熊本市の某病院が開設した「赤ちゃんポスト」が、関係機関に波紋を呼んでいる。さまざまな事情で子育てができない親が、乳児を託すことができると歓迎する意見と、子捨てを助長する危険性があるとの反対意見もあり、複雑な問題を内包している。
宗教的バックボーンを持つこの病院の善意であることは疑いないが、日本の文化や現実を考え合わせると、いささか不安になる。それは、個人の善意がともすると自分が望まぬ方向に進み、反対の結果につながる現実を何度も体験したからだ。
「動機の善=結果の善」になれば理想的だし、住み良い社会になる。が、現実には、「動機の善⇒結果の悪」や「動機の悪⇒結果の善」の場合もある。政治の世界などは、後者の代表格で、結果でしか評価されない。私自身、そのことに気付いた時から会社で上司に言い訳はしないように心掛けた。その後、経営責任者になった時、部下には「動機の善≠結果の善」と叱咤激励し、愚痴や言い訳は酒の場でしか言わせなかった。
最悪なのは、動機の善が結果の悪につながる場合だ。「赤ちゃんポスト」が安易に出産し、子捨てに利用されると当該病院だけの問題では収まらない。乳児遺棄罪とその幇助罪などの刑法問題にも波及しかねない。何よりも、罪の無い赤ちゃんの命と、その子が成人した後の心の内を慮ると、軽々に判断しかねるが、現代社会の縮図がだぶり気が重くなる。