そこそこに時代のある箱です。
中に入っていたのは、織部焼の四方皿です。
縦 21.0㎝、横 22.5㎝、高 4.5㎝。重 1072g。幕末。
分厚い正方形の器体に耳(手)が付いています。
両隅に厚く織部釉が掛かっています。
左右の辺が歪んでいて、織部焼の作風(破調)をのぞかせています。
透明感に乏しく少し暗い緑釉は、江戸後期~明治にかけての織部焼の色調です。
鉄釉で松と霊芝が描かれています。
「秋水老人」「藤城」の銘も。
これは、美濃の文人、村瀬秋水、村瀬藤城兄弟の絵付けになる陶磁器と考えて良いでしょう(第三者が名前をかたって品を作るほどの有名人ではない(^^;)。
【村瀬藤城】(寛政三(1791)年ー嘉永六(1853)年)。儒学者、漢詩人。美濃の大庄屋(郡代)村瀬家当主。弟の秋水とともに、家業に従事。頼山陽の高弟として、全幅の信を得、山陽の死後、秘蔵されていた田能村竹田の名作『亦復一楽帖』(現、重文)を引き継いだ。他の弟、村瀬立斎は尾張藩医で、犬山藩校教授をつとめた。奇人、村瀬太乙は、従弟の子。
村瀬一族は、秋水の子、雪峡、藍水も含めて、多くの文人を輩出しています。その中で、中心となったのは、当主の藤城と弟の秋水でした。
今回の作品は、忙しい家業の合間に、二人が手すさびで作った品かも知れません。
村瀬藤城は漢詩人でしたが、秋水や太乙に較べて、残された品はわずかで、私はまだ作品を手にしたことがありません。
今回の織部皿は、その意味でも私には感慨深い品です(^.^)