朝6時、いつもより少し緊張して目を覚まします。
あまり正確ではない表現です。
昨晩は早く寝よう、寝坊はできないと自縛して床につきました。
久しぶりに夢を見ながらも、一気に夜明けを迎え、目覚ましをセットした6時の15分前に、ヘッドでウダウダすることなく起き抜けたという行動の状況の感覚です。
四条室町上がるJR系ビジネスホテルを出て、魚屋さんが店の準備をしている錦通りを歩き、
人が少ないのを良いことに、普段は通る勇気のでない路地裏まで入ったりしながら、20分程で
今回の旅の唯一の目的としている場所に到着します。
建仁寺です。
月に一度、第二日曜日に千光会という座禅会が開かれるのを見つけたのです。
先日の福井・永平寺への旅で座禅を体験させて頂くつもりだったのですが、連休中の法要と重なり開催休止。では、改めてと探したわけです。
座禅を体験、という表現にもいささか違和感がありますが、
体験、経験の積み重ねが生きることと積分的に考えて、
少なくとも『初めてお寺で座禅を組む目的で座禅会に参加する』
気持ちはデビュー。
それほどデビュー前の鍛錬を積んだわけでもありませんが、
いつかいつか、と言うくらいには頭に描いていた事なので、
気持ちの航跡は長く引いています。
白砂の庭を前にしたお堂の、
仏壇周りの四室に座禅用の二枚組の座布団が敷かれ、
比較的早く到着した私は目立たない障子襖際の場所を取りましたが、
始まる頃にはざっと150はあるだろう座布団は全て埋まり、縁側の板の間に座る人もいらっしゃいました。
開始10分前に簡単な進行の説明が有りましたが、足の組み方、呼吸法はしおりに目を通しての自習です。
開始の合図は木製の板を叩く音(何らかの名詞は付いているはず)と、続いてなる鐘の音。
一度目は20分。
真っ白になるはずなので、何も書かずに次の話に向かいたいのですが、
雑念は噂通りに次々湧き出します。
しかも、何故と問いたくなるほど日常に関わる身の回りの事ばかり、そして、こちらは思っていたより早く過ぎる20分を知らせる鐘がなります。
五分の休憩後、再び20分の座禅。
一度目より姿勢と呼吸はすぐに整ったのですが、その分早くから雑念モクモク。
合掌して警策を頂戴します。
こちらの会では、参加者がお願いして、お坊様に両肩を二回ずつ叩いて頂き、
座禅の世界を進む手助けを頂くのです。
確かに叩かれることで、堅くなっていた肩の筋肉が緩み血が巡る感覚が生まれ、全身の筋肉が整います。
ただ正直、雑念は再度現れましたが。
後半もすぐに終了。
ああ龍になりたいと、お堂の襖絵を眺め、望む己になれぬ自分を、
諦めるのか、解放するのか分からぬような、
でもどこか素直になった気持ちにもなって、
雨脚が強まる京都の街にに出るのでした。