日々ふさおまき

走って跳んで歩いてます。

モードのちぇん

2018-08-30 10:09:13 | マスターズ陸上(オス)
両脚アキレス腱が痛いまま出場した大会のあとは、もちろんアキレス腱が痛い。
でも、全国までは3週間なので、トレーニングの組み方をリニュアルして、ケアに払う注意も増やすことにしました。

練習は短時間、走る事と、跳ぶことに直接繋がる負荷を、トラックで出来るだけ。



保冷剤を持ち歩いて、アイシング。
中には、彼女が初夏に仕込んだ置いてくれた、梅シロップの水割りも潜ませてリフレッシュです。



東京生涯スポーツ大会陸上に四年ぶりのこんにちは

2018-08-26 19:57:04 | マスターズ陸上(オス)
東京に住んだり、東京で働くおじさんおばさんが、色んなスポーツで市区町村対抗形式によって勝敗を競うのが『東京都生涯スポーツ大会』。
参加選手は、個人ではなく○○区代表、ともなるので、タイム以外に動機が生まれて燃えるのです。



この3年間はイベントの仕事が重なって参加出来ませんでした。久しぶりの渋谷陸協ユニフォームに袖を通します。

一種目目は100メートル。すでに35度を越えています。スタートゾーンには水を張ったバケツが置いてあって、手と膝に水をつけるように指示がありました。そう、クラウチングスタートのポジションを取った時、トラックの表面が強い熱源になっているからです。
その熱さに配慮したのか、オンユアマークから号砲が鳴るまでの時間が幾分短かったような気もしますが、私はそちらの方が得意。
スタートダッシュは、右隣6レーンを走るこの10年来殆ど背中を見ている、短距離のオールマイティ選手Tさんにそれほど遅れをとりませんでした。
しかし中盤のトップスピードへ持っていく力強さに大きな差がありました。一時にグッと引き離され、2メートルほど後を拝したままゴールへ。
13秒04、向かい風0.8メートルで、組2位、50〜54歳全体3位でした。

2種目目は走り幅跳び。11時15分に終わった100メートルから45分後の開始なので、アップをしなくても済み、疲れも抜けている丁度いいスケジュールです。
今年初の幅に、1回目の助走は全く合わず踏み切り板を大きく超えてファール。不安を感じて振り返ったらグラウンドに突然のつむじ風が吹き荒れました。
テントが飛び、大きな日傘が転げ回り、記録用紙が舞い散り、審判員の1人に怪我をした方も出ました。波乱の出だし。

しかし二回目、スタート位置を少し変えてみると足が合いました。
5メートル17センチ。目標の5メートルを越えて、喜びというか、随分ホッと安堵したのが正直なところでしょうか。
まだこの距離を跳躍するバネと巧緻性が自分の身に備わっていることを確認できるからです。

三本目は、踏み切り板を気にせず視線を上に向けて飛び出し、着地も私には珍しく前に脚を伸ばして距離を稼いだのですが、記録は変わらず5メートル17センチ。少し残念な心持ちでもありますが、もう少し練習を積んでみようという意欲も湧いて、年代一位も頂きました。

最後の種目は、大会全体も締めくくる4×100メートルリレーです。
冬からバトン練習を重ねてきた渋谷区シニアショートスプリンターズの仲間で挑みます。
午後3時50分のスタート時間になっても緩まない熱暑の中、揺らぐ空気の向こうで一走のN野さんが、直前の400メートル走の疲れも見せず、ダイナミックなフォームで走りだします。
二走のN村さんもスムーズに走りだしよくスピードが乗ったところでバトンが渡り減速はありません。直線の見せ場を力強く駆け、三走のM留さんへ。体幹の強さで1レーンの深い曲線でも内傾の姿勢を安定させたまま、滑るようなコーナリングを見せてアンカーの私に近づいてきました。
17足長と決めたマークを越えたところで全速ダッシュ。数歩で間近に迫るM留さんの気配を感じ、走りだしのタイミングも良かったことに安心します。ハイッ、の声で振り下ろした左腕を止めるとスッとバトンが手の中に入りました。
そこからはもう無我夢中。前を走る杉並区の韋駄天に追いすがるも、距離を離されないようにするのが精一杯でしたが2位でゴール。全体でも2位に入り、50秒61で、私の参加した生涯スポーツ大会では渋谷区の最高記録を出すことができました。

メンバーとの握手も嬉しい大会のフィニッシュに、喜びも一入となりました。
渋谷チームに、そして大会関係者に深く感謝。
明日からも、体を鍛えて参ります。



また来るね、ミュンヘン

2018-08-17 18:16:29 | 旅行記

夢のような滞在6日は、足早に過ぎました。
最終日は、もう少しずつ想い出のスケッチを増やします。

朝食は、いつもより倍はあるヴァイスヴルストを頂き、量は控えめに。


何故なら、すぐに外へ走りに行くため。
初めての駅、レーエルから顔を出すとやっばり素敵な美しい街並みです。



目指すのはイングリッシュガーデンと言う公園ですが、出迎えてくれたのはこの方たち。


なんと、サーファーです。
公園の川が激流なんて不思議です。

しばらく観戦して、私たちも運動開始!


緑を通した陽光に、胸に入る爽やかな空気。
カーティスクリークは透明にとうとうと流れます。


足は軽くなろうというものです。



小一時間走って一旦ホテルに戻り、シャワーを浴びて荷造りをします。
チェックアウトタイムぎりぎりにホテルを出ます。
毎日明るい笑顔を見せてくれたベッカムフェイスのフロントマンともお別れです。


昼ごはんは諦めて、私が行きたかったドキュメントセンターへ足を運びます。


ナチスが母体を固めたミュンヘンだからこその、
歴史の悔悟が、第一次世界大戦後の対ソ連との国際関係や、賠償金によるハイパーインフレと政治、
さらには世界恐慌による出口の見えない経済などとの関係の中で語られていました。

まあ、上の半分くらいは、世界史に堪能な彼女の解説引用ですが、頭は相当に糖分を消費したようです。

ミュンヘン洋菓子の老舗、クロイツカムさんへ。


そぎ切りのバームクーヘンは80グラムのビックサイズ。エネルギー回復成功です。



その後は最後の街中散歩。
今日もご機嫌の快晴で、デパートなども覗いてお土産も買って、ついに時間となりました。
18時15分、中央駅前バスターミナルからリムジンに乗って、いまこれを書いています。


ではね、ミュンヘン。



日中の写真は帰国後にアップします。


5日目のミュンヘン 美しき日

2018-08-17 06:07:34 | 旅行記
丸一日遊べる最終日。
今日は特急でお出かけします。



地味な感じだけど、昨日のRBより速い、IEという記号のつく番号で、中央駅9時50分発。
定刻3分遅れが、既にアナウンスされてます。
そういえば、昨日登山電車で同じボックス席に座ったご婦人が、『さすがドイツでしょ』といって、出発時に腕時計を指差しながら、ニコニコしていらっしゃいました。



目的地はアウグスブルク。ミュンヘンから最初に止まる駅です。
美しい青空に、この街並み。



雄大な、という形容詞をつけたくなるほどに、建物も、車道も歩道も余裕があり、
堂々と歩く気分になります。

カフェ前の大きなテントは、歩道に支柱が埋め込んであって、
ギコギコ歯車を回して傘が開いていきます。



アウグスブルク観光で有名な場所の1つが、
中世に建てられ、先の戦争で空襲に遭いながら、
わずかな期間で復元され今も執務に使われている市庁舎です。



市民が誇る美の部屋があるのです。



3階に登る階段から、既に光が!



黄金の間、です。
天使も金箔をまとって、壁や天井で幸せを振りまきます。







溢れ話。
黄金の間に続く控えの間で展示中の、アウグスブルク姉妹都市。


尼崎市と長浜市もその1つで、盆梅や子供歌舞伎、武庫川の風景が展示に入り、妙な懐かしさを感じます。



こちらもアウグスブルクの美を象徴する大聖堂。
ローマ時代から建造が始まったらしい教会は、
次々に建物を広げ、バロック、ロココなど礼拝堂がいくつもある、
巨大な建造物に成長しています。
聖母教会系ということで、受胎告知をはじめとする
沢山の宗教絵画もあったのですが、
教会の中で、巨大なシャッター音を放つ日本のスマホを使うのが憚られて、
ちょっとだけ雰囲気を。




観光地ではありませんが、彼女が面白い場所を教えてくれました。



フッカライハウス、という世界で初めての社会住宅です。しかも、フッカライ家という民間による16世紀の建物といいますから、驚きはひとしお。



今も使われていますが、博物館として古い部屋が展示されています。キッチン、リビング、ベッドルームに書斎と、
ひと家族に50平米が割り当てられています。





フッカライ家は銀で財をなし、困窮する市民向けの住宅を作ったそうです。
家賃はわずか、ただ勤労の精神がある事と、キリスト教徒が条件。
この財閥は、次々に詳細ある人物を輩出して、
金融で他国を裏から支配した歴史もあるとか。
当時の勢いはないものの、今もフッカライ信託銀行などがあり、
社会住宅は、中をリノベーションして役割を続けています。





15時過ぎの各駅停車でミュンヘンに戻り、
私が行きたかったあの場所へ。
私の記憶に最初に刻まれた夏のオリンピックのスタジアムです。



ミュンヘンオリンピックは、1972年、私が小学二年生の夏に開催されました。
選手村でのテロ事件の方が歴史に残った悲しい大会でもありました。





ただ、ワタシにとっては、父が始めて出かけた海外出張のお土産に、
ミュンヘンオリンピック記念キーホルダーを貰ったことが、記憶に深い大会でもありました。



今はオリンピックパークとして、市民憩いの美しきレガシーです。



4日目 ドイツ最高峰に気分はもちろん最高です

2018-08-16 07:09:38 | 旅行記
山に出かける朝は早起き、という基本は最低限守った6時起床。眠いかどうか身体が曖昧なのは、時差同化中だからでしょう。



ホワイトソーセージにハニーマスタードの朝食も慌ただしく、
ブレッチェルは非常食に1つ懐へ忍ばせて、
7時13分発の地方線急行列車に乗り込みます。


入り口がシンプルなミュンヘン中央駅は、中は広い上に、二段構えのように奥も深い。



ホームが広いからか、単に横着なのか、
自転車に乗ったままホームを走る人に驚きながら、車内の整然とした収納システムに、
この国に根付いたサイクル文化を見ました。



急行1時間20分、登山鉄道に乗り継ぎさらに1時間余り、空気がどんどん清新になり、
深呼吸したくなる山頂へは、
最後にロープウェイでたどり着きます。









ロープウェイから、登山者発見。



三分で山頂駅、気温は4度。


気圧は743hPaほど。


そしてお待たせしました。
絶景とご対面!





眼下には、小さいながらも氷河や、氷が削った谷間に開くアイプ湖が見えました。

本当の山頂には、少しだけ鎖場とハシゴを辿ります。



あの、十字架の立つ場所へ。



細い尾根に最後はややへっぴり腰か?



到着!



恐々見た下界一枚。



怖いながらも気分は最高です。

下山後は、上からも見えていたアイプ湖を一周、1時間半ほだハイキングして、
興奮した気持ちと脚のアイシングをして、
山の1日は過ぎるのでした。






街中の王宮など、今昔

2018-08-15 06:42:06 | 旅行記
3日目のお出かけは市内巡り。
昔と近代、現代の3つに分かれた美術館のうち、
昔と今を見学しました。
近代を抜かしたのは、体力知力がついていかないのと、
そちらだけが火曜日休館だからなのですが。



オールドはもちろん宗教パワーが迫ります。
どれだけの受胎告知や聖母子が並ぶことか。
人気はダビンチ作ですね、やはり。



印象的なのは僕的にこちら。



カバと戦う騎士、こういう好敵手の組み合わせは初めてですね。

開館の10時と共に入ったのに、二階を見終わるだけで2時間、一階は改装中で4分の1ほどしか見られなくても、一息つくには午後1時近くになっていました。
お昼はミュージアムカフェを使わせてもらいます。



グリーンサラダはレタスタップリ、オリーブ100球、ツナ缶業務用お玉に一杯、という盛りの良さ。
ホテルの朝ごはんで並ばない葉菜をタップリ補給して、さらにキャロット・パイナップルケーキをいただきました。

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そして第2ラウンドは現代美術の『ピナコテーク モンデルネ』。
お迎えは!



宇宙船かと。現代アートです。



シンプル、だけど包容力あり。
一歩踏み入れて館内の風景だけでも、先ほどのアルテ・ピナコテークから大きく時間は飛躍します。





アートは視覚を崩し、分解して、さらに身体化の試みが展開されます。



この影は、こう作られます。



そして実用品も含めて、デザインという名前ももらったりすると、
もうアートは様式ではなくなっていくのかな、などと愚考します。





今日は時計が行ったり来たり。
現代アートの次に、針は近世に戻り、王宮・レジデンスの見学です。



地図を見ても、案内板を見ても入り口がよくわからない、という無駄足を踏みつつ、
一度歴代王家が作り上げた、収集した部屋と調度を順序をつけて見て回ると、
権力の段取りのようなものが見えて面白く、
同時代にさえいなければ、
集約された力に憧れも妬みもなく、
何ともゲームのようだと思うのでもありました。



ホールには、天井に聖なるフレスコ画、
壁には王たちの彫像が並びます。



磁器の間は、流石にマイセンの国です。



時代が下れば、東洋からの収集も。



柿右衛門です。1つや2つではないのが、お宝鑑定団ではない、権力者の所業というものです。



王の謁見、妃の拝謁、それを待つ控えの間に従者の待機部屋。
寝室、書斎に執務室。
それは広い敷地が必要になるのもしょうがありません。

そんなこんなに胸を一杯にしているうちに、
間食のクーヘンが意外にお腹に持ちこたえ、
3日続けて夕飯は部屋食となりました。



明日は早起きなので、ポテトフライに甘めなソースのチキンレッグに、ブレッツェルのバター入りをムシャムシャすると、
調度いい感じです。



2日目はニュンフェンブルク城から

2018-08-14 07:18:56 | 旅行記
美味しい朝ごはんわ頂いて、さあ出かけよう!
綿密に彼女が立ててくれた計画に沿って、
西に向かうトラム17番に乗りました。



20分程、街を身近にみながら移動できるのがトラムの良いところ。突っ走るドイツ車に混じって、
加速良く進みます。



トラムを降りて数分、すぐに白鳥が遊ぶ広い池の向こうにニュンフェンブルク城が見えてきます。



バイエルン州国王の避暑地で妖精の城という別名があるとガイドブックに書いてありますが、
日本語ガイドを聞くと、
17世紀にお妃が子供を産んだお祝いに建造を思い立ったと言いますから、バイエルン王の権勢は巨大だったのでしょう。



最初に足を踏み入れる大広間は、特に力を入れたのでしょう。
フレスコ画に天使がニコニコ群舞して、幸せな気持ちにさせられます。



その他にも控えの間、謁見の間、
そしてご婦人方の部屋を巡って、お庭に出ました。



お庭というより、丘と湖をまるごと居場所にした、という感じでしょうか。
あっちにもこっちにもパー5のコースが伸びているように見えました。



緑の中にはいくつか離宮が点在して、
どうやら狩の間に休んだり、
泳ぐために作ったりと、避暑も豪華な休日なのだと思い知りました。



部屋の中のプール、深くて戸惑います。
中でも目を丸くしたのが、
ルードヴィヒ二世の遺品です。


よくもまあここまで飾ったと驚くしかない馬車が、何台もあるのです。
さすが、戦時中にも己を追求した王の趣味は、
行き着くところに果て無しだったのですね。



三時間近く、ゆっくり夏の園を歩き回りました。



2時、お腹が空いたまま、市内に戻ることにしました。


白に焦がれて

2018-08-13 08:54:02 | 旅行記
今回の旅、仲間から『ビールを飲めない君が何故ミュンヘン?』と問われたのですが、
深い思い出の食があるのです。

そして朝から出会うことができました。



真ん中のお皿にコロンと横たわったソーセージ。
バイエルン地方名産の、ヴァイスブルスト、白いソーセージです。
緑の粒はハーブ、絹挽の豚肉は実に滑らかな舌触り。程よく暖められて、優しい味わいです。
30年前に初めてミュンヘンを訪ねた時、
案内をしてくれた方から、これこそミュンヘンの味。白いソーセージは湯煎で食べるのが一番と教えて頂き、これほどの優しいソーセージがあるのかと虜になったのです。
しかし日本では、探しても見つからず、今回の旅で再発見を目論んだのでした。

ホテルの朝ごはん、見事に期待に応えてくれました。彼女にも食べてもらいたかったけど、
彼女はブラウンソーセージを選んだようです。

塩味のバンとともに、思わず頬が緩みます。


30年ぶりのミュンヘンです

2018-08-12 22:49:48 | 旅行記
緑のフィールドを眺めながら、ルフトハンザのairbus350-900機は、羽田から12時間のフライトを終えました。





入国審査も2、3人が並んだだけで、挨拶と滞在日数・目的を伝えるとすぐに終わり、
荷物もすぐに出て来たので、
到着から小一時間で市内行きのバスに乗ることができました。
座席が高く窓の大きな車体は、流石にドイツ車。
アウトバーンを麦とトウモロコシ畑を見ながら心地よく走り抜けます。

およそ40分でセントラルステーションに到着、
ホテルは目の前です。



Eden Hotel Wolffさんのフロントは、優しい笑顔とわかりやすい英語で迎えてくれました。
夜8時、日没と同時のチェックインは、やや時差ぼけで朦朧としながらも、
緊張感と興奮も体を包みます。





天井の高い落ち着いた部屋は、スーツケースを広げても邪魔にならない余裕の作り。
窓からはこんな感じです。



旅装を解いたら、この見えている駅舎の中へ出かけて、ミュンヘン第一食を手に入れて、
ホテルの部屋で頬張ったのでした。



甘い豆のデニッシュと、
焼いた白ソーセージのホットドック。



ハーブも香ばしく、バンはどっしり、
ドイツが腹に落ちました。