文部科学省は、2003年に「英語を使える日本人の育成のための行動計画」を策定した。これに沿って、小学校から英語を教えるところが増えてきている。国際理解教育の一環がその理由だが、考えてみればこんな愚かなことはない。
国際化に呼応して、英語を教えれば国際的な人材が育成されるという妄想が許せない。言語は、単なる意思疎通の道具だ。語る中身が大切なので、英会話が出来なくても国際的に高い評価を受ける人は沢山いる。勿論、英語が話せないより話せる方が良いが、この一点で国際的に通用するか否かを決めるものではない筈だ。
英語圏の国では、英語力が高い日本人だからといって優遇されない。クライストチャーチに住む娘は、TOEIC800数十点だが、良い仕事を探す毎日だ。寝る間も惜しんで、ネティブ・スピーカー並みの会話力をマスターしても、誰も誉めてくれない。その人がどのようなスキルを持っているかで判断されるのは当然のことだ。
文部科学省がは、国際人を作るためにもわが祖国を正しく理解させる教育を確立すべきだ。義務教育で教えるべきことは、日本の国語であり、歴史・文化・伝統と道徳ではないのか。アメリカ一辺倒の政治家・官僚・財界人が一緒になって資本主義経済の名のもと、この国を格差社会の先進国へと駆り立てていることに不安をおぼえる。「文部科学省よ、国の大計を誤るな!しっかりせい」と言いたい。