今日は、gooブログを初めて2000日目です(無理矢理記念日(^^;)。
何かふさわしいものはないかと探し出したのがこれです。
なんだ、これは!!!???
全体:74.2㎝x183.7㎝、本紙:59.7㎝x139.6㎝。江戸後期ー明治。
これはひょっとして、鏡文字では!?
鏡文字なら鏡に写せば元に戻るはず。
大和撫子さんにお手伝いをお願いして、姿見を立てていただきました。
すると・・・・
おお、文字らしきものが写っているではありませんか。
しかし、微妙な角度で鏡を保持し続けるよう助手さんに頼むのは気が引けます。また、近寄ってジックリと眺めるのも不可能(自分が邪魔(^^;)。
そこで、一計を案じました。
裏から眺めたらどうだろうか?
襖の間に挟み、裏側の部屋の灯りを消すと、見事に文字が浮かび上がるではありませんか。
必死で読みました(間違いをものともせず(^^;)。
ぬ岐すてゝ堂ゝむ古ろ裳
遍をさか為か斜な流
もの盤宇良美な理介梨
招 憲? 高 雅
ぬきすてゝたゝむころも
へをさか為かさなる
ものはうらみなりけり
招 憲? 高 雅
脱ぎ捨てて 畳む衣へ 長が為
重なるものは 恨みなりけり
招憲? 高雅
【尾高高雅(おだかたかまさ)】文久九(1812 )年ー明治二十(1887)。号、梔園。11歳で佐渡奉行の書記となる。和歌を好み、若くして近傍に歌人として聞こえ、後に、川越藩に歌道師範として仕えた。
尾高高雅は、江戸後期、歌人として名を馳せていたのですね。
しかし、歌道と鏡文字とはどんな結びつきが?
戯れで書いたにしては大作です。
彼は、この和歌を、本当に、正攻法で書いたのでしょうか。
薄紙に普通にしたためた書を、裏返して表装すれば、裏まで滲んだ墨が、鏡文字となって見えるはず。こうすれば、簡単に鏡文字和歌ができてしまう。
この鏡文字は、果たして、表から直接書かれたものか、それとも裏返してできた文字か?
そこで、墨跡を顕微拡大してみました。
墨は、紙の表面にのっていることが、はっきりと見てとれます。
高雅さん、ズルをしたかと疑って、失礼しました(^^;
やはり、人には見せられない秘密の和歌を作品として残しておきたかったのですね。
尾高高雅は、幼少から非常に温和な性格の人物であったといわれています。
そんな彼が、こんな歌を鏡文字で書く・・・・・和歌にしたためておかねばならなかった「長への恨み」とは、一体何だったのでしょうか。