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「凪待ち」(2019年 日本映画)

2019年07月24日 | 映画の感想、批評
 郁男は競輪場に入り浸る生活を送っていたが、生活を立て直すために内縁の妻・亜弓とその娘・美波と共に石巻に移り住む。亜弓の母は震災で津波の犠牲となり、実家には末期癌の宣告を受けた父親の勝美が一人で暮らしていた。勝美は妻を助けられなかった自分を責めていた。郁男はギャンブルを卒業したはずであったが、同僚の誘いにのりノミ屋の取引所に出入りするようになる。不登校であった美波はボーイフレンドのことが原因で亜弓と衝突し、家を飛び出してしまう。亜弓と郁男は美波を捜しに車を走らせるが、パニックになった亜弓は郁男を激しく罵り、郁男は怒って亜弓を車から降ろしてしまう。その直後、亜弓が何者かに殺害される・・・
 ミステリーのような展開を期待すると肩すかしを食う。この作品は殺人事件の犯人を捜す映画ではないからだ。亜弓の死は郁男を精神的に追い詰めていくための材料として使われている感がある。殺人犯として疑われた郁男はストレスのはけ口を競輪のノミ行為に求める。ギャンブルにのめりこみ、自暴自棄になっていく姿が生々しく描かれているが、かといって依存を描いた映画とも思えない。亜弓の父親の勝美はノミ行為の借金を肩代わりしようとして、船を売った金を郁男に渡す。郁男はそれで借金を返し、残った金でまた競輪をするのだが、本当の依存症ならもらった金をすべて競輪につぎ込んでしまうだろう。ギャンブル依存症の男に大金を渡すのは、アルコール依存症の人間に酒樽を渡すようなもので、本人をさらに泥沼の中に突き落としてしまう。依存症の人間の尻拭いをすることは、結果的に本人の自立を妨げてしまう。依存を克服するためには、いわゆる「底つき体験」が必要だと言われているが(異論もある)、郁男はまだ本当の地獄を見ていない。周囲の人間がやさしすぎる。依存症の映画といえば、「失われた週末」「黄金の腕」「酒とバラの日々」等が有名であるが、「凪待ち」にはこれらの映画で描かれている禁断症状や葛藤と克服の場面がない。依存症の恐怖も描き切れていない。
 「凪待ち」は「喪失と再生の物語」という方がぴったりする。舞台が東日本大震災の被災地である石巻であることも、映画のテーマと深く関係している。郁男の再生が勝美や美波の再生であり、それはまた震災の爪痕が残る被災地の再生でもある。津波に流された家財道具が映し出されるエンドロールが印象的だ。
 郁男を演じた香取慎吾は台詞が聞き取りにくく、けして芝居のうまい人ではないが、確かな存在感がある。大柄で、この映画のためにさらに体重を増やしたらしいが、大喧嘩するシーンは迫力がある。ダメ男を豪快に演じている。黒澤明が「いい役者とは?」と尋ねられて、「丸太を転がしたような人」と言ったそうだが、まさにそんな役者だ。(KOICHI)

原題:凪待ち
監督:白石和彌
脚本:加藤正人
撮影:福本淳
出演:香取慎吾  恒松祐里  西田尚美  吉澤健


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