No,48
横山大観、「屈原」(部分)、19世紀日本。
こちらは日本画から採用した。
この絵に描かれた男は美しいが、これは日本人でなければ描けない男だ。
何故なら、これは男の汚さを真正面からいさぎよく描いているからだ。
人間の男には、だれもかつて女性を辱めたことがあるという罪の影がしみついている。それは消そうにも消せない影だ。大体の男は、これを服装や化粧で隠す。だが、この画家はその男の罪をそのまま描いている。
だがそれを醜いと感じさせないのは、この絵の中の男が、自らの死でそれを清めたことがあるからである。
この男は、社会に尽くす。しかしその志が受け入れられないと知るや、社会におもねることを潔しとせず、死に赴く。それが、男の罪を清める。
こういう男は、女性に助けてもらうことを潔しとしない。そのまま背を向け、自らの死を選ぶのである。ゆえに、男の罪の跡が、痛く苦しく、きついものとなっている。
これを見ると女は、見事だと思う。
女性への罪は、人間の男の、大きなテーマだ。これをどう潔く清めていくかが、男の苦しい課題となる。
この絵は、その一つの道を、見る者に教えるのだ。
横山大観、「屈原」(部分)、19世紀日本。
こちらは日本画から採用した。
この絵に描かれた男は美しいが、これは日本人でなければ描けない男だ。
何故なら、これは男の汚さを真正面からいさぎよく描いているからだ。
人間の男には、だれもかつて女性を辱めたことがあるという罪の影がしみついている。それは消そうにも消せない影だ。大体の男は、これを服装や化粧で隠す。だが、この画家はその男の罪をそのまま描いている。
だがそれを醜いと感じさせないのは、この絵の中の男が、自らの死でそれを清めたことがあるからである。
この男は、社会に尽くす。しかしその志が受け入れられないと知るや、社会におもねることを潔しとせず、死に赴く。それが、男の罪を清める。
こういう男は、女性に助けてもらうことを潔しとしない。そのまま背を向け、自らの死を選ぶのである。ゆえに、男の罪の跡が、痛く苦しく、きついものとなっている。
これを見ると女は、見事だと思う。
女性への罪は、人間の男の、大きなテーマだ。これをどう潔く清めていくかが、男の苦しい課題となる。
この絵は、その一つの道を、見る者に教えるのだ。
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