プラチナ世代のマラソン旅行

時悠人chosan流処世術

★”没イチ”人生

2017-06-15 08:41:39 | スポーツ
 第3回金沢マラソンの出場権を逃がし、当面、リハビリに専念しようと思いつつ、日が変わって、言いようのない虚しさを感じている。

 ふと、4年前、同期入社の同窓会を開いた時、奥さんを亡くしたひとりが、「死にたいと思っていた」と漏らしたのを思い出した。

 一人生活の孤独に耐えられないとのことだったが、配偶者と死別するのは、早晩、誰にでも訪れる宿命で、男の方が先に逝くと信じ込んでいると、逆になった時、うろたえることになる。

 どんな些細なことでも、目標を持つことで心の張りを維持出来る。彼が若い頃、マラソンを趣味にしていたのを思い出して、「一緒に金沢を走ろうか!」と誘ったが、寂しそうに笑っただけで、答えなかった。

 マラソンは、スタート・ラインに立てば、誰の助けもなく孤独の闘い。人生訓として譬えられる所以でもある。人生のゴールを目指して、歩を進めるなら、”没イチ”になろうと、そのプロセスを大切にするしかない。

 来年、後期高齢者の仲間入りをする契機に、もう一度、同窓会の世話をしようかと思ったりしている。