チエちゃんの昭和めもりーず

 昭和40年代 少女だったあの頃の物語
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第101話 墓参り

2007年08月18日 | チエちゃん
 お彼岸の墓参りは、おじいちゃんやおばあちゃんと行くことがほとんどでしたが、お盆にはお母さんといっしょに行くことが多かったチエちゃんです。

 おじいちゃんほどではありませんが、欠かせない親戚の墓参りをした後、一番最後にお参りをするのはお母さんの生家(母方の祖父母)のお墓でした。
 そんな時、お母さんはお供え物を上げたり、線香に火を点けたりしながら、感慨に囚われるのか、いつも昔語りをしてくれたものです。


 お母さんの生家は、とても貧しく、何年も葺き替えをしたことのない萱葺き屋根には雑草が生え、家屋はピサの斜塔のように少し傾いでいたように覚えています。
 貧しい家庭というものは、追い討ちをかけるように不幸が続くものです。
お母さんの生家も例外ではなく、次々と病魔が襲いました。

 お母さんの母親(母方の祖母に当る)は、お母さんが小学5年生の時、42歳でこの世を去りました。それからは、祖母が母親代わりとなったのです。
 母親は、病床にあって、自分の死期を悟っていたとみえ、

 父ちゃん(母方の祖父)が、もごせなあ!(可哀想だなあ)

と何度も繰り返しました。

 お母さんの昔語りを聞いたチエちゃんは、お祖母ちゃんが死んだ後、お祖父ちゃん一人ぼっちになってしまい可哀想だなあと思ったんだなあと考えました。

 確かにその通りなのですが、チエちゃんが結婚をして、年齢を重ねた後、もう一度その意味に思いを馳せる時、その言葉にはもっともっと深い意味があったことを悟ったのでした。


 続いて、お母さんの妹が16歳という若さで、あの世へ旅立だったのです。
結核ということでした。
妹は、結核患者特有の透き通るような白い肌をして、それはそれは、きれいな娘であったとお母さんは語ります。
お金があれば、サナトリウムに入って、十分な療養ができたであろうに、貧しいばかりに何もしてあげられなかったと・・・・

 妹と前後して、父親が癌に侵されます。
長い闘病生活の末、チエちゃんが生まれて間もなく、この世を去りました。

 嫁、孫、息子を看取った祖母もそれから、間をおかず、亡くなりました。

 このように貧しく、病の多い家にトシ子叔母さんが、それを承知で嫁に来てくれることを思えば、お母さん自身の幸せなど二の次であったのではないでしょうか。

 お母さんの昔語りの中にのみ生きているお祖父ちゃん、お祖母ちゃん、叔母さんに想いを馳せ、今年もお墓に線香を手向けたのでした。


追記:方言「もごい」「もごせ」の意味には、可哀想のほかに、むごい、愛おしいなどのニュアンスも含まれます。