今日も好天、汗ばむ陽気。風もほとんどなく、
絶好の競技日和でした。
さて、東京の地方選手権とは言いながら、そこはそれ、
天下の国立競技場を我がもの顔で走り回れる数少ない機会。
今日はヤリもなげますから、芝生までいただくことが
できるのです。
出場は400mとやり投げ。
しかし困ったことに、競技開始が両方とも全く同じ、
10時50分。うーん、これはいかんともしがたい。
400を走り終わったらすぐに投げに行くしかしょうがないし、
それでも3投中の2投目には間に合うだろうし、21人のエントリーだから
うまくいけば、1投目の最後からやらせてもらえるかもしれない、
などという皮算用は、すぐに打ち砕かれるのです。
最初密かに危惧していた、皮算用の破綻は、
「400mを走り終わって、私の足腰が役に立たなくなった場合」でした。
現実は、想像外。
なんと、トラック競技の前種目・100m走が、計時器の故障もあって
11時20分までかかったのです。
つまり、トラック競技が30分も遅れ、私たち400m走者は
スタート地点で足止め、その間にやり投げは次々進行していたの
でした。
こんな天の配慮ばかり面白がる性格なので、
どうも競技の結果を書くにたどり着きません。
そういえば、競技終了後、ふさおまき(メス)から、
「あなたは、競技中ホワーンとし過ぎている。もっと周りを
威嚇するくらいにならないとアスリートとはいえん」と
宣告されました。どうやら、スタートを待っている途中、
ベンチの端っこで、ああどうなることやら、やり投げは
できるのかなあ、と一人物思いにふけっていたのが
スタンドから見えてしまったようです。
そう言う中で始まった、400m走。
5月の神奈川マスターズで走って以来、2度目の挑戦です。
コースは一番内側の①レーン。人の顔色をうかがう私には
最もふさわしく、一番後ろから全員の背中を追い、
走るスピードや疲れ具合を見極められる位置です。
そして今日については、その特徴が最大に生かされ、
かつ災いともなったのでした。
というのは、M45のこの組の走者は、走力ドングリ。
背比べのスタートで、第一コーナーを曲がり直線に入ったところでは
等間隔で背中を見ることができました。
第2コーナーにさしかかる200メートル、隣のコースの方が
少し減速するのがわかり、私はスピードを維持するだけで
一つ順位が上がります。
向こう側のカーブから最終コーナー、300メートル地点。
トラック1周をするこの競技の醍醐味とも言える場所で、
ここで全員の順位がはっきりし、自分の力のもっともコントロール
し難くなるところでもあります。
ところが・・・足が軽い。
若干上半身はしびれが来て、酸欠を呈していますが、足は動く。
これなら、外コース前にいる、少しづつ減速を始めた2人を
抜くのは間違いないなとおもい、回転を速め、サーフェースのプッシュを
強めます。
残り50m、先頭に立ち、KAZさんの声援も聞こえてきました。
ありがたいありがたい、しかも絵に描いたようなレース運びで、
先頭ゴール。
タイムの速報版はないので、記録は分からないまま、腰ナンバーを
引きちぎるようにして外し、トラックの外側を回って、
やり投げへと向かったのでした。
さて、何が災いだったのかというと、
人の背中ばかりを見て、自分の体力ぎりぎりの勝負をかけなかったので、
後で発表されたタイムは58”22,前回より1秒31も遅れたのでした。
どおりで、ゴールしてすぐにヤリへ走って行けたはずです。
そして、ようやくついたフィールド。
審判員に声をかけると、「ちょうど今、ゼッケン422はDNSと書いたところ」
と言われました。
競技開始から30分以上経過して、すでに投擲は3回目に入り、私の順番も
すぎていたのでした。
そこはマスターズ、やな顔一つせず、役員の方は私の最終投擲を認めてくださり、
しかも一回の練習までさせてくれたのです。
すでに競技を終えた他の選手に見つめられ、短距離スタイルで汗だらけになって
2メートルを超す竿を振り回す私は相当におかしな姿ですが、
本人にはほとんど余裕がありません。
テークバックの胸を張った引きだけを念じて練習。
そのごすぐに本番です。
まあ、後でビデオで見て、ふらふらの足元がほほえましい限りなのですが、
ふわっと投げ出したヤリは32メートル15センチ、
先端がついたかつかずかと言ったところでしたが、これも温情で
白旗があがったのでした。
全て終了したのが11時50分。
なんともめまぐるしい1時間でしたが、競技終了後
ことのほか充実感となぜかハイな気分が訪れたのでした。
どうやら、いろんなことを考えて、手足を2種類に動かし、
心身が喜んでいたようです。
結果は、
400m 58”21 M45クラスの8人中3位
やり投げ 32m15 M45クラスの4人中2位
銅メダルと銀メダルをいただくことができました。
絶好の競技日和でした。
さて、東京の地方選手権とは言いながら、そこはそれ、
天下の国立競技場を我がもの顔で走り回れる数少ない機会。
今日はヤリもなげますから、芝生までいただくことが
できるのです。
出場は400mとやり投げ。
しかし困ったことに、競技開始が両方とも全く同じ、
10時50分。うーん、これはいかんともしがたい。
400を走り終わったらすぐに投げに行くしかしょうがないし、
それでも3投中の2投目には間に合うだろうし、21人のエントリーだから
うまくいけば、1投目の最後からやらせてもらえるかもしれない、
などという皮算用は、すぐに打ち砕かれるのです。
最初密かに危惧していた、皮算用の破綻は、
「400mを走り終わって、私の足腰が役に立たなくなった場合」でした。
現実は、想像外。
なんと、トラック競技の前種目・100m走が、計時器の故障もあって
11時20分までかかったのです。
つまり、トラック競技が30分も遅れ、私たち400m走者は
スタート地点で足止め、その間にやり投げは次々進行していたの
でした。
こんな天の配慮ばかり面白がる性格なので、
どうも競技の結果を書くにたどり着きません。
そういえば、競技終了後、ふさおまき(メス)から、
「あなたは、競技中ホワーンとし過ぎている。もっと周りを
威嚇するくらいにならないとアスリートとはいえん」と
宣告されました。どうやら、スタートを待っている途中、
ベンチの端っこで、ああどうなることやら、やり投げは
できるのかなあ、と一人物思いにふけっていたのが
スタンドから見えてしまったようです。
そう言う中で始まった、400m走。
5月の神奈川マスターズで走って以来、2度目の挑戦です。
コースは一番内側の①レーン。人の顔色をうかがう私には
最もふさわしく、一番後ろから全員の背中を追い、
走るスピードや疲れ具合を見極められる位置です。
そして今日については、その特徴が最大に生かされ、
かつ災いともなったのでした。
というのは、M45のこの組の走者は、走力ドングリ。
背比べのスタートで、第一コーナーを曲がり直線に入ったところでは
等間隔で背中を見ることができました。
第2コーナーにさしかかる200メートル、隣のコースの方が
少し減速するのがわかり、私はスピードを維持するだけで
一つ順位が上がります。
向こう側のカーブから最終コーナー、300メートル地点。
トラック1周をするこの競技の醍醐味とも言える場所で、
ここで全員の順位がはっきりし、自分の力のもっともコントロール
し難くなるところでもあります。
ところが・・・足が軽い。
若干上半身はしびれが来て、酸欠を呈していますが、足は動く。
これなら、外コース前にいる、少しづつ減速を始めた2人を
抜くのは間違いないなとおもい、回転を速め、サーフェースのプッシュを
強めます。
残り50m、先頭に立ち、KAZさんの声援も聞こえてきました。
ありがたいありがたい、しかも絵に描いたようなレース運びで、
先頭ゴール。
タイムの速報版はないので、記録は分からないまま、腰ナンバーを
引きちぎるようにして外し、トラックの外側を回って、
やり投げへと向かったのでした。
さて、何が災いだったのかというと、
人の背中ばかりを見て、自分の体力ぎりぎりの勝負をかけなかったので、
後で発表されたタイムは58”22,前回より1秒31も遅れたのでした。
どおりで、ゴールしてすぐにヤリへ走って行けたはずです。
そして、ようやくついたフィールド。
審判員に声をかけると、「ちょうど今、ゼッケン422はDNSと書いたところ」
と言われました。
競技開始から30分以上経過して、すでに投擲は3回目に入り、私の順番も
すぎていたのでした。
そこはマスターズ、やな顔一つせず、役員の方は私の最終投擲を認めてくださり、
しかも一回の練習までさせてくれたのです。
すでに競技を終えた他の選手に見つめられ、短距離スタイルで汗だらけになって
2メートルを超す竿を振り回す私は相当におかしな姿ですが、
本人にはほとんど余裕がありません。
テークバックの胸を張った引きだけを念じて練習。
そのごすぐに本番です。
まあ、後でビデオで見て、ふらふらの足元がほほえましい限りなのですが、
ふわっと投げ出したヤリは32メートル15センチ、
先端がついたかつかずかと言ったところでしたが、これも温情で
白旗があがったのでした。
全て終了したのが11時50分。
なんともめまぐるしい1時間でしたが、競技終了後
ことのほか充実感となぜかハイな気分が訪れたのでした。
どうやら、いろんなことを考えて、手足を2種類に動かし、
心身が喜んでいたようです。
結果は、
400m 58”21 M45クラスの8人中3位
やり投げ 32m15 M45クラスの4人中2位
銅メダルと銀メダルをいただくことができました。