遅生の故玩館ブログ

中山道56番美江寺宿の古民家ミュージアム・故玩館(無料)です。徒然なる日々を、骨董、能楽、有機農業で語ります。

和漢朗詠集断簡「秋・紅葉」と能『紅葉狩』

2024年10月31日 | 故玩館日記

先回のブログで、傳寂連筆『和漢朗詠集断簡「秋・紅葉」』を紹介しました。

よく知られているように、能には、和歌や中国の漢詩が多く取り入れられています。

特に、和漢朗詠集は、和と漢の詩を集めて編まれたものですから、多くの能にその一部が取り入れられています。

飯塚恵理人氏によれば、和漢朗詠集には、589句の漢詩文があり、そのうち、163句が、367曲の謡曲に取り入れられているそうです(飯塚恵理人「和漢朗詠集から謡曲へ」國文學 : 解釈と教材の研究 / 學燈社 [編] 49 (10), 29-35, 2004)

今回の『和漢朗詠集断簡「秋・紅葉」』も、能に取り入れられています。

紅葉
不堪紅葉靑苔地 又是涼風暮雨天 白 
黄夾纈林寒有葉 碧琉璃水浄無風 白 
洞中清浅瑠璃水 庭上蕭条錦繍林 保胤
外物独醒松澗色 余波合力錦江声 山水唯紅葉 
しらつゆもしくれもいたくもるやまは
したはのこらすいろつきにけり 貫之
      モミジシニケリ
むら/\のにしきとそみるさほやまのはゝ
そのもちきりたたぬまハ 清正

このうち、能『紅葉狩』に取り入れられているのは、「不堪紅葉靑苔地 又是涼風暮雨天」の部分です。

<能『紅葉狩』あらすじ>平維茂が鹿狩りで山奥へ入ると、女たちが紅葉狩りの酒宴を催していた。通り過ぎようとすると留められ、酒宴に引き入れられた。維茂が盃を重ねると、女は舞を舞い、維茂は酔い伏してしまう。女はこれを見届け山中に隠れてしまう(前場)。維茂が目を覚ますと、鬼女が現れ、襲ってきたが、維茂はこれに立ち向かい、討ち平らげた(後場)。

河鍋暁翠「紅葉狩」木版)、18.5㎝x25.5㎝。明治時代。

地「・・月の盃さす袖も。雪を廻らす袂かな。堪えず紅葉。
       ≪中之舞≫ 
シテ「堪へず紅 葉青苔の地 
地「堪へず紅葉青苔の地。又これ涼風暮れ行く空に。雨うち濺ぐ夜嵐の。物凄しき。山陰に月待つ程の假寐に。片敷く袖も露深し。夢ばし覺まし給ふなよ夢ばし覚まし給ふなよ

女(シテ)は、中の舞を舞った後、「堪へず紅葉青苔の地~」と謡って、地の謡にのって舞いながら、維茂(ワキ)をあしらい、作り物の中へ消え入ります。

前場の最後のこの場面が、能「紅葉狩」の一番の見どころと言って良いでしょう。

なお、能『紅葉狩』には、今回の断簡のみならず、和漢朗詠集の他の部分(やはり白居易の漢詩)からの引用があります。
林間煖酒燒紅葉
石上題詩掃緑苔
(白居易「送王十八帰山、寄題仙遊寺」)  
林間に酒を煖めて紅葉を燒く
石上に詩を題して緑苔を掃ふ

能『紅葉狩』前場の中ほど、惟茂と女とのやりとりの場面です。
・・・・
地ク「げにや虎渓を出でし古も。心ざしをば捨てがたき。人の情の盃の。深き契のためしとかや。
シテ林間に酒をあたゝめて紅葉を焼くとかや。
地「げに面白や所から。巌の上の苔莚。片敷く袖も紅葉衣の。くれなゐ深き顔ばせの。
ワキ「此世の人とも思はれず。
地「胸うち騒ぐばかりなり。
・・・・

今回の『和漢朗詠集断簡「秋・紅葉」』に戻ります。この断簡には、『紅葉狩』に取り入れられた漢詩以外に、やはり白居易の2行目の漢詩「黄夾纈林寒有葉 碧琉璃水浄無風」(の意)が能『江口』に取り入れられています。

能『江口』
クセ「紅花の春の朝。紅錦繍の山粧ひをなすと見えしも。夕べの風に誘はれ黄葉の秋の夕べ。黄纐纈の林。色を含むといへども朝の霜にうつろふ。松風蘿月に言葉を交はす賓客も。去つて来る事なし。翠帳紅閨に。枕を竝べし妹背も何時の間にかは隔つらん。およそ心なき草木。情ある人倫いづれあはれを遁るべき斯くは思ひ知りながら

能『紅葉狩』:今回の部分は、40分頃から。ちなみに、笛は師匠です(作り物の陰で、ほとんど見えません(^^;) いつもながら、冴えた音色です。

コメント (8)
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祝!故玩館開館15周年! 伝寂連 小野切 『和漢朗詠集断簡 紅葉』

2024年10月28日 | 文人書画

先日、コロナで御無沙汰だった友人が訪ねてきて、「故玩館も15年目ですね」と言われ、ビックリしました。バタバタしているうちに、15年もたってしまっていたのです。振り返ってみれば、10年目はコロナの真最中、それどころではありませんでした。

そこで、15周年をブログで祝うことにしました。

選んだのがこの一幅です。

全体:46.1㎝x143.3㎝、本紙:16.3㎝x26.4㎝。

古筆切とよばれる品です。

自身も能書家であった京大教授吉沢義則博士の箱書きがあります。

室町時代以降、公家、大名、新興富裕層などの間で、古人の名書を、手許へ置いておきたいとの願望が強くなりました。しかし、名品には限りがあります。そこでやむなく、古筆巻子などを切り取り、その古筆切を、蒐集、保存するようになりました。このような古筆切は、数千にのぼるといわれています。

現在は、その大半が、博物館・資料館や数奇者のもとにおさまっています。

古筆切は、特に、茶の湯で珍重されます。

 紅葉
不堪紅葉靑苔地 又是涼風暮雨天 白 
黄夾纈林寒有葉 碧琉璃水浄無風 白 
洞中清浅瑠璃水 庭上蕭条錦繍林 保胤
外物独醒松澗色 余波合力錦江声 山水唯紅葉 
しらつゆもしくれもいたくもるやまは
したはのこらすいろつきにけり 貫之
      モミジシニケリ
むら/\のにしきとそみるさほやまのはゝ
そのもちきりたたぬまハ 清正

 

 紅葉
不堪紅葉靑苔地  
又是涼風暮雨天  
(「秋雨中贈元九」白居易)
堪へず紅葉、青苔(せいたい)の地
またこれ涼風、暮雨(ぼう)の天

青苔の生えた地に紅葉が映えて、何とも言えない景色だ。また冷風が吹いて、暮れ行く空に雨までも降りそそぐ風情は、さらに心にしみる。

黄夾纈林寒有葉  碧琉璃水浄無風
 (「泛太湖書事、寄微之」白居易)
黄纐纈の林は寒くして葉あり
碧瑠璃の水は浄(きよ)くして風なし

黄色の纐纈染のように紅葉した林は、寒さのなかに、葉を残している。紺碧に澄みきった湖水は、瑠璃のような碧色で、浄らかな水面には風も吹いていない。


洞中清浅瑠璃水 庭上蕭条錦繍林
(「翫頭池紅葉」慶滋保胤)
洞中には清浅たり瑠璃の水。
庭上には蕭条たり錦繍の林。

洞の中には瑠璃のように青く清い水が浅く流れている。庭先には錦繍のように美しい紅葉の林が広がる。

外物独醒松澗色 余波合力錦江声
(「山水唯紅葉」江以言)
外物の独り醒めたるは松澗の色
余波の合力するは錦江の声

樹々は皆紅葉して酔っている如くだが、紅葉以外では谷間の松が酔わずに独り醒めている。

樹々は皆紅葉して酔ったようだが紅葉以外のものでひとり酔っていないのは谷間の松の色だけだ。谷川の波までも、錦江で錦を晒す音に声をそえている。 
錦江(きんこう):蜀の人が錦をさらした川。

守山の陲(ほとり)にて詠よめる【家集 813】
白露も時雨も甚(いた)く守山(もるやま)は下葉殘らず色づきにけり 
紀貫之

 題不知【俊成三十六人歌合 075】
叢叢(むらむら)の錦にとぞ見みる佐保山の柞(ははそ)の紅葉切り立たぬ間は
藤原清正
柞(ははそ):ナラ、クヌギ類の総称。

今回の品は、『昭和古筆名葉集』に、寂連法師(建仁二年七月四日)による古筆切として記述のあるものです。

〇小野切 朗詠集歌二行書上下墨罫コノ文切秋興ヨリ佛名迄

田中塊堂編『昭和古筆名葉集』京都鳩居堂、昭和23年。

【寂蓮(じゃくれん)】保延五(1139)年? - 建仁二(1202)年。平安時代末から鎌倉時代初期にかけての歌人、僧侶。藤原俊成の養子。俗名、藤原定長。西行、定家と並び称される。

古筆とは、平安時代から鎌倉時代にかけて書かれた和様の名筆をさしています。そして、古筆をいくつかに分けた断簡には、伝承筆者名が付されています。しかし、現在では、その多くが不確かなものとされています。この問題に正面から挑んだ論文は、「奈良、平安時代の古筆の殆んど全部と、鎌倉、南北朝、室町時代以降の古筆切にあっても、そのすべての約三分の二程度の古筆切は、書格比定の方法によって筆者を極めたらしいものであることが推定された」と結論付けています(木下政雄「古筆切における筆者伝称と書格の表示について」京都国立博物館学叢, 15巻、113‐125、1993年)。書格比定法とは、九品法という中国の書品鑑定法にならって、日本の能書を鑑定する方法です。現在の筆跡鑑定法からすると、否定される場合が多いのです。

特に、自署の慣習がなかった平安、鎌倉時代には、基準となる真筆が非常に少なく、古筆筆者の特定は困難です。寂然の場合、現在、真筆とされるのは国宝の2点のみ。

今回の品も含めて、書体が字(特に、漢字)間を繋がない古筆が、「伝寂連筆」とされているようです(^^;

茶の湯を嗜む心得のない遅生ではありますが、まぼろしの寂連で、故玩館15周年を祝ってみました(^.^)

コメント (14)
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嗤うアフリカ7 シマウマ太鼓

2024年10月25日 | おもしろグッズ

今回の品は、アフリカの太鼓です。

上径 46.1㎝、下径 19.3㎝、高 42.2㎝。アフリカ。20世紀。

地域は不明ですが、アフリカの太鼓です。木を刳り貫いた胴に、シマウマの皮を張ってあります。

まるで、抽象画のような模様です。

皮を張っているのは、無数の紐です。

この紐も、シマウマの皮でできています。

どこかで見た抽象画に似ています。

下部にも、同じようにシマウマの皮を張り、皮でできた紐でギュッと上下の皮を締めてあります。

やはり、美しい模様。

上側はシマウマの皮をそのまま使っているのに対して、下側の皮は、シマウマの毛を抜いています。

が、一部、取り残しがあります(^^;

この太鼓には、片側に紐がついています。

これはなんだろう?

片方だけですから、持って運ぶためのものではなさそうです。

このシマウマ太鼓、どんな音がする?

叩いてみると、その大きさから予想されるほどの響きや音量はありませんでした。

ん?!アフリカの太鼓って、こんなもの?!!

ひょっとして、と思い、紐をつかんで横にしてみました。

同じように叩くと、なかなかの音。

もう一方の底になっていた、小さい方の皮を叩くと、少し高い音が小気味よく鳴り響きます。

両側を使えば、高低の打音で、リズム音楽が出来上がります。

ただ、シマウマ太鼓を横倒しただけでは、安定しません。この紐によって、使いやすい角度に固定して使うのでしょう。

でも、このシマウマ太鼓、

楽器として使うよりも、

スツールの方がピッタリきます(^^;

気分は、もう、シマウマ(^.^)

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古伊万里色絵鵜飼図変形四方小皿

2024年10月23日 | 古陶磁ー全般

昨日のブログで、古伊万里収集家Dr.Kさんが、古九谷の名品雉文小皿を紹介されていました。

ん!?そこまで古くはないが、古伊万里色絵小皿なら・・・といつものように後出しジャンケン大王の虫がうずいて、今回のブログと相成った次第です(^^;

この小皿は、最近、ネットオークションでゲットした品です。

陶磁器には、たまにしか手を出さない今日この頃ですが、この品ばかりはぜがひでも、と気張りました。かなりの人気で、このご時世の古伊万里としては、結構なお値段になってしまいました(^^;

横 12.5㎝、縦 10.9㎝、高台 7.9x6.2cm、高 2.4㎝。重 189g。江戸前ー中期。

上下に陽刻模様、中央に色絵で鵜飼図が描かれた四方小皿です。中央の絵付け部分は、両端が少し飛び出た変形皿です。周縁の鉄釉が、絵付け部分には塗られていないので、中央の絵付け部が、スクリーンのように浮かび上がっています。

生掛け焼成のせいでしょうか、上辺が少し歪んでいます。

高台の造りなどからすると、中期に近い品かもしれません。

あまり印象の良くない(ダメな品が多く)折れ松葉も気になります。

が、この絵付けには、いろんな懸念を吹っ飛ばすほどの魅力があります(あくまで個人的感想です(^^;)

陽刻部は、唐草模様です。

左の鵜は、魚を捕りに水中へ潜っていくところでしょう。

 

後絵も疑ってみたのですが、皿全体に全く表面疵が無いので、判断ができませんでした。

色釉の色調からは、古作と矛盾しないように思えます。

多くの図録をあたったわけではありませんが、鵜飼図の皿は、長良川鵜飼図の印判皿(明治時代)より他に見たことがありません。

大枚をはたいた甲斐があったかどうか、二匹の鵜に聞いてみたいです(^.^)

ps。鵜飼図印判皿にひと言。皿には、鵜飼が行われている下流に軌道のある橋が描かれています。ものの本には、東海道線の列車が通る橋となっていますが、これは岐阜市内の忠節橋で、その上を走るのは東海道線ではなく、名鉄谷汲線です(現在は廃線)。東海道線の鉄橋は、ここから5㎞ほど下流です。

コメント (9)
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嗤うアフリカ6 謎のスプーン女

2024年10月19日 | おもしろグッズ

ここしばらく、性信仰を思わせる木製品を紹介してきました。

こういう物は万国共通ですから、日本に限らず遠く離れたアフリカにもあります。以前には、アフリカ・ドゴン族の穀物倉庫の扉を紹介しました。そこには、豊穣の祈りでしょうか、多数の人物とともに、乳房が彫られていました。

もう少し、直接的な物があったはず・・・ということで探し出したのが今回の品です。

高 61.9㎝、幅 11.2㎝、奥 10.8㎝。アフリカ。19-20世紀。

全体に、かなりの風化が見られます。

足先が欠けている!・・・・と思ったら、もう一本の足先にも割れ目が!

どうやら、足先は両方ともくっつけてあります・・・ん!わざわざ、足先を別に作った??!!

一本の木から彫り出した物だとばかり思っていましたが、そういう眼であらためて全体をくまなく観察してみると・・・

な、なんと、頭、胴体、陰部、脚、足先が接合されて、この木彫スプーン女は出来ていることがわかりました。

どうして、わざわざパーツに分けて作ったのでしょうか?

ひょっとすると、何かの儀式において、部品を組み合わせてスプーン女を組み立てる、あるいはその逆に、スプーン女を分解する、そのための物ではないかと思えるのです。

左足の数字は何?

スプーン女の名称も、私がつけました。

謎に満ちたアフリカ木彫品ですが、日本の土俗的な品と相通じる部分が多いので、手持ちの品と組みあわせてみました。

 

スプーンが祠にぴったりですね(^.^)

調子にのって、他の小物たちも参加。

 

 

 

 

遅生のマスコットキャラも登場。

にぎやかなガラクタ祭りになりました(^.^)

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