フィッツジェラルドの「夜はやさし」に続いて、「グレート・ギャツビー」、
「バビロンに帰る」を読みました。
「バビロンに帰る」を読みました。
深夜まで熱中してしまったため、今日は朝からふらふらです。
村上春樹氏の日本語訳が良かったのかも知れませんが、以前ギャツビー
を読んだ時に気づかなかった、灰の谷やギャツビー邸のプールが意味
するものに、思いをめぐらせました。
を読んだ時に気づかなかった、灰の谷やギャツビー邸のプールが意味
するものに、思いをめぐらせました。
「バビロンに帰る」では、チャーリーに感情移入して泣きました。
ただし、マリオン・ピーターズの考えも理解できます。バブル経済に
無縁だった人は、バブル時代にどんちゃん騒ぎしていた人に厳しい。
バブル崩壊後の日本でも見られた光景です。
ただし、マリオン・ピーターズの考えも理解できます。バブル経済に
無縁だった人は、バブル時代にどんちゃん騒ぎしていた人に厳しい。
バブル崩壊後の日本でも見られた光景です。
フィッツジェラルドの作品、もっと読んでみようと思います。
村上訳は苦痛なく読めます。
それに加えて面白いのは、訳者あとがきでしょう。
村上訳は苦痛なく読めます。
それに加えて面白いのは、訳者あとがきでしょう。
「グレート・ギャツビー」 翻訳者として小説家としてー訳者あとがき
から引用(中央公論新社 p349~350)
一九三〇年代の後半には『グレート・ギャツビー』は一時的に
絶版になり、ある年の彼の印税収入総額はたったの三十三ドルに
過ぎなかったのだ! その一方でヘミングウェイは文化的英雄と
なり、若者たちに崇拝され、世界的に圧倒的な名声を博していた。
絶版になり、ある年の彼の印税収入総額はたったの三十三ドルに
過ぎなかったのだ! その一方でヘミングウェイは文化的英雄と
なり、若者たちに崇拝され、世界的に圧倒的な名声を博していた。
しかし戦後になって、ヘミングウェイの文学的評価が徐々に
低下する(あるいはその過大評価が是正される)一方で、何人
かの文芸評論家を中心とする、フィッツジェラルド文学のドラマ
チックな再評価運動が起こり、その結果今ではその文学的名声は
ほとんど揺るぎないものになっている。たしかに今読み返して
みると、ヘミングウェイの長編小説の経年劣化の速さには、いさ
さか驚かされるところがあるし、それに比べれば『グレート・
ギャツビー』の踏みとどまり方はまことに見事というしかない。
その芸術性はいささかのほころびもなく直立している。ヘミング
ウェイの長編小説の最高作は、僕に言わせれば『日はまた昇る』
だが、それも今となっては『グレート・ギャツビー』に比べると
明らかに一段落ちる。よく「人の評価は棺桶の蓋を閉めてみない
ことにはわからない」と言われるが、棺桶の蓋を閉めてから
ずいぶん時間が経過したあとでも、まだ評価が定まらないことも
あるのだ。
低下する(あるいはその過大評価が是正される)一方で、何人
かの文芸評論家を中心とする、フィッツジェラルド文学のドラマ
チックな再評価運動が起こり、その結果今ではその文学的名声は
ほとんど揺るぎないものになっている。たしかに今読み返して
みると、ヘミングウェイの長編小説の経年劣化の速さには、いさ
さか驚かされるところがあるし、それに比べれば『グレート・
ギャツビー』の踏みとどまり方はまことに見事というしかない。
その芸術性はいささかのほころびもなく直立している。ヘミング
ウェイの長編小説の最高作は、僕に言わせれば『日はまた昇る』
だが、それも今となっては『グレート・ギャツビー』に比べると
明らかに一段落ちる。よく「人の評価は棺桶の蓋を閉めてみない
ことにはわからない」と言われるが、棺桶の蓋を閉めてから
ずいぶん時間が経過したあとでも、まだ評価が定まらないことも
あるのだ。
コロ子禿同。ノーベル文学賞選考委員、今頃後悔しているかも。