Babylon Revisited

2014-04-11 11:15:57 | 読書メモ
フィッツジェラルドの「夜はやさし」に続いて、「グレート・ギャツビー」、
「バビロンに帰る」を読みました。
深夜まで熱中してしまったため、今日は朝からふらふらです。
村上春樹氏の日本語訳が良かったのかも知れませんが、以前ギャツビー
読んだ時に気づかなかった、灰の谷やギャツビー邸のプールが意味
するものに、思いをめぐらせました。
 
「バビロンに帰る」では、チャーリーに感情移入して泣きました。
ただし、マリオン・ピーターズの考えも理解できます。バブル経済に
無縁だった人は、バブル時代にどんちゃん騒ぎしていた人に厳しい。
バブル崩壊後の日本でも見られた光景です。
 
フィッツジェラルドの作品、もっと読んでみようと思います。
村上訳は苦痛なく読めます。
それに加えて面白いのは、訳者あとがきでしょう。

「グレート・ギャツビー」 翻訳者として小説家としてー訳者あとがき
から引用(中央公論新社 p349~350)

一九三〇年代の後半には『グレート・ギャツビー』は一時的に
絶版になり、
ある年の彼の印税収入総額はたったの三十三ドルに
過ぎなかったのだ! 
その一方でヘミングウェイは文化的英雄と
なり、若者たちに崇拝され、世界的に圧倒的な名声を博していた。
 しかし戦後になって、ヘミングウェイの文学的評価が徐々に
低下する(あるいはその過大評価が是正される)一方で、何人
かの文芸評論家を中心とする、
フィッツジェラルド文学のドラマ
チックな再評価運動が起こり、その結果今ではその文学的名声は
ほとんど揺るぎないものになっている。たしかに今読み返して
みると、ヘミングウェイの長編小説の経年劣化の速さには、いさ
さか驚かされるところがあるし、それに比べれば『グレート・
ギャツビー』の踏みとどまり方はまことに見事というしかない。
その芸術性はいささかのほころびもなく直立している。ヘミング
ウェイの長編小説の最高作は、僕に言わせれば『日はまた昇る』
だが、それも今となっては『グレート・ギャツビー』に比べると
明らかに一段落ちる。よく「人の評価は棺桶の蓋を閉めてみない
ことにはわからない」と言われるが、棺桶の蓋を閉めてから
ずいぶん時間が経過したあとでも、まだ評価が定まらないことも
あるのだ。
 
コロ子禿同。ノーベル文学賞選考委員、今頃後悔しているかも。

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