで

2022-02-01 | from:sachiaki
新年おめでとうございます。
これからの一年も実り豊かな日々となりますように。
どういう仕組みなのか一昨日あたりから
外部からの反応がめちゃくちゃ薄いので
インスタもフェスブもどしたの?となっているsachiakiです。

まぁ別にいいっちゃいいんですけれど。
反応があることを目指さないといかんとは思うものの
理由がよくわからん時はどうにもならんものなぁ。
ここのブログだって、ハネる時はハネるのに
ここ数週間はスンとしているし
それが正常だと納得はしているものの
ハネる時の理由がわからなくてモヤモヤするんだよねぇ。
予想としてはgooのブログプラットフォームの
定期的ななにかでアクセスしやすいような
プレゼント週間のようなものがあるのかな〜とかとか。

さて、いろいろと思うところはありますが
気を取り直していかないとっていうのと
お世話になっている取引先というか、
イラストを公式で請け負っている会社の社長さんと
ダラダラと雑談をしている時に
結局売り上げを上げるとかどうのこうのって話にもつながるけれど
どういうことを世の中に提示して奉仕していけるか?
って話になりまして、
それはつまるところ、どういう風に生きたいかって話にもなり
中高年の危機と呼ばれるもの、そのものの質問だなぁと
腹を括って考えないといけない宿題なんだよなぁ
なんてことを思ったりしたのでした。
20代や30代半ばぐらいまでは、自分の中にある技量を高めていく時で
まだ名乗りなどはできないような時だけど
40代50代からは後陣のため、ようは後ろの世代の人というのは
世の中を作っていく人ってことでもあるので
世の中をどういう風にしていきたいのか?
という問いでもあるんだよなぁ、と。
それは言葉遊びなんかではなくって
超真剣に誰と会話をして、誰と組んで行動していくか
というような具体性を帯びていることでもあるんですよね。

私は割と閉じている人間なので
あまり誰かの話を聞きに行きたいってことも少ないし
誰と何をしたいかってことまで考えることも少ないんだけど
今更ながらに「あなたの仲間はちゃんと身近にいる。よく見ろ」
と言われたことを思い出したりして。
それを言われた時に「たぶんこの人だ!」って思った人に声をかけて
実際動き出したとはいえ、結局私がほとんど話をしなかった
というような初動ミスをしちゃったんだと思うんですわ。
私は自分の思っていることよりも人の話の方が大事、
ではあるんだけど
人の話をそのまま置いていて、
自分の話はしない、擦り合せるような、
意見をぶつけるようなことはしない
っていうことばかりな性質なので
相手からすると「何を考えているかわからない」
「要求は通るから言うだけいっとこう」みたいな
妙ちきりんな存在になってしまうんだろうな〜と。
私がこの人には自分の内側を喋って大丈夫ってなるには
かなり勇気のいることで、
せいぜい旦那氏か血の繋がってない弟ことちる君ぐらいなんですよな。
なにを言っても引かないってことと
なにかを押し付けてこない(期待を込めてこない)という
確証を持ったからこそ言えるのであって
実家関連の人にも言わないようなことでも、
腹を割って話せる人がいることはとてもありがたいなぁと思う反面、
それでは足りないし、もっと人に挑んでいかないとなんだよなぁ…と
反省する日々であります。
もっと自分の中にある話をちゃんとしていかないと、と。

そしてそんな自分の気持ちを見透かされたのか
先日お参りしてきた日枝神社で引いたおみくじに
「世界は変わらないと傍観しているだけでは変わらない。一歩でも前に進め」
的な内容が書かれていたので、
神様すごいなぁってなったりしたのでしたw

熱意だけが人に伝播するってもんですからね。
そもそも夜学という移動する教室を始めたばかりの頃は
人になにかをお願いするってことばかりで
そのために熱意を込めて語りかけていたわけですから
もう一度その情熱を思い出してやっていかんと、ってなるわけです。
大人になると人に頭を下げられなくなるっていうのは
本当にそうなんだろうな〜って実感しました。
断られることの心理的負担や恥ずかしさに耐えられなくなってしまうので
動けなくなってしまうのですね。
個人の情けなさぐらいで諦めるなんてもったいなかろ?
ってハッパかけて、もう少し動いていきましょうかね。

「誰と組むか」って散々悩んで、それで動き出したものなんだから
もう一度説得したり、内面の話をするべきだよなぁ。
どういったものを目指しているのか。

私も組んでくれた人も「ほんの少しでも”いいやつ”を増やす」
っていう見解は一致しているんだから
そのためにできることをもっと吐きそうなるぐらい
ちゃんと考えないと。
そしてそれらを実行していかんと。

やるべきことはわかっているはずなんだから
脳内をもう少し整頓したらメッセージでも飛ばしてきます。

ってことで、脳の整頓をしたいのでこの辺にて!
モイモイ。

宣伝。
SUZURIさんに新作をアップいたしました。
チェックしてもらえたらありがたし!

よっろしくねー!!
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