ある産婦人科医のひとりごと

産婦人科医療のあれこれ。日記など。

お産崩壊、読売新聞

2008年02月08日 | 地域周産期医療

今、周産期医療に従事する者が激減しつつあり、日本中で分娩施設が急激に減っています。医師が集中している東京や大阪などの国の中枢都市でも、分娩施設がどんどん減っています。

本来、人間の分娩は非常に危険なものであり、ほんの数百年前の江戸時代では、産科の最高権威が担当した将軍のお世継ぎの分娩であっても、その多くが母体死亡、死産となっていました。近年の産科学の進歩により、分娩が格段に安全になってきたとは言え、現代においても、人間の分娩に大きなリスクが伴うことには全く変わりがありません。

分娩では一定確率での不良な結果は絶対に避けられず、分娩での不良な結果のたびごとに、殺人者を厳罰に処すのと全く同じ手法で、産科医を厳罰に処していたら、すぐにこの国から産科医は消滅してしまうでしょう。大野病院事件や大淀病院事件などの教訓は、『日本では、今後、マンパワーや設備の不十分な施設で産科を続けていくのは非常に厳しくなってきている!』ということだと思います。これは、今、全国の産科医達が肝に銘じていることです。

地域の産科医療がこの世の中に生き残っていくためには、産科施設の重点化・集約化を進めていくことが絶対条件だと思います。産科施設の重点化・集約化に失敗した地域では、その地域から産科施設が消滅してしまうことは避けられません。いつまでも古い慣習にしがみついていたのではただ滅亡あるのみだと思います。時代の要請に従って、地域の周産期医療システムを根本から変革してゆく必要があると私は考えています。

****** 読売新聞、2008年2月6日

お産崩壊(1) 行き場失う妊婦

受け入れ不能「31回」

 東京都内に住む公務員の大西明実さん(34)は昨年6月、妊娠6か月の時に破水してしまい、31の医療機関から受け入れを断られた。

 仕事を終えて帰宅しようとした時、出血に気づいた。かかりつけの産科医を受診すると早産の危険があるという。まだ500グラムほどしかない赤ちゃんは、生まれてしまえば命にかかわる。

 赤ちゃんが生まれた時のために、NICU(新生児集中治療室)があり、母体管理も可能な医療機関を、かかりつけ医は探し始めた。午後6時半だった。だが、どこも満床で受け入れてもらえない。大西さんの病室には、医師が必死に電話をかける声が響いてきた。「本当に危険な状況なんです」「何とか受け入れてもらえませんか」

 この出産はだめになってしまうのだろうか。大西さんは頭の中が真っ白になった。

 夜10時近くになって、医師が病室に来て言った。「32か所目で、やっと見つかりました。これから栃木県へ搬送します」。行き先は独協医大病院だと告げられた。

 なぜ栃木なんですか。東京には病院がたくさんあるじゃないですか。東京じゃだめなんですか――。色々な思いが噴き出したが、医師は「栃木に行かなかったら、この子の命は助からないかもしれない」と言う。心細くて不安な思いを何とかおさえ込んだ。

 3歳の長男と夫を東京に残して、大西さんは栃木まで1時間半の道のりを救急車で運ばれた。かかりつけの医師が同行し、救急車の中で「眠れたら眠って下さいね」と声をかけてくれたが、とても眠れなかった。病院に到着したのは深夜0時過ぎ。内診や一通りの検査を済ませて病室に入った時には、午前3時を回っていた。ベッドに入っても、やはり眠れなかった。

 翌日、病室で一人、涙が出てきてしまった。長男は大丈夫だろうか、仕事はどうしよう、この入院はいつまで続くのだろう……。看護師が話しかけてきた。「こんな遠くに連れてこられて、泣きたくなっちゃうよね。泣いていいのよ」。声を出して泣いて、ようやく落ち着いた気がした。

 独協医大病院には約1か月間入院し、体調が安定してから東京都内の病院へ転院した。勘太ちゃんが1700グラムで生まれたのは8月中旬。成長した勘太ちゃんを胸に抱き、大西さんはつくづく思う。「私の場合は何とかバトンをつなげてもらい、無事出産することが出来た。でも、妊婦の誰もが、いつ行き場を失ってもおかしくないということを、思い知らされました」

 昨年8月、奈良県橿原市で救急車を呼んだ妊婦が9病院に受け入れを断られ死産した問題で、にわかに注目を集めるようになった妊婦の“たらい回し”。それは決してひとごとではない。特に大都市周辺では、ひとたびお産の異常が見つかれば、何時間も行き場が決まらないことがあるのが今のお産現場の実情だ。

(以下略)

(読売新聞、2008年2月6日)