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クリンの広場

たまっこくりんのおもいのたけ

向島百花園と小倉常吉(向島散歩・2)

2024-02-13 | クリン江戸散歩

東京都墨田区向島で、いちばん・有名な場所

といえば、

むこうじまひゃっかえん(向島百花園)です。

江戸後期、お金もちのさはらきくう(骨董商・佐原鞠塢)が、

仲良しの文人たちと

「ねえ、何植える?」「ここどうする?と、楽しく相談しながら手作りした、

いわば、風流人のしゅみていえん(趣味庭園)

 

大名庭園のような、ものすごさは

全然ないけど、

500種類のお花が次々と咲く、かわいらしさが 江戸っ子に愛されてきました(3000坪)

🌼🌼🌼🌼🌼

「春夏秋冬花不断」って書いてあります🌼←真実

 この日・1月5日、園内には、

七福神めぐりの人々が集い

名物の「砂糖を使っていない甘酒」が売れて、小春日和でした。

 百花園のハイシーズンは、が咲く季節

 よって、「花屋敷🌸」と呼ばれる由来となった・梅の花には まだ早く、(2月に梅まつりやってます)

秋に長蛇の見物列をつくる・萩のトンネルは、(当たり前だけど)枯れ果てていました(これはこれで見応えあり)

が、

 竹の緑が すがすがしく

 紅白のサザンカも華やかで

 数カ所に置かれた、七草がゆのもと(春の七草)が、

お正月の伝統を 伝えていました。

 さはらきくう(佐原鞠塢)や風流な取り巻きについては

調べれば、いくらでも ビッグネームが出て来るので

ここには 記しませんが、

クリン、一つ、心にのこっているエピソードが あります🐻💛

 それは、明治43年、洪水により百花園の草木がダメになり、経営が危機的な状況に おちいった時に

救いの手を差し伸べた

という

実業家、小倉常吉の話です。

 小倉常吉は、油問屋の奉公人から

苦労して横浜に「東洋一の製油所」を開いた・石油界の大物でしたが

百花園の借金を肩代わりしてくれ

土地を買い上げて、なおかつ4代目(佐原鞠塢)に対し、

「このまま住んでいいよ。庭園もそのまま続けて

と言ってくれた、恩人だとのことです。

 

"なんという・太っ腹。

 "加藤千蔭、村田春海 、太田南畝、亀田鵬斎、大窪詩仏、酒井抱一、谷文晃・・の協力で開かれた

この百花園と、

江戸町人のこころざしを 失うのは いかにも惜しい。

そう考えてのことである、”

佐原家は 今もかんしゃ(感謝)しているそうです。

(百花園の先代の女将さん=佐原洋子さまがステキな着物美人でしてクリン🐻この方のエッセイ本を読んだことがあり、この話を何年もおぼえていたのです🌈✨✨)

 小倉常吉は、園内に祀られている・ふくろくじゅ(福禄寿)のような人だと、

クリンも 思いました🐻👑

 

(あ、百花園の売店なんですが、ちょっとおもしろかったですよ

園内でとれた梅で作ったとみられる梅干しや、近所の有名なお店のお菓子🍡

オリジナル絵葉書や、隅田川焼の湯飲み(千円)などが ありました~🍵隅田川焼、ひとつほしかった・・)

 

どこに行っても、お正月をじっかん(実感)しにくくなっている

昨今の東京にあって、

ようやく、お正月の空気に浴した、クリンたちでした🐻🎍

 

つづく

 

 

コメント (26)
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