やっとお約束の日にち通りにアップします ここのところ、アップが遅れることが多かったことを猛省。年齢のせいにしてはいけないのですが、以前よりも「一つのことに神経が集中すると、他の事が疎かになる」という傾向が強くなりました
今までは、同時にいくつものことを自分に課し、そして実行、完結できていたのになあ…と、自分の不甲斐なさを感じています
いやいや、これは私の大好きな言葉「心意気」で、しっかりと改善させなくてはなりません 本当に失礼しました
さてさて。世界的に一向に収束に向かう見込みの見えないコロナウイルスです。
週末は不要不急の外出を自粛すること、との要請が東京都でも神奈川でも出たことにより、町中は「やっと」静かになりました。六本木のミッドタウンもヒルズも、商業施設全体が臨時休業であったことも大きな効果につながったのだとは思いますが、いつもは「若年齢層」で賑わう場所も、ほとんど人がいませんでした。
私は木曜、金曜に買いだめをしなかったため、昨日は朝からスーパーマーケットに食材を買いに行き、結果的に上記のような「確認」をすることとなりました
ミッドタウンの桜並木も満開 コロナウイルスの感染が、この日本の美しい時期に重なってしまったことは何とも残念ではありますが、そういう次元の話ではありませんものね。
私は毎年、上野公園の桜の木の下で宴会をし、酔っぱらっているオジサン群をテレビで観るたびに、ため息の出る気分に襲われるのですが、今年はがんばって自分の欲求を抑え、自宅飲みをしているであろうオジサン達に拍手
それに引きかえ、フラフラと町中を平気で歩いている若者達。カメラに顔が映っても、インタビューを受けても平気そうな様子を見ていると、本当に情けなくなってしまいます
私はね、思うのです…
そんな若者達に育ててしまったのは「親である」とね。
幼児教室マナーズを開校してから25年が過ぎました。その当時は、まさに私自身も「子育て」をしている渦中にあり、通ってきてくださるご家庭のご両親達と一緒に、私も自分を鼓舞したり、戒めたりしながら日々を送っていたのでした。
それから、すっかり年月が流れ… 正直、良い悪いという観点からではなく、「家族の在り方」「親子の関係」は大きく違ってきているなあ、としみじみ思います
ここ10年くらいは、「お友達のような親子」「毎日を一緒に楽しむ仲間のような親子」が多くなったなあ、と感じます。
もちろん、毎日の暮らしは楽しくなくてはいけませんよね それがいけない、と感じているわけではありません。ただ、これが適切な表現かどうかは何とも言えませんが… 「我が子が将来、親の庇護のもとを巣立ち、社会に出ていき、一人で生きていかなくてはならない存在である」という認識が低いのではないだろうか?と感じてしまう両親が増えている、ように思うのです。
家族での毎日は、平穏で楽しいほうが良い。
企画した、家族でのイヴェントは楽しいほうが良い。
子どもを叱って、気まずい空気が流れるのは、自分達だって嫌。
子どもに厳しく接する役目は他人に任せ、自分達はハッピーに過ごしたい。
親としては最小限の努力で、最大の効果を得たい、と願う親。etc.etc.
父権、母権が低い家庭。ピシリと我が子を叱れない両親。常に我が子に「お願いする」親。ゆるーく毎日を過ごす家庭…
その結果が、自分勝手な論理を展開し、何で学校がお休みになっているかを深く省みず、世界で起こっている現実を直視して考え、洞察する思考力が低く、刹那的に「自分の楽しさを優先する」若者に育ってしまっている気がしてなりません。
今の若い人達は、ボランティア活動等に積極的に参加するような、そんなすばらしい傾向もある一方で、今回、目だって見られるような考えの浅さもある…
そして、「出歩くな」と命令されたほうがそれに従えるのに、自粛なんて言われると…という人も多いのです。この考えは、まさに自分で考えるよりも、命令されるほうが楽、という「思考の時間を好まない」ことを露呈しているようにも思えてしまいます
不思議ですし、とってもとっても残念です
人間は、動物界の中で最も高度で優秀な存在であるはず、ですが、思えば、小さな虫でさえ、それが摺りこまれた習性とは言え、自然の変化の中で、日々それに呼応して生きています
それなのに、「世界の悲惨な状況」の中で、それに呼応せず、自分の楽しさだけを優先して暮らすことは、果たして高度で優秀な人間のすることでしょうか… どう思われますか?