腹診は、日本で江戸時代に独自の発達を遂げた診察法である。漢方の腹診は、患者の体質を判断(虚実証の判定)して、治療方針をたてるのが目的である。
腹診では、まず患者を仰向けに寝かせて、両足を伸ばさせ、手を両脇に軽く置かせ、腹部に力を入れないようにさせる。診察は右手の手掌または指先で行う。
腹診の実際の診察手技については、講習会で漢方専門医の先生方から実技指導を受けたり、漢方の大家の諸先生方の腹診のビデオを見比べたりして習得していただきたいと思います。多くの書物に、原則として医師は患者の左側に位置して診察すると記載されていますが、腹診のビデオを見てみますと、例えば、大塚敬節先生、山田光胤先生、寺師睦宗先生などは患者の左側に位置して診察をしていらっしゃいますし、大塚恭男先生、藤平健先生、三潴忠道先生などは患者の右側に位置して診察をしていらっしゃいます。
●腹部の漢方的な名称
① 心下(しんか) ② 胸脇(きょうきょう)
③ 脇下(きょうか) ④ 臍上(せいじょう)
⑤ 臍下(せいか) ⑥ 小腹(しょうふく)
●腹力の判定
手のひらを平らに下に向け、手のひらが患者の腹壁に接するようにして、まんべんなく軽く按圧しながら、腹力の状態を判定する。腹力の強いものを実、弱いものを虚とし、強くも弱くもないものを虚実間(腹力中等度)とする。患者が緊張し腹壁が緊張している場合は、腹直筋の外側の腹壁の強度を参考にする。
腹壁の皮下脂肪と筋肉が厚く、腹部全体が弾力のある場合には、実証と診断される場合が多い。逆に腹壁の皮下脂肪、筋肉ともに薄く、軟弱無力の場合には、虚証と診断される場合が多い。例えば、防風通聖散、大柴胡湯の適応者は前者、六君子湯、人参湯の適応者は後者の例である。防已黄耆湯の適応者では、腹壁の皮下脂肪は厚いが腹力は軟弱である。
●腹診所見
・心下痞鞭(しんかひこう)
所見:心下痞鞭は、心下がつかえるという自覚症状(心下痞)と同部位に、抵抗やときには圧痛を認める。自覚的なつかえ感がなくて、同部の抵抗・圧痛を認めることは多い。
処方:瀉心湯類(半夏瀉心湯など)、人参湯類(人参湯、桂枝人参湯など)を用いる目標。
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・胃内停水(胃部振水音)
所見:上腹部を叩打すると、ポチャポチャとかパチャパチャとかいう、水の揺れる音(振水音)が聞こえる症状を言う。水滞(水毒)を示す腹候である。胃内停水の診断をする際には、患者の膝を曲げさせて診察する。
処方:小青竜湯、人参湯、六君子湯、茯苓飲、真武湯、五苓散、苓桂朮甘湯、半夏白朮天麻湯などを用いる目標。
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・胸脇苦満(きょうきょうくまん)
所見:季肋下部に抵抗ならびに圧痛が証明されるのを胸脇苦満という。その最も証明される部位は、乳頭と臍とを結ぶ線が季肋下部と交差する部分である。この部分に三指を乳頭の方へ向けて圧入すると、胸脇苦満がある場合には抵抗があって指が入りにくい。そしてさらに圧入すると、疼痛あるいは不快感を感じる。8~9割が右に証明され、左に証明されるのは1~2割である。
処方:柴胡剤(大柴胡湯、柴胡加竜骨牡蛎湯、四逆散、小柴胡湯、柴胡桂枝湯、柴胡桂枝乾姜湯など)の主目標。
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・腹直筋攣急(ふくちょくきんれんきゅう)、腹皮拘急(ふくひこうきゅう)
処方:腹直筋が過度に緊張した状態をいう。通常は両側対称性であるが、左右どちらかにとくに強く出ることもある。また上部が緊張していて、下部が緊張していないものもある。
処方:両腹直筋が上から下まで均等に緊張している場合は芍薬甘草湯、腹直筋の外側の腹壁が著しく弱い場合は小建中湯や黄耆建中湯を用いる。腹直筋の緊張に胸脇苦満を合併している場合は四逆散や柴胡桂枝湯を用いる。
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・腹満(ふくまん)
所見:腹部が全般的に膨満していて、腹に弾力のあるのは実証、軟弱無力なのは虚証。
処方:実証であれば、大承気湯、小承気湯、防風通聖散など。虚証であれば、桂枝加芍薬湯、小建中湯、四逆散など。
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・小腹不仁(しょうふくふじん)
所見:下腹部が軟弱無力で、圧迫すると腹壁が容易に陥没し(典型的には船底型)、按圧すると指が腹壁に入る。臍下の腹力が臍上のそれに比べて明らかに弱い場合も所見にとる。著しい場合は知覚鈍麻を合併し、正中芯を触れることがある。腎虚を示す腹候である。
処方:八味地黄丸、牛車腎気丸、六味丸などを用いる目標。
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・正中芯(せいちゅうしん)
所見:腹部正中線上の皮下に索状物を触れる。臍上と臍下の両方にあるものと、臍下だけにあるものとがある。通常、按圧しても痛みはない。小腹不仁に合併して見られることが多く、臍上は脾虚、臍下は腎虚の腹候である。
処方:臍下のみの正中芯は八味地黄丸、臍上のみの正中芯は人参湯、四君子湯、臍上から臍下に続く正中芯は真武湯の使用目標とされる。
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・臍傍圧痛(せいぼうあっつう)
所見:臍周囲に出現する圧痛で、瘀血病態の存在を示唆する重要な症候の一つである。
処方:桂枝茯苓丸、当帰芍薬散などの駆瘀血剤を用いる。
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・小腹急結(しょうふくきゅうけつ)
所見:左腸骨窩に現れる腹候で、指先で同部位を擦過するだけで急迫性の疼痛を生じるものをいう。瘀血証の腹候とされる。
処方:桃核承気湯の適応。
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・回盲部の抵抗・圧痛
所見:回盲部を指頭で軽く触診した場合にみられる腹壁筋の硬結と、この部を圧迫した際に現れる放散痛を回盲部の抵抗・圧痛という。瘀血証の腹候である。
処方:大黄牡丹皮湯などを用いる。
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・心下悸(しんかき)、臍上悸(せいじょうき)、臍下悸(せいかき)
所見:心下悸は心窩部で、臍上悸は臍上部、臍下悸は臍下部で腹部大動脈の拍動を触れる。気逆を示す腹候である。
処方:苓桂朮甘湯、桂枝加竜骨牡蛎湯などを用いる目標。
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・腸の蠕動亢進(蠕動不穏)
所見:腹部が軟弱無力で腸管の動きが外から望見できるもの。
処方:大建中湯が適合する場合が多い。
●参考文献
学生のための漢方医学テキスト:日本東洋医学会学術教育委員会
はじめての漢方診療十五話(腹診のDVD付):三潴忠道
漢方概論:藤平健、小倉重成