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「エドガルド・モルターラ ある少年の数奇な運命」(2023年 イタリアほか)

2024年05月01日 | 映画の感想・批評
 わが国では同世代の巨匠ベルナルド・ベルトルッチの陰に隠れた存在だったマルコ・ベロッキオですが、ベルトルッチ亡き後、年長であるベロッキオが80歳を超えてまだ健在ぶりを示すどころか、問題作を放ち続けていることに敬意を表せざるを得ません。いまや名実ともにイタリア映画界を代表する巨匠の地位を不動のものとしたといえましょう。
 かれの新作は、イタリアでは誰もが知っているらしい史実「エドガルド・モルターラ誘拐事件」をもとにしています。カトリックの総本山であるイタリアで映画化するにはずいぶんと風あたりも受けたでしょうが、まずその映像美に感服し、ストーリー・テリングの巧みさにも感心しました。
 私は予備知識なく見たものですから少し戸惑ってしまったのですが、19世紀半ば以降のイタリアの歴史を調べてから見ることをお薦めします。イタリアは近代国家としての統一が遅れた国ですが、その原因はローマ教皇にあるといっても過言ではありません。諸国が割拠するイタリア半島は「諸国民の春」といわれた1848年革命を契機として国民国家への希求が徐々に高まり、1870年のローマ陥落によって教皇の天下が終わります。
 1851年ボローニャのユダヤ系商人モルターラ家にエドガルドという男児が生まれます。かれが満7歳になるかならないかのとき、町の異端審問官の命を受けた男たちがぞろぞろと同家を訪れる。乳飲み子を含めて9人の子だくさんのなかでも、とりわけエドガルドを探していると見えます。父親がいったいエドガルドに何の用件があるのか訊ねると、相手が「洗礼を受けたという密告があった」と答えます。だから審問官のところへ連れて行くのだと。
 ここは、いきなり「洗礼」といわれたって日本の観客には具体的な説明がなければよくわからないだろうと思われます。そこでちょっと解説しますと、まずモルターラ家はユダヤ教です。第二に、「洗礼」とはキリスト教特有の儀式でユダヤ教にはありません。つまり、「洗礼された子どもを差し出せ」と命じているわけですから、エドガルドが親の知らない間に何者かにキリスト教の受洗を施されたということです。だから、もはやこの子はユダヤ教徒ではなくキリスト教徒なので、おまえたちユダヤ教徒の手を離れてしかるべき教育を受けさせなければならないといっているわけです。
 なにしろ当時は教会が絶大なる力をもっていて、ローマから離れたボローニャもローマ教皇の配下にあったため、いかなる場合も逆らえないのです。父親は1日の猶予をもらって八方手を尽くしてわが子が連れ去られないようにいろいろな力を借りますが、教会は有無を言わせず少年を拉致します。手段を選ばない父親が新聞を使って教会の横暴を告発した結果、話はアメリカにまで拡がって人権を無視したやり方に世論が反発し、教会を支える財源まで脅やかします。かえってこれが教皇ピウス9世の逆鱗に触れ、意地でも少年を返すものかと頑なになる。
 多神教文化をベースとした世俗仏教社会に育ったわれわれには実感としてわかにりくい部分が多いのですが、昨今の新興宗教トラブルにおける宗教2世たちが洗脳されてゆく過程は、おそらくこのようなものなのかと想像すると、背筋に寒いものを感じないではおれません。(健)

原題:Rapito
監督:マルコ・ベロッキオ
脚本:マルコ・ベロッキオ、スザンナ・ニッキャレッリ、エドアルド・アルビナティ、ダニエラ・チェゼッリ
原作:ダニエーレ・スカリーゼ
撮影:フランチェスコ・ディ・ジャコモ
出演:パオロ・ピエロボン、ファウスト・ルッソ・アレジ、バルバラ・ロンキ、エネア・サラ、レオナルド・マルテーゼ



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