あも&サチアキの交換日記

どうやら交換日記が続いているようです(祝何年目?

サーモンラン、バイトチームコンテスト始まる!!

2023-04-15 | from:sachiaki
というわけで、今日はバイトチームコンテストを
頑張るぞー!!!って気合い入れてたんですが
約束をしていたS嬢のところのご子息と
結局合流できずにいてまして
まだバイトチームコンテストに挑めていないsachiakiです。

よそんちのお子さんなので
直接連絡を取れない様にしてあるんですけれど
それでもゲーム中で「遊んでるよ!」みたいな
通知は行くようになっているので
合流できなかったのは運が悪かった
という感じですね。

私は夜からまた別の友人と遊ぶ予定なので
このビッグウェーブに乗りそびれるってことは
なさそうなので、まぁええかってなってるのですが。

とにもかくにもずっと楽しみにしていたイベントなので
やっと本番ダァ!!!!って
気持ちが昂っているところで
まだ参加できていないモヤモヤと戦っていますw

それとあれ。
しばらくお写真撮ってない勢なので
そろそろ撮りたいなぁ〜なんて思いつつ
小道具できてないんよなぁ
なんてことを考えたりしているところです。
デザイン案ができたらやろうって思うんですけれど
デザイン案なー……と思案しているところだったりします。
布から作っていきたいけれど、なかなかねぇ。

なんか最近の自分の”なにもできない”感がすごいので
年を取ると腰を上げるのが辛くなる、
老後の楽しみって取っておいたものを
楽しめる体力がなくなるっていうのを
なんとなく感じなくもない日々です。
くまったくまった。

やりたいことはそれなりにあるんだけどなー。
と、そんな感じです。
とりあえず今夜のバイトチームコンテストに向けて
練習をしてきます。
それではまた。モイモイ。
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女性も男性も生きづらいことには変わりない

2023-04-14 | from:sachiaki
正直言って「生きる」ということが
あまりにクソゲーで、そのハードルの高さには
幻滅することばかりなんだけれども
だからといってビルから飛び降りるとか
あまつさえ、それをライブで流すとか
どうしちゃったの?ってなりますね。
先ほどはパワハラに耐えかねた人が
上司を鈍器で殴ってしまったり……。
窮地に陥った時にまったく想像できない
行動を起こすのが
生き物の面白さだと思うけれども
それでも一体全体どうしてこうなった。
って思うことが増えている(ように感じる)のは
とても悲しいことだと思います。

私も長生きはしてても仕方なさそうなので
人生五十年っつって、あと5年を走り切って
良い人生だった!!って幕を引きたい欲はあるけれど
それでも未来になにがあるか分からないからこそ
もう少し生きてみよっかな
なんて思っているsachiakiです。

ここのところ自分の写真を撮るのに
ちょっと躊躇していたことがあって
それも「もう若くはない」の延長のようなもので
思っていた以上に自分が老いていることに
客観的に気づいてしまうのがシンドイ。
みたいなものがあるのかな?
なんてことを自己分析してみたり。

私の友人の女装が美しい方が
「もう女装は無理」っておっしゃっていたのも
本人の美学には合わなくなってしまった
自分を晒すのが恐ろしいってニュアンスだったので
他人から見て美しいままでも
本人の気が乗らないと難しいこともあるんだなぁと
その時は思っていたのですが
実際に自分が老いてきているのを気づいてからは
あぁちょっと世間に申し訳ない気がする……。
なんてことを考えるようになってきました。
「世間に」とは書いているものの
その「世間」とは「自分の中にある世間」なので
つまるところ自分に対してダメ出しをしている
ってだけなのですよねぇ。
もちろん勇退することが悪いわけないけれど
思ってもいなかったところから
「お写真楽しみにしてます」みたいな声を頂くと
おおお、楽しみにしてくれている人もいるのか!
って驚きを禁じ得なかったりします。

というわけで生きづらさとは
別の話になってしまったけれど、
自分の思っている世間とか世界ってのは
思っている以上に狭いから
その狭いところを破っていく必要が
常にあるんだと思います。
破っていくと知らないことばかりで
また別種の辛いことが待ち受けているんだけど
でもそれはそれで「受け止められる辛さ」とか
このぐらいなら「打ち勝てそう」とか
そういう風にしていくしかないのだろうな〜
なんてことを思ったりします。

自分自身の辛さを自分でどうにかできる
それが自立ってもんで
そしてどうにかできている時ってのは
辛さを感じにくいんじゃないかなって思います。

もちろん世の中が良い方に変わっていくのが
一番良いことだけど、
そんなのなにもしないで手に入るものでもないし、
自分が変わっていくことでその中が変化していく
そういうことを長い目で見ていけたら良いんじゃないかしらん。

ちなみにイジメもパワハラもDVも
どれもこれも被害者は黙ってろ!強くなれ!
って言ってるんじゃなくて
当たり前のようにイジメもパワハラもDVも
増長すれば刑事犯罪ですし、
そうでなくても侮辱罪などがつく
立派な犯罪なことは確かで、
加害者側は罰を受けた方が
心の健全さを修復できるとも思っているので
さっさと罪と罰の重さを味わっておけば良いと思います。
そして被害者の方へのケアは丹念にねとも。

そういう二輪ができてこそ
辛さを受け止めるっていう余裕が生まれると思うので。

自分の生きづらさを他人のせいにしない。
そして自分は自分を大事にして他人も大事にする。
シンプルだけど、そういうことだと思います。

さて、そろそろwebラジオの収録なので
準備をしてきますよ〜。モイモイ
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もともと虚弱体質気味なのだけど

2023-04-13 | from:sachiaki
ここのところ貧血が続いていて
高校生の時の生き倒れていた頃に
割と近い感じになっているsachiakiです。

高校時は学校の階段とかで力尽きていて
倒れているのを同級生が先生に伝えてくれたりと
まぁわりと貧血で倒れておりました。
忘れもしない地下鉄サリン事件の日も
貧血で倒れていて、
遅刻して行ったらドエライ騒ぎになっていて
先生が血相を変えた顔で
「無事でよかった……」なんて言うので
なんだろう??って思ったものです。
クラスの子たちも半数近くは交通麻痺で
学校に来ることもできなかったようで
その日は授業とかなかったように思います。
ていうか、たしか終業式かなんかだったはず。

と、話が不穏な方にそれたけれど
貧血なので鉄剤を飲んで治療に挑んだこともあるのですが
自転車通勤をするようになったら
普通に健康体になったので「貧血なにそれ?」
って感じになってたのですよね〜。
とはいえ自宅仕事になって
もうそろそろ10年が経過するわけで
さすがの健康体も「もう限界だよ〜」と
年のことも手伝って悲鳴をあげてるみたいで
貧血がまた復活の兆しをあげているようです。
あびゃー

あとは昨日実家に帰った時に父と話をしてた時のこと。
私の父は頑強な人で60過ぎだってのに
福島原発の現場監督をしていたし、
今は70過ぎだってのに車椅子ラグビーのスタッフとして
ほぼ毎週走り回っている
●しても●なないタイプの人なのですが
今年の一月に新型コロナに罹患しまして
微熱程度で全然元気だったものの
その後めっきり免疫系が弱ってしまったと嘆いていて
とにかく怪我の治りが遅くなったこと、
皮膚に小さな発疹ができやすくなったと言っていたんです。
で、私も皮膚で悩まされたことなど
ほぼほぼなかった(ニキビとかも軽微な方だった)のに
ここのところ原因不明の発疹ができやすくなったり
怪我が治らなかったりしているので
やっぱねぇ新型コロナの影響ってのは
あるんじゃないかしらね?
なんてことを思ったりもしています。

あ、貧血に関しては関係ないです。
たんに運動不足なだけなのと
明らかなる寝不足が原因なので。
(スプラに夢中過ぎるんじゃぞ)

低血圧なのも相変わらずだし、
脈がアホほど遅いのも相変わらずなので
少しでも運動しなくちゃと
ここで何度も宣言していることを思うばかりです。
日記に書いた日から3日ぐらいは
寝る前のストレッチとかしてるんですけれど、
三日坊主になってしまってますからなぁ……。
なんでもそうですが、
一緒にやる仲間みたいなものがないと
サボりがちなものって進まないのかもしれません。

体を引き締めなくっちゃとも思っているので
また課金してでもストレッチしますかね。
とにかく取り戻したいぞ健康!!ってことで
プロテインバーでもかじってきます。

それではまた。モイモイ。
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言葉はわかりあう道具であるが

2023-04-11 | from:sachiaki
言葉はわかりあうための道具であるけれど
わかるがゆえに決定的に合わないということを
実感する可視化の道具でもある。
そんなことを最近感じるsachiakiです。

私が好きな小説で打海文三 著作で
「裸者と裸者 孤児部隊の世界永久戦争」
という本があるんですけれど、
この小説の中で日本が内戦になっていく
様子が描かれていくのですが
まさに昨日までの友がある日を境に
だんだんと分かり合えなくなっていく様を
描いているんですよね。
そしてその分かり合えなくなっていくっていうのが
言葉を共有していても、
むしろ考えているスタンスが先鋭化していき
それが可視化されることによって
決定的に「わかり合えない」ことが「わかる」
ようになってしまうんですよね。

最近は割と仲が良い方の友人が
頭が良いゆえに弱い人への発言が
だいぶ厳しいものに偏ってきていることに
気づいていないのか、
もしくは「強くあれ」に軸を置いているがゆえに
そうでない人を捨てていかざるを得ないのか
よく分からない方へといってるなぁとも感じるし、
旦那氏であるところのパンダ氏がいうように
私の方がどんどんと離れていっている可能性もあります。
私が「弱い人でも生きやすいように」と訴えるものは
頭の良い人たちにとって鬱陶しいし
そんな弱い方に足並みを揃えたら
衰退の一途ではないか!っていう憤りが
ますます弱い立場の人を追い詰めていってるのかな?
と思わなくもなかったり。

私も「弱いままでいて良い」とは思わないし
人間は自立をした上でお互いが寄り添い
力を補い合うのが良いと思っているんですけどね……。
なんだろうね。
強い力を持っている人が守りたい人を鼓舞するために
放っている激励ってこともあるのかもしれないけれど
それは頑張り始めた人とかに放つもので
弱っている人に出すものではないかな〜とも思うし、
なんにしても言葉の持つ力っていうのは
思っている以上に人にダメージを与えるものだ
ってことですかね。

そんなことはとっくの昔から言われていることなんだから
みんな知ってるよ!ってこともわかっているんですけれど
改めてそんなことを感じているってことですね。

そんなこんなです。

さて、今日こそイラストをアップしたいと思っているので
ちょっと頑張ってきます!
そんじゃまた。モイモイ。
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久しぶりにメイクの練習をしたった

2023-04-10 | from:sachiaki
なんでもそうだけど、
練習しないと上手くならない。
イラストAIが流行ろうと、
たった数ワードでAIが適切な文書を作ってくれようとも
今のところ自分の体をキャンバスにした
メイクというやつのオート化はしていないし
やはり自分の体を使って作業するものっていうのは
全てにおいて反復練習あるのみなのだ。

というわけで久しぶりにメイクの練習をしていた
sachiakiです。おはようございます。

いやさ、先日Facebookをボーッと見ていたら
目元がすっごくイイ女!!!なリール動画が出てきましてん。
ほんでもって、その目元の作り方が
なんていうか、自分でもできるかも?って感じだったので
ちょっくら試してみようかなってなってたんです。

筆タイプのアイライナーがそろそろ寿命っぽかったので
お買い物もしてきて挑んでみました。
本当はカラコンも付けてバッチリ!ってしたかったんだけど
今はそんな余裕もないので
ひとまずカラコンは無しで試してみたんだけど、
自分の切長の目の形と相性が良かったのか
想像以上に良い仕上がりをしてくれて
マジかよ!やったぜ!!ってなったのでした😆✨

ちなみに私が見た動画とは違うけれど
試してみたアイラインはこんな感じのものです。

How To: Foxy Eyeliner For (Semi) Hooded Eyes

お目目を涼しげにしたい人、
ちょっと大人なイメージにしたい人には
かなりオススメのメイクでございます。

目指せイイ女っていう目標は
10年以上前から言い続けているけれど
齢45歳を迎えようっていう年になって
ようやっと自分の思うイイ女ってのに
近づいた気がします。
まぁそもそも自分が女であることを
なかなか認められなかったからこその
遅〜〜〜〜いスタートになったような気もするけれど
メイクは楽しいです。
世の中的には「男に媚を売るな」みたいな流れで
メイクをしたり、”らしさ”を追求することに
底意地の悪い怨念をぶつけられることもあるようですが
おかげさまで私の周りにはそういう方もおらず
メイクしたよ〜っていうお知らせをするだけで
お褒めの言葉をもらえることが多いので
モチベーションも落ちずに済んで助かってます☺️

人の評価を受けずとも
自分の好きなことでテンション上がっているなら
それで良いとは思うんだけどね〜。
どんなであれ褒められて嫌な気にはならんやね。

もっとメイクが上手くなってきたら
その時は動画でメイクの仕方などを
アップしても良いかな〜。
ウィッシュリストを作ってあったので
出すだけ出してみようかしら。

この日記には姿を載せてないのだから
何言ってるんだ?だと思うけれど
私のことを知っている人はちょっと気にかけてもらえたら
この上ない喜びでございます。

さて、朝提出のお仕事も終えたので
そろそろ寝てこようかな。
おやすみなさい。モイモイ!

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人って1箇所に集まって話を聞いてるとダメになる

2023-04-08 | from:sachiaki
今日はちょっとした知り合いのちょっとした用事で、
とある講習に伺っていたのですが
なんていうか……あれね。
お金が集まるようなところにいる聴衆と同じ感じで
誰かを持ち上げているような集団の中にいて
調べ物もできない状態でいると
簡単にヤバいものに染まってしまうのかもね。
なんてことを思ったsachiakiです。

まぁ私の場合、一度二十代の時に
やはり知人のお付き合いで講演会の聴衆に行ったことがあり、
その時に自分が簡単に「そうなんだ!すごい!」と
話術に引っかかったこともあって
そのイタイ記憶から学習したのもあり
なんとな〜くマズイっていう空気には
敏感になったというか、
話半分にして聞く癖がついたように思います。

心の中ではずっと電気グルーヴの歌詞が

 本当ににそうか 確認しようか
 困らなければどっちでもいいか

 本当にそうか 本当にそうか
 僕の知らないこともあるのか

ずっと流れてましたw

いや、その時はずっとIKUZOの
「おら東京さ行くだ」のリズム検証をしてたな。

私はたまたま栄養学の知識がある友達や
科学に強い知人たちのおかげで
「〜は食べちゃダメ」とか云々なんて話は
自分で調べることも含めて
断定調で語るものには気をつけろ!
っていう警戒アンテナが働いたし
私程度でも知っているネタだったこともあって
あ、この人は大切なところを伏せて話をしている
って気づけたりしたんだけど
調べることをしなかったり
科学アレルギーだったりする人にとっては
「〜先生がおっしゃることなら大丈夫」って
ゴリゴリ刷り込まれちゃうんだろうなぁ
なんてことも思って、
あぁクソダルいなって軽く鬱になっていたところです。

どうしてこう世の中は煽って騙すことで
誰かを救っている気持ちになる人がいるんだろうか。
本当にウンザリするけれど
その人にとって「困らなければどっちでもいいか」
なんだろうなぁと。
納豆食べて健康!って言われればその気になるし、
ほうれん草は栄養素が過剰だから食べなくて良い
って言われれば食べることを止めたりするんでしょう。

成分の含有量を調べたり、
過剰摂取と呼ばれるものの限度量のことを調べたり
そういったことはまったくせずに。

世の中は騙されたがってる。
「私は騙されないぞ!騙すやつは最低だ」
って言ってる口で誰かの言葉を待っている。
自分で考えたりなんかせずに。

なんかもう色々色々うんざりしてしまっているけれど
真にうんざりしているのは
こういったことをこんな日陰の日記で愚痴ることぐらいしか
できないことです。

誰に後ろ指を刺されようとも
「それは違う」って公の場で言えるぐらい
論拠を揃えたりして立脚できれば良いんですけどね。

知人がいる手前、反駁の挙手をすることもできず
完全に負け犬の遠吠えです。

知人には「心の中でツッコミが追いつかなかった」と告げて
「sachiakiさんならそうでしょうね」と笑ってもらえたので
とりあえずお茶濁しとしてはまずまずだったかな?とかとか。

帰宅前にやけ食いパンケーキもしてきたので
とりあえず機嫌は治っていますが
これ以上愚痴を書いてもあれなのでこの辺にて。
それではまた!モイモイ
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PSYCHO-PASSをチラチラとだけど見終えて<一期>

2023-04-07 | from:sachiaki
ずいぶん前のアニメなので今更なんですけれど、
絶対に好きなタイプのアニメって思いながら
なかなか見る機会が訪れず
今になってたまたま旦那氏であるところの
パンダ氏が見始めたので、
つまみ食いするように途中途中見たたんですけれど
偉大なクリエイターが異口同音で述べている
自分のジャンルだけじゃなくさまざまな本や
漫画、芸術等に触れて肥やしを増やせってことで
このアニメも様々なオマージュを残しながら
うまくまとめ上げたなと唸ってしまったsachiakiです。

最後の最後に「ライ麦畑で捕まえて」を
演出するなんて最高なんじゃないかな。
誰かが誰かを捕まえる、崖っぷちのところで。

世の中の欺瞞にほとほと疲れ果てている時ってのは
「ライ麦畑で捕まえて」に影響されるものだし、
自分もそうだけど……
でもそういうことじゃないんですよね。

ベースラインになっているフィリップ・K・ディックの
「アンドロイドは電気羊の夢を見るか」を
見事に映像化したブレードランナーで
このPSYCHO-PASSの舞台でも
日本特有の広告だらけのビル群の中で
やけに古びた広告が目立つのも
オマージュとして見事でした。(本編でもそう言ってるし)

私たちの社会は「信用・信頼する」ことで成り立っていて
それは紙切れを通貨として「信用・信頼」することも含めているけれど
”道ゆく人々は自分を攻撃しない”というような「信頼」が
なにより大切で、この「信頼」が揺らぐことっていうのが
とてつもない「不安」を引き起こし
社会不全となってしまうのでしょう。

根底が揺らぐことっていうのは認知の不協和を起こし
大きな不快感を覚えて生きづらくなります。
だからこそ「不安の種」は除いておきたい。
様々な脅威(飢饉や天災、戦争など)が
そこそこ遠くなったことで次に解決したい「不安」は
どうしたって「犯罪そのもの」に向かいがちで
そこそこの人間が「犯罪予備軍」に対して
大きな不審と忌避感を抱えています。
私は「疑わしきは罰せず」が正しいと思っているし
「うちに抱えている」ことと「外に出すこと」は
別物だと思っているんですけれど、
不安をできるだけ排除したいヒステリーな社会では
予備軍を自分達から遠ざける方法を
あの手この手で考え、声高に叫んでいます。

たしかに犯罪は「起こってからでは遅い」のだけれど
だからといって、うちに秘めている間に刑を執行するのは
全然別の話だと思います。

刑を実行はしないけれど、分別するだけだし、
実行しない限りは一般の自由人と同じだ
みたいなことを言う人って多分いるけれど
じゃぁ分別されて誰にでもそれがわかる状態でいる時に
自分が一般の自由人の身分で、そうでない人に対して
どういう態度を取るかってことまでは
考えが及ばないものなのでしょうか。

また、何よりも「うちに秘められている状態」の時に
それがなんであるかを外側から判別できるものでしょうか。
そんなに人間は単純かな?

PSYCHO-PASSの主人公二人が最後の方で交わす会話で
「そんなに法が大事か?」という問いかけに対して
「法を守ろうとすることが大事だ」と答えるのに
かなり胸が熱くなり、思わず泣きそうになってしまいました。
「法は変えられる」し、それに縛られることはないが
「法を守ろうとすること」で人々が安心して暮らせるのだ
というヒューマニズムは素晴らしいなぁと。

現代で使われるヒューマニズムとはまた別な
「人間中心主義」には辟易としますが
人間の可能性に未来を見る思考は大切にしたいですよね。

とはいえ、最近のテクノロジーの進歩と
その進化に追いつけそうにない人間に関する
ニュースを受け取るたびにため息は増えていってるんですけれど。

詐欺をしなければ人よりも多くはもらえない。
ありとあらゆる憂鬱に対して
ここのところ調子が悪いんですけれど、
それはそれとして明日はSUZURIのセールなので
なにか可愛い絵を仕上げてお知らせをしたいな〜と思います。

それではお仕事に戻りますわ〜。
モイモイ!
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〜せずにはいられない、という切実さはいいよね

2023-04-06 | from:sachiaki
私は表現ってものに対しての憧れで
「描かざるを得ない」
「歌わざるを得ない」
というような内側からくる衝動に逆らえないもの
っていうものに強く憧れているのと
逆に言うと計算じみた表現に対しては
衝動性が低いので面白みに欠けるって思ってしまうのです。
全ての表現の初期衝動が一番熱いけれど
日が経つにつれて衝動は小さくなり
技巧が目立ち、安定するっていうのは
よくある話だし、そういうものなんだと思います。
技巧がないのは見にくかったり汚く聞こえたりするので
上手くなること自体は悪いことじゃないはずなのにね。
けっきょくお茶を濁し続けるつもりのsachiakiです。

ここ一年以上かけて行っている
「本居宣長/小林秀雄 著」のオンライン読書会にて
宣長が尊いとしたものの中に
「〜せざるを得ない」があったので
ふと、上記のようなことを思い出したのですよ。

良いものを見たり感じたりした時、
悪いものを見たり感じたりした時、
「嗚呼」とか「はあ」とか
言葉にならないなにかでも
出さずにはいられない内側からの力が尊くて
言葉が後ろに追いやられるのが本質的なものだ
というような話だったなぁとかなんとか。

今では比較的よく聞かれるようになってきた
楽しいや嬉しいから笑顔になるのではなく、
笑顔になるから楽しいや嬉しいという感情が湧くのだ
と言う話とも少し繋がるのかな。
(とはいえ、映画「JOKER」の中で出てきたように
 無理に笑顔を作って楽しい気持ちにさせようとしても
 「つらい」「悲しい」などの感情が先に大きくある場合
 むしろ抑圧の方へと心が動くのでストレスに拍車がかかるのは
 笑顔で居続けるしかない社会人なら誰でも経験知として
 持っていると思います)

と、話はそれたけれど、
「〜せずにはいられない」で好きな曲がございまして
高野寛さんの「ベステンダンク」って曲なんですけれど、
この歌詞に

 この窓は小さすぎて 君の元までは届かない
 たとえそれを知っていても 叫ばずにはいられない 
 BESTEN DANK

ってサビがあるんですよ。
初めて聴いたのは1997年だから高校時代だけど
春になると聴きたくなる爽やかな曲でございます。
BESTEN DANKはドイツ語で「ありがとう!(最上級)」
なんだけれど、
叫ばずにはいられない「ありがとう!」って
すごくいいイメージが広がりますよね。
これはドイツのベルリンの壁がなくなったことを
ベースにしている曲なのだそうで
歌詞も最初の方に「こんなところにも壁が待っていた」
「交わろうとする」「そして乗り越える」とあり
生きているとありとあらゆるところに壁を感じ
あぁ、と絶望の声が漏れたりしてしまいますが
それでも本来の人間が「交わろうと」して
「乗り越えて」いけるからこそ
心の底からありがとう!!!!って言えるんじゃないかな〜と。
分断を煽るさまざまなことがあるけれど、
届くとは思えないぐらい小さな声でも
「君がいてくれてよかった!ありがとう!」って
叫び続けていたら、もしかしたら壁なんて崩壊して
人々が交わり春や夏を喜べるのかもしれません。

たとえ徒労に終わるとしても
それは別のなにかに繋がっていたりもしますからね。

〜せずにはいられない。

この強い衝動性を忘れずにいられたらって思います。

ちなみに私の持つ衝動性は
どうやら「嘘をつくこと(虚構を組み立てること)」みたいで
物語性の強いものに惹かれるし、
世界観を勝手に作ってしまう、という傾向があるようです。
箱庭もの系のゲームとか大好きだしねぇ。
表現なんて多かれ少なかれ「嘘をつく」ことには相違ないので
それなりにクリエイティブなものに衝動性を持ってて
ちょっとだけ安心したって感じです。

それができるんだったら
自分のことをブランディングすることだってできそうなものなのに
衝動は思考や論理とは相性が悪いので
どうにもそちらには食指が動かないのが
いかんともしがたいところです。

さて、そろそろお仕事に戻りますよ。
衝動、衝動って書いてたらドーナツが食べたくなってきたけれど
近所のドーナツ屋は駆逐されてしまったので
後ほどコンビニのドーナツで我慢しようと思います。

それではまた、モイモイ!
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Twitterの改悪は続くよどこまでも-続

2023-04-05 | from:sachiaki
Twitterの話を途中まで書いてましたけれど
2011年の東日本大震災の後に
人が一気に増えたって話を書いたところで
お出かけの時間になってしまって
日記が切れてましたね。
昨日のおでかけは友人が主催するお散歩企画で
テレテレと国分寺の史跡巡りをしておりました。
話を戻そうと試しているsachiakiです。

ええと、震災の時のこと。
前年となる2010年にradikoが誕生して
ラジオを聴く人たちと繋がりがいっきに広がり
その頃には「ピーチク」というサービスがあったりして
Twitterでリアルタイムをおっかけながら
今見ているもの、聞いているものをつまみにして
ツイートをするってことが流行りました。
そういうこともあって、Twitterで知り合った人というのは
終始繋がっていて、くだらないことを共有していたので
同じ空間にはいないけれど、同じ教室にいるってぐらいの
まさに「ゆるい繋がり」を作り出してくれてたんですよね。
この「ゆるい繋がり」由来で現在も一緒に遊んでいる
友達もたくさんできました。
そんなわけで、東日本大震災が起こった時は
みんなの安否をひたすらTwitterで追い続けたし、
困っていることや必要な情報をシェアしたりと
「非常時に役に立つ」が際立ったツールとなった覚えがあります。
私も母のスマフォにTwitterを入れてもらったりしましたし。

だけどこの「非常時に役に立つ」が
「たくさんの人が注目するツールになった」と同義になり
Twitterを古くから使っている人とは
違う気質の人たちがたくさん流入したのと同時に
たくさんの人が見るからこその宣伝ツイートなども
目立つようになってきたんですよね。
でもこの頃はまだ「話題のものを共有する」
みたいな気軽さがあったかな。

引用ツイートの仕方も違ったりしてね。
リツートはボタン一個でできたけれど、
引用リツイートは元ツイートをコピーして
140文字に収まるように削ったりして
ツイートするしかできなかったので
元の意味が変わるように改悪されたりと
問題が多かったのも事実なんですけれど
今ほど巻き込み事故みたいなことはなかったかなぁ。

今は「ハートマーク」になった「いいね」ボタンも
もともとは「星形」で「ファボスター」と呼ばれていました。
お気に入りを登録するって意味ぐらいしかなかった
ファボが「いいね」という意味を含んだことで
簡単には「いいね」ができなくなったり……。

あとリツイートはフォロワー全員に見えてしまうけれど
ファボはツイートを保存するためだけのものだったのが
「いいね」になってから
フォロワーさんのタイムラインに見えるようになってしまったりね。
リツイといいねの境目の曖昧化で大混乱を起こしたものですわ。

その後API制限がかかって、
随時リアルタイム更新だったものが
リアルタイムで更新されて表示されるツイート数が
極端に減ったりもしました。

あと最悪なのは時系列にツイートが表示されなくなったことですかね。
年を追うごとに改悪をし続けられて
思い出せてないものもまだいくつかあると思います。
あぁ、トレンドなんてものも余計なものでしたね。

サーバーに大負担をかけていることはたしかなのだろうし
それで資金が追いつかないのもわかるんだけど、
Twitterの民が声を揃えて言っている
「リアルタイム更新」と「フォロワーとリツイだけの表示」
「広告の表示制限」をしてくれるならお金を払う!
ってものはついぞ叶うこともなかったのにね。

一応、イーロンマスクに買収されたTwitterさんは
とうとう「ツイートする(さえずる)」という意味を持っていた
ホームの鳥のアイコンさえも奪われて
まったく別のアプリに生まれ変わろうとしているように見えます。
Twitter Blueを導入して月1,000円の課金をすれば
どうやら「広告の表示制限」は取り入れて
その他の機能を織り交ぜてパワーアップされるみたいですが
正直どのぐらいTwitter Blueに加入する人がいるのかも見えないし
このリアルタイム更新の魅力を失ったTwitterが
どのぐらいの力を持つのかわからないし、
Twitterのような代理SNSもいまだ見つかっていないので
Twitter中毒であった民はどこへ行ってしまったのか。
また、どこへ行けば良いのか。

動向を静かに見守るしかないみたいです。

はぁ。
それにしても外部アプリサービスとの連携も
どんどん停止されているし、
正直Twitterの楽しさって半減以下なんですよね。
どうしてこうなった?

とはいえ10年以上も遊ばせてくれた場に対しては
感謝でございますわね。
これからどうするかは未定ですが
流れに合わせていこうと思います。

さて、文字も3,000wを越してしまったのでこの辺にて。
そんじゃまた。モイモイ。
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Twitterの改悪は続くよどこまでも

2023-04-04 | from:sachiaki
Twitterがこの世に出てきた2007年。
日本にはmixiがあって、私もmixiユーザーでございました。
今日は懐古厨するよ!なsachiakiです。

ていうか、今もアカウントは残していて
毎月の占いだけ見に行ったりしています。
2004年に出てきたmixiは最初は招待制で
もう今は思い出せないけれど
誰かにお誘い頂いたから入った覚えがあります。
当時はフルネーム推奨で、
どういった人がいるのかっていうのが
すぐに分かるようにしておくのが良いとされていました。
海外版なら後発のLinkdIn.に近いものだったのかも。
そのあと招待制がなくなった時から
人がたくさん流入してきて
あっという間に変なルールなどが増えてきて
出会い厨避けのためにもフルネームは良くないなど
なんだか息苦しくなってきたところに出現したのが
2007年のTwitterで、でもまだその頃は
ITなど先端に触れている人だけがつぶやいていて
まだちょっとどうなのかな〜、なんて思ったりしてました。
それでもなんか他のツールはないのかな?
って思ってhimachってやつを入れたりしてたんだけど
2009年に日本の自転車選手がツール・ド・フランスを走る
ってことを知って、その情報を追っかけたいばかりに
Twitterを始めたんですよね。

その頃のTwitterも情報が大好き、
最先端が大好き、好奇心が旺盛
っていうような人たちばかりが集まってて
今の宣伝ツイートやら自分の主張がある人以外は
何も書けないっていうようなものでなく、
「今◯◯にいるけれど、◯◯最高〜!」みたいなこととか
「ねむい」とか「しっこ」だとか
そういった独り言が多く、
そんな独り言に対して
「え!近くじゃん!一緒していい?」ってリプがあったり
「寝ろし」とか「行っトイレ」とかのくだらないリプが
空リプでついたりしてたんですよね。
空リプっていうのは特定の人に返すものでなく
独り言に対して独り言で返すもので
気づかれてないならスルーされちゃうようなもので
かなり気楽なものだったりするんだけれど、
Twitterの仕様上、自分のことをフォローしてくれる人には
全部見えてしまうので絡みの全容が見えない人にとっては
「ウザい」ってなってしまう、
しょうもないものの一つでもありました。
まぁ今でもやっちゃうけれど。

そんな気楽さがウリであったはずのTwitterが
どんどん嫌な方面に偏ってきたのは
2012年あたりからですかね。

と、そろそろお出かけの準備をしないと。
この続きはまた。
モイモイ。
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