一ヶ月の、長い夏休みに入ったチット
は、
毎日、なんだ☆かんだ、
と言っては、出かけています
お休みになったら、大そうじしようねって
約束していたのに。。
ですが、クリンは、
先の一件で、チットのトモダチガイ(かんじ:友達甲斐)に打たれた
ので、
しばらくは大目に見てあげることに、したのです。
それにチットは、
お出かけすると
大ていクリンにおみやげ
を
もちかえってくれるので、
クリンはチットのお出かけを、ゆるすのです。
<先日の回想>
おかえりーチットー。
おみやげなあに~?
「ホイ」
チットからわたされたのは、
「聖果実・佛手柑」とかかれた、「長寿飴」でした
ぶっしゅかん、は
仏さまの手の形をした インドのかじつで、
のうがきによると、
「毒素排出」のコウノウをもつ、
かんぽうやく(かんじ:漢方薬)だそうです。
・・・・・。
今日のは、ずいぶんシブイんだね。

一体これは、何なのか?
話をきくと、
今、上野でかいさい中の、
「空海と密教美術展」というテンラン会の、
おみやげコーナーで入手した、ということでした。
「東京国立博物館・平成館」は、
小雨ぱらつく平日の午後3時にもかかわらず、
おおいににぎわっていた
といいます。
今回テーマにとりあげられた、空海は、
日本人には、超・なじみ、の、超・リスペクトされている
「平安時代」のお坊さんです
れきしにくわしいチットは、
しょく場の同じく、
れきしにくわしい「後輩」っていう人と、
見学に行った、
とのことで、
いちばんの見ものは、
「神護寺の両界曼荼羅の実物展示」にツキるって、言っていました
他にも、
「空海直筆の文書」や、
「密教法具の三鈷杵」や、
「東寺講堂内の仏像曼荼羅」など、
目を引くお宝のかずかずがあったけど、
上の二つは、
空海その人への知しきのウム(有無)で、
そのありがたみのハバは大きくことなってくるし、
メインで、
かつ大トリをかざった仏ぞうも、
「仏像愛好家」たちをよびよせるために、
京都からつれてきて、
四方・八方からくまなくカンサツできるように、
かざられていた。
パンフレットより。(東寺・講堂内・左端:帝釈天)
「仏様のお姿は、
あくまで下から見上げるタイショウ(対象)であって、
上から見下ろしたり、
背後にまわったりできるようにすることに、抵抗を感じる」と、
チットは言います
「とうはく」はこのテンジ方法で当たったので、
有名仏をつれてきては、
毎度・同じようにテンジし、
お客さんたちは、
「普段は見られない背面や、後光の造りまで全部見れた」と、
のせられてヘンなことをよろこんでいるって、
チットは、かなしそうに言います。
「美術品」として対めんするのではなく、
仏ぞうには、
いつでもどこでも、かるく手を合せる、信心ぶかいチットなのです
だから今まで、
汚い紙のように見えていた「両界曼荼羅」が、見上げるほど大きく、
また、
こまかく金の仏がえがかれているのが、光に照らして見えたとき、
かんどうしたそうです。
って言いながら、
マンダラ仏ぞうのメンバー中のイケメン・「帝釈天」のことは、
ついまっ先にさがしちゃった
などと、
チャライことも言ったりします
。
さらに、
「仏教の優位性をあらわす」ために、
ヒンドゥー教の水牛の上に、あえてのっかって「調伏」している「大威徳明王」や、

シバ神をふんづけている、「降三世明王」については、

あまりにハイタ的で、あきれちゃったそうです。
でも、
かれらを含め8体はやっぱり人気で、
「グッズショップのフィギュアがおじさんを中心に売れていたよ」
とチットは言っていました。(帝釈天のハンコは売り切れ)
もう一つチットが気になったのは、
空海といえば定番の、「肖像画」が
東京の「西新井大師所蔵」であったことだったそうです。

みっ教について、いろいろ・しらべたこともある、チットですが、
けっきょく、みっ教のことは、
はっきりと わからずジマイにおわっているそうです
文字や、ことばの教えだけでは、
決してりかいすることができない。
「ホントにそうだわ」って、
言ってます。
「会場で熱心に見ていたお客さんたちの何人が、密教を理解しているんだろう?って思っちゃった。でも、
人って、理解できないもの、追い求めても答えに届かないものに惹かれる面があるんだね」
と、
一人でナットクしていました
・・・・・・。
だから
このふしぎな東寺のアメは、
せつやく家のチットに735円も出させたんだ、、
クリンは、ナットクしました。