日々ふさおまき

走って跳んで歩いてます。

2008年 もうすぐ終わります

2008-12-31 23:43:08 | ふさおまき(オス)日記
12月31日、紅白歌合戦がホタルの光となりました。
あと少しでゆく年くる年、正しい終わり方をしている気がします。
様式にのっとっていると、十分に幸せを感じます。
白組が勝って、
変わった夜の寺は富山県高岡市の瑞龍寺から。
なぜこの北陸の寺からかと思えば、ちゃんと答えが。
こんな街にも不況の波が、明るい未来を庶民が願って手を合わせる、
というコメント。
なるほど、と思いつつ、なんか他人事になっていますね。

でも、自分と妻と家族の平穏無事は心から祈ります。
そのあたりは自分勝手に思います。
来年も、良い年となりますよう。
ふさおまき、でした。


京都3日目 JOG おもち 六波羅蜜寺 鯖寿司

2008-12-31 23:39:02 | ふさおまき(オス)日記
旅の最終日。
昨晩はあまりにおなかが大きすぎ、22時30分にもなって、
ジムの鍵をあけてもらい、バイクで240キロカロリーを消費したのですが、
やはり最終日はランニングを決意。
まだ暗闇の朝6時に目覚ましをかけ、
6時20分には、夫婦で三条の坂を下り始めたのでした。
明け方の空気は引き締まり透明で肺にまっすぐ入ってくる上、
凪いでいるので、それほどひどい寒さは感じません。
もちろん暑くもならないのですが、リズム良く足を運び、
心臓に少しずつ多くの血液が流れ込むのを確かめていきます。
妻の足取りも実に快調、よく大腿四頭筋が収縮して、素早く
膝が上がっています。
神宮道を右に折れ、平安神宮の見上げる大鳥居をくぐり神域をぐるりとまわりこみ、
岡崎道へ。まっすぐ東山の端に向かい白川どおりを左折して南禅寺へ。
このあたりで明るくなり、人が通い始めた境内をまわって、
琵琶湖疎水のレンガ造りの送水路を土曜サスペンスドラマのワンシーンに重ねながら
くぐりぬけ、蹴上にでたのでした。
42分でおよそ8キロ。
良い運動となりました。

朝食は控えめにして、
10時30分ごろチェックアウト。
再び3条通りをくだり、京都シティハーフマラソン出場時から
気になっている、白川添いにある祇園饅頭の工場前で店番している
おばちゃんに声をかけて、小売をしてもらいます。
小さな丸もちが一個80円、25個で2000円(消費税別)でした。
まだ搗き立てなので、水分がこもらないようビニールの口は
縛らないようおばちゃんに念を押されてお買い上げ。
白川裏の古川商店街の錦小路とは違った、地元の人による地元の人のための
店をながめつつ、祇園に入り、四条河原町でザックを600円の特大ロッカーに
2つほおりこみようやく身軽に。
妻がお母様から所望された、餡子系菓子ということで阿じゃ里餅を購入、
隣の店で偶然見つけたバナナ味の金平糖が滅多に手に入らないと主張され
こちらも購入、手提げを持ち、さてもう少し寺社めぐりと
11時30分の四条河原町を歌舞練場から南へと歩き始めたのでした。
このあたりは、それこそ2軒と明けずの神社仏閣地域。
建仁寺の大伽藍をゆっくりと横切り、三十三間堂を目指そうとしましたが、
途中で六波羅蜜寺を発見、新年の準備で忙しそうに立ちはたらく白衣の社人の間に
それほど参拝客の数は多くなく、しかも教科書で見知った「空也上人立像」「平 清盛像」が
あると知り、立ち寄りを決め、宝物殿に入ったのでした。
ご本尊は開祖・空也上人作と伝えられる11面観音像だそうですが、これは
滅多なことでは開帳されない秘仏、運慶像などを見た後、ついに空也上人が、
南無阿弥陀仏の言葉を口から吹くあの、息が見えるような像と合間見えました。
あの口前に細いテグスのようなものに連なった6つの炎が言葉の象徴だそうですが、
それよりも像の秀逸は、上人の表情に感じるのです。
まっすぐ、口の前に心を集めているのがわかります。
やさしさ、浄土への思い憧れ、人を説こうとする姿勢、
そんな感じがするのです。

昨日の平等院に続き、良いものと出会えたと感に満ち、
最初目的にした三十三間堂には向かわず、四条方面に戻り始めたのでした。

街場のそばやを目指しながら、大晦日に開く店は多くなく、
結局八坂神社前につき、いず重に並び始めたのですが、
15分待っても全く進まず、あきらめて縄手通りを三条に近づき、
重兵衛へ。
並ぶことなく入り、私は鯖寿司も3巻入った盛り合わせ「祇園」
妻は冬季限定の蒸し寿司を選んで、体を温めたのでした。

14時30分、四条河原町駅から阪急の特急に乗車。
桂に長岡天神、高槻、茨木、淡路まで停車する急行化に
驚きつつ、ほとんど眠りの中にあって十三着。
神戸線の特急に15時30分ごろには西宮北口に至り、
父と弟の出迎えを受けたのでした。





京都2日目 昼の部 平等院 夜の部 桜田で冬の懐石

2008-12-31 23:38:14 | ふさおまき(オス)日記
旅の二日目。
昨日の中華食べすぎを少しでもリセットしようと、朝はプールへ。
2人でほぼ独占して、クロールと平泳ぎで、リゾートホテルらしからぬ
しぶきを上げたスポーツスイミングでカロリーを消費します。

ウェスティン都ホテルの朝食バイキングは、パン、ミューズリー、
サラダ、卵料理の付け合せ、フルーツ、そして和食でも全てにわたって種類が
十分にそろい、定番オムレツオーダーも楽しめる優れもの。
なんとか、量をセーブして外出。
今日の第一目的は、宇治の平等院参り。
平成の大修復が終わったと聞いたからです。
地下鉄で六地蔵まで15分、そこからJR奈良線で3駅行けば、
宇治駅着。お茶屋さんが立ち並ぶ表参道を歩き、到着したのは
ホテルを出て45分後。
大混雑というほどではないものの、極楽浄土感を形に現す鳳凰堂を、
夢現にいたらしめる前面の池は、ほぼぐるりと人の列で埋まっています。
さすがにゆく年くる年で慣れた、漆黒の闇にライティングで浮かぶ
世離れたありがたみは、冬の澄んだ空気と太陽の下では現実感が
ましますが、それでも想像の鳥・鳳凰が舞うように頭に描けば
平安の名建築は十分にありがたく見えるのです。
内部拝観12時30分~の予約券を購入し、先に美術館を見た後、
ついに阿弥陀如来さまの金に輝く姿にお目にかかりました。
多くの仏を従えるさまと、半眼の視線。
確かに、仏像はしっかりと胸の荒波を鎮めてくれます。
わずか15分の拝観ですが、去年の広隆寺・半跏思惟像の和らぎに続き、
今年も年末に救われた気がしています。

その後、宇治川を渡り、世界遺産の宇治上神社を詣でた後、
駅近くの十割そばで、角のたった香りがけむるそばを頂き、
京阪経由地下鉄で市役所前へ。
現世的町家・買い物めぐりをして、
祇園のフランソワでコーヒーに流し込んだ後、
今日の第2イベント、思い強い夕食の店へと歩いて
行くのです。

数年ぶりの桜田さん。ずっともう一度と思っていたので、
時間が来るのが待ち遠しかった。
知らされるわけでも品書きがあるわけでもない
献立は、出てくる毎に丁寧に説明してくれます。
その一連。

・ぶぶあられがアクセントのお茶
・岐阜・美濃のお酒は百春
・ふぐの白子 葛餡がけ
・カニと真薯
・ブリと鯛とカワハギのお造り ブリには卸し大根出汁をつけて 200年もの楽焼の2段重
・八寸はマナガツオ西京焼きと大根味噌漬けといくらとチップにスッポンの煮こごりとナマコの海鼠腸和え
・スッポンの玉蒸し 細ねぎとしょうがの香り
・蕪と海老の冷やし出汁はミキモトパールの切子に入れて
・柚子釜にウニとゴマ豆腐
・海老薯と淀の大根 炊き合わせ
・百合根と湯葉の釜炊きご飯は芥子入り豆腐赤だしと千枚漬け赤カブとすぐきの香の物
・大きなイチゴと洋ナシの水菓子はブランマンジェとともに
・自家製 銀杏のきんとん 小豆餡入り
・お薄

お酒のあてかと思えるような高級珍味も、ご主人にかかると舌にとろけて
おなかに流れ込む、美味しい料理に変身します。
器の楽しさも極上。
極端な話、献立の値段は器の差とも言えるようで、
前回より15%ほど高い値で申し込んだので、200年物の楽焼や
ミキモトパールのガラス器に盛られたわけです。
これは、前来たときに、隣の席の人の料理内容と器を見ていて
わかったこと。
ただし今回も、値段が違うのか、通う回数が違うのかはわかりませんが、
別席のご夫婦に供された蕪と海老の冷やしものは、ノーベル賞授賞式に
同行した人が、北欧で求めてきたガラス器だと説明されていました。

料理について云々いえるほど、私の舌は肥えてませんし、
比較して表現する知識も持っていません。
ただ、綺麗に美味しいと感じられるそれぞれ。
雑味もケレンミも無く、味だけが舌の上に置いていかれる
とでも言うのでしょうか。

たらふくいただき、角まで見送ってくれる主人と奥様の礼にも
恐縮しながら、今日もホテルまで数キロの道のりを、ふさおまき夫婦は
笑顔のまま笑い声を上げながら帰ったのでした。

年の終わりは京都で

2008-12-31 23:36:13 | ふさおまき(オス)日記
29日、午前中に慌しく仕事を済ませ、14時07分品川発ののぞみに乗車。
指定は満席、禁煙普通がとれなかったため、大判振る舞いのグリーン。
ゆっくりするぞの思いをよそに、おそらく同じ理由でやむなくグリーンを
とっただろう小さな子供づれの帰省家族が多く、車内は歌ったり叫んだりする
元気な声でさんざめく。
天気の良い車窓、まあ風景でも眺めながらと弛緩したとたん、眠気が急襲。
仕事を忘れるとはこういうことね、と抗うまもなく眠りのそこへ。
目が覚めたときはすでに掛川通過。
ぱらぱらと「グインサーガ124ミロクの巡礼」を読みつつ、名古屋到着。
そこから京都までは懐かしい伊吹山ろくに、かつてふさおまきメスとロケした
時にはついに恵まれなかった雪が覆う風景を楽しみながら、ああ草津に街が
ビルがなどと叫ぶうちに、すぐに到着。
八条口を出て16時30分のウエスティン都ホテルシャトルバスに乗って、
蹴上まで20分。相変わらず外国人客の多いフロントでチェックインを済ませ、
年末ルームチャージで値段に負け、スーペリアダブルの一休お得プランに
妥協してしまった内向き庭園ビューの部屋に入る。
インターネット接続1500円に悩みながらも、今晩の夕食チョイスのために
コネクト。
明日は桜田さんの予約をしてあるから、今日は中華がいいと、ふさおまきメスの
主張に同意し、かつてから気になっていた、「東華菜館」を見つけ、電話すると
19時から席あり。
街を歩いてから食べようと、17時45分のシャトルバスに乗ろうとすると直前で
補助席まで満杯になり、まあいつものことかと、パンプスの妻には申し訳ないながら
三条通を下っていく。西とはいえ、さすがにこの時間は暗い・・
中に浮かび上がる民家の明かり。ふらふら立ち寄ると、さすがに京都。
茶道具、塗り物、ふすまや、そしてなんと「がま口」の店が。しかも
アンテナショップのような新しい店。
一歩店内に入ると、これが今の京都なんだろうねというラインナップなのです。
全てががま口仕様になった、小銭入れはもちろん、バック、ペンケース、印鑑入れ
が、友禅などの伝統生地に、キャラクターなどを施しつつ、何百というアイテムが
おもちゃ箱のように並べてある。しかも、黒パンツに白シャツといったすっきり
した色白でなぜか瞳の大きい女性店員は、問えば明るく答え、レジでは満面の笑み
とともに、飴をどうぞなどと、客を実に気持ちよくあしらってくれる。
新しい京都流もてなし、といえば聞こえもいいだろうけれど、
どちらかといえば京都で控えめに現出した、東京発ビジネスモデルサービス、
でしょう。
その後先斗町などで、古い店を大方追い出し、町家の外見だけを利用して
考えぬ舌にメニューを提供する飲食店を数多く提供する、
一瞬の居心地はよくても、歴史だとか伝統だとかしか持ち得ない
ひねた近づきがたい硬質の、だけど崇高さを覚える心は感じられない。
覚えているのは写真に撮った店の外見だけでね。

まあ、いいです。
で、ひねくれもののふさおまき夫婦は、
祇園に行って1939年開店「平川風月堂」でフルーツコンポート(生クリーム)
と、小豆と抹茶の2層ムースに栗と小豆の甘煮を乗せたケーキを購入。
そして、時間ぎりぎりに1926年(大正11年)にヴォーリスが設計し最初は西洋料理店として
開業したという、四条鴨川ぞいにひときわデザインが目を引く東華菜館に到着。
ずーと食べたかった普通の「酢豚」と飴芋をメニューに発見し、
たがが外れて、蒸し鶏を前菜にとうもろこしのスープ、野菜も食べなくては!!と
湯葉と野菜の炒め物、そして五目チャーハン  二人でとどまることの知らない
中華喰い全開でいただきました。
この飴芋のもりのよさをご覧あれ!サツマイモがどの野菜よりも好きなふさおまきオスに
とって、大学芋は幼少からの憧れ料理。最近では白はと工業さんがJR新宿駅をはじめ
店舗を展開する”らぽっぽ”解凍ものが飴をきっぱりさせる系や、
川越芋問屋から発しているという浅草・御徒町などでたっぷり密餡をからめてくれる
ホクホク系があるのですが、いかんせん作りおきのお持ち帰りなのです。
中華料理店のテーブルで、上げたてパリッ、餡固まりたてカリッの
ダブル歯ごたえを楽しめるのは、かつて毎年正月に母方一族を集めて祖父が開いた
名古屋のいまや店名を覚えていない大中華飯店でしか食べたことがありませんでした。
当時気弱な少年だった私は、親戚の前で大好物に進んで手を出す欲望展開が
不可能でした。だから、ひとつ二つかじって、それ以上食べないので、ひょっとしたら
男子の男子たる姿を求めていた、私が高校になって「日本婦道記」などを読書に薦めてくれた
祖父母には、この孫は甘いサツマイモが嫌いと思われたかもしれません。
それだけに、35年近い年月を経て京都の街中の中華料理店で出会ったメニューに
私は即刻飛びついたのです。
皿いっぱい、いただきました。
絡んだ飴でくっついた、乱切りの芋をうんぎゃとはがし、大きな口をあけてほおばり、
カリリパリのダブル歯ごたえと、なかから程よくほっくりほどける、金時芋ではない
伝来のサツマイモらしい、根菜としては最高ながら決して野菜から菓子には転じない
ぎりぎりの矜持をもった甘さが口中に広がるのです。
ああ、堪能でした。
翌日の繊維質食の宿命である、胃腸出口からの排気を恐れるまもなく
ほぼ全てを一人で食べたのでした。
おかげさまで、最上機嫌で宿まで歩いて帰り、早い眠りにつくことができました。