プーは 係の人にぃ お部屋まで案内して貰ったよおおう
お泊まりするう お部屋まで 結構な距離があるねぇ
えっ ここからエレベーターに乗るのおおおう
プーは 迷子になっちゃいそうだよおおう ぷー
ここが 1泊目の お部屋だよおおう
『萌黄の一』という お部屋だよおおう
前の階段の手すりにもおう 歴史を感じられるねぇ
お部屋は こーんな感じだよおおう
お宿のHPから 写真を拝借だよおおう
以下の案内もおう HPからだよおおう
本館と柔らかな照明の通路でつながる山荘。
桃山様式の粋があつめられた建物の随所に、
当時の名工の冴えが散りばめられています。
往時、多くの著名人が避暑に訪れた客室には、
せせらぎの音が今も変わらず響いています。
昭和11年の建築で、その優れたデザインや建築方法により
国登録文化財、群馬県近代化遺産に指定されてます。
浪漫を語る匠の世界、山荘ならではの味わいです。
由緒あるお部屋で プーが お茶を入れてあげるから ノンビリして頂戴よおおう
積善館のアメニティセットだよおおう
ナニナニ お部屋の注意書きに 何か書いてあるうよおおう
熊出没注意だってさっ
熊に遭遇したら…
まずは 挨拶でしょっ ぷー
へぇ~ ヒルが出す物質は ヒルジンっていうんだねぇ
館内の案内だよおおう
プーはねぇ 山荘の 3階かなぁ
積善館の歴史だよおおう
HPには 縷々書かれていたよおおう
積善館は「関(せき)」の姓を名乗る当主によって代々受け継がれています。
しかし、祖先は源氏に仕えた「佐藤」姓の武士であったと伝えられています。
その何代目かの子孫(佐藤肥後守清忠)が、1182年(寿永元年)に源頼朝より
下関(現山口県)にあった所領とともに「関」の姓を賜ったことから、 現在の「関」姓を名乗りました。
その後、関家は関東に移り、何代かの変遷を経て群馬県吾妻郡中之条町大字 大岩に居を構えました。
その関家から四万に分家をしたのが、1613年(慶長18年)に没した 初代「関善兵衛(せき・ぜんべえ)」です。
その後、4代目か5代目の「関善兵衛」が1691年(元禄4年)に現在の場所に
湯場と宿を作り(現在の積善館本館の建物で当初は2階建)、
その3年後の 1694年(元禄7年)に旅籠宿として開業をしました。
関家は代々この地域で名主をしている家系であり、
土地の人は「関善兵衛」 のことを親しみをこめて「せきぜん」と呼んでいました。
明治時代に入り、第15代の関善兵衛が
中国の古い儒教の経典「易経」の中 にある『積善(せきぜん)の家に余慶(よけい)あり』
(善いことを積み重ねた 家には、かならず良いことが起こる。)という言葉に関連させて、
呼び名の「せきぜん」を『積善』と表わし、その下に旅館を表す『館』を付けて、 『積善館』という名前にしました。
現在の積善館本館の玄関に掲げられている大きな木の看板の「積善館」の 文字は、
この第15代関善兵衛の筆によるものです。
お風呂もおう たくさんあって 楽しみだよおおう
四万温泉は 国民保養温泉第一号なんだよおおう
四万の温泉は 4万の病を治すなんて 上手いこと謂うよねぇ
続くんだよおおう