「手を使ってはいけない」というルールは、
いつ誰が思いついたんだろう。
と思いながら、サッカー中継を見ている。
TVで見る限り、動きが制限されているようには見えない。
まるで最初からボールは足で蹴るためにあり、
足はボールを蹴るためにあるみたいだ。
でも、そのボールを手でさわると、わざとじゃなくても
厳しく反則をとられるので、
「そうか、手は駄目なのか」とあらためて思う。
プレイには使えない手にも、多彩な使いみちがある。
ファウルを宣告された選手が、審判に向かい、
両手をひろげて抗議している。
「なぜだよ?」「何もしてないだろ?」
国際試合では、言葉が通じるとは限らないし、
そうでなくても大歓声の広いスタジアムなので、
身振り手振りは自然と大きくなる。
味方の選手が寄ってきて加勢する。
みんなそれぞれに両手をひろげている。
「俺たち、悪いことなんかしてないじゃないか」
万国共通のボディランゲージだ。
審判は首を振り、抗議を却下する。
ひろげた両手は、あきらめの形になってから、腰へ。
「やれやれ」と首を振り、試合は再開される。
別のシーン。
ファウルになった当事者同士がもめている。
鼻がぶつかりそうに顔を近づけて怒鳴っている。
両肘を身体に引きつけ、てのひらは開いている。
こぶしを握れば、けんかの構えになるだろう。
双方のチームメイトが止めに入る。
相手の胸にてのひらを向けて、まあ落ち着け、と。
こぶしは握られることなく、二人はお互いの肩をたたき、
自分のポジションに戻っていく。
スポーツはいいものだと思うのは、こんなときだ。
毅然と美しくサインを出す審判の手。
大きく激しく振られる監督の腕。
味方の選手同士、意思を伝え合う指先。
そして、ひとりだけ思いきり手を使えるゴールキーパーの
なんとも頼もしい大きな手袋。
くやしがって力いっぱい地面を叩くその手。
観客席の様子が映し出される。
自国チームが得点したとき。
わっといっせいに両手があがる。
こぶしをかかげて振る。手を叩く。
これも万国共通だ。
日本の人もバンザイでなくガッツポーズをしている。
てのひらを開いたバンザイではどうにも力がこもらない。
そもそもあれは歓喜というより服従のポーズだから、
わざと力がこもらない形になっているのかもしれない。
試合が終わるまで力は抜けない。
バンザイは最後でいい。
両手をあげて、踊れれば、もっといい。
シュートが惜しくもはずれ、得点しそこなったとき。
あるいは敵に点を取られたとき。
このときも観客席でいっせいに両手があがる。
でも、その手は頭を抱える。
ゆっくり下がって顔をおおう。
危機に瀕したとき、失望したとき、ヒトという動物は
本能的に頭をカヴァーしようとするのだろうか。
頭が無事なら、ヒトは考えることができる。
コントロールも立て直しも可能だ。
目をつぶり顔をおおう仕草は、「眠り」を模したものか。
眠って、目覚めて、立て直す。
闇は去り、太陽がのぼり、新しい一日が始まる。
試合が再開される。
さてさて、「せめて1点」などと言っていたら、
2勝しちゃったので、ちょっとびっくり。
日本もいつのまにか世界レベルになっていたのね(…しみじみ)
デンマークのメディアに「忍者部隊」と言われたそうですが、
日本が忍者なら、ポルトガルは海賊で、
パラグアイは山賊でしょうね。
いつ誰が思いついたんだろう。
と思いながら、サッカー中継を見ている。
TVで見る限り、動きが制限されているようには見えない。
まるで最初からボールは足で蹴るためにあり、
足はボールを蹴るためにあるみたいだ。
でも、そのボールを手でさわると、わざとじゃなくても
厳しく反則をとられるので、
「そうか、手は駄目なのか」とあらためて思う。
プレイには使えない手にも、多彩な使いみちがある。
ファウルを宣告された選手が、審判に向かい、
両手をひろげて抗議している。
「なぜだよ?」「何もしてないだろ?」
国際試合では、言葉が通じるとは限らないし、
そうでなくても大歓声の広いスタジアムなので、
身振り手振りは自然と大きくなる。
味方の選手が寄ってきて加勢する。
みんなそれぞれに両手をひろげている。
「俺たち、悪いことなんかしてないじゃないか」
万国共通のボディランゲージだ。
審判は首を振り、抗議を却下する。
ひろげた両手は、あきらめの形になってから、腰へ。
「やれやれ」と首を振り、試合は再開される。
別のシーン。
ファウルになった当事者同士がもめている。
鼻がぶつかりそうに顔を近づけて怒鳴っている。
両肘を身体に引きつけ、てのひらは開いている。
こぶしを握れば、けんかの構えになるだろう。
双方のチームメイトが止めに入る。
相手の胸にてのひらを向けて、まあ落ち着け、と。
こぶしは握られることなく、二人はお互いの肩をたたき、
自分のポジションに戻っていく。
スポーツはいいものだと思うのは、こんなときだ。
毅然と美しくサインを出す審判の手。
大きく激しく振られる監督の腕。
味方の選手同士、意思を伝え合う指先。
そして、ひとりだけ思いきり手を使えるゴールキーパーの
なんとも頼もしい大きな手袋。
くやしがって力いっぱい地面を叩くその手。
観客席の様子が映し出される。
自国チームが得点したとき。
わっといっせいに両手があがる。
こぶしをかかげて振る。手を叩く。
これも万国共通だ。
日本の人もバンザイでなくガッツポーズをしている。
てのひらを開いたバンザイではどうにも力がこもらない。
そもそもあれは歓喜というより服従のポーズだから、
わざと力がこもらない形になっているのかもしれない。
試合が終わるまで力は抜けない。
バンザイは最後でいい。
両手をあげて、踊れれば、もっといい。
シュートが惜しくもはずれ、得点しそこなったとき。
あるいは敵に点を取られたとき。
このときも観客席でいっせいに両手があがる。
でも、その手は頭を抱える。
ゆっくり下がって顔をおおう。
危機に瀕したとき、失望したとき、ヒトという動物は
本能的に頭をカヴァーしようとするのだろうか。
頭が無事なら、ヒトは考えることができる。
コントロールも立て直しも可能だ。
目をつぶり顔をおおう仕草は、「眠り」を模したものか。
眠って、目覚めて、立て直す。
闇は去り、太陽がのぼり、新しい一日が始まる。
試合が再開される。
さてさて、「せめて1点」などと言っていたら、
2勝しちゃったので、ちょっとびっくり。
日本もいつのまにか世界レベルになっていたのね(…しみじみ)
デンマークのメディアに「忍者部隊」と言われたそうですが、
日本が忍者なら、ポルトガルは海賊で、
パラグアイは山賊でしょうね。