月の岩戸

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リゲル・4

2015-10-29 04:09:17 | 詩集・瑠璃の籠

何だか 胃のあたりが
鉛のように重かった

わたしは
生きたままの黒い大きなウナギを
だれかに無理やり飲み込まされる
そんな夢を見てしまったので
早く 早く目を覚ましたいと
夢の中でもがいていた

だいじょうぶですか

聞き覚えのある声がする
わたしは暗い意識の中を
その声が聞こえる方に向けて夢の中を泳いで行った
闇の中に光が一瞬見えたかと思うと
わたしは目を開けて
岩戸の天井を見ていた
目にたまっていた涙が一筋落ちて
まくらをぬらした

目を覚ましましたか
と言われて わたしは横を見た
するとそこになつかしい顔をした星がいた
だがそれが誰なのか またわたしは思い出せなかった
多分何かの重要な理由があるのだろう
それならば無理に思い出す必要はないとわたしは思った
するとその人は笑いながら言うのだ

ほんとうにあなたは素直なよい子だ

わたしが床から半身を起こすと
美しい顔をしたその人は
傍らの大きなカバンの中から黄色い蜜柑のような果実を出し
それをむいて 
実ではなく皮のほうを一切れわたしの方に差し出し
言うのだった

これを飲みなさい
ちょっときつい薬だが
あなたにはとてもよいことになりますから

そう言って差し出された皮を受け取り
わたしはくちびるに近づけ
少し香りを嗅いでみた
柑橘類特有の甘酸っぱいさわやかな香りがしたが
どこかにきつい毒を隠しているような
とげとげしい香りをかすかに感じた

さ これと一緒に飲みなさい
その人はいつの間に用意したのか
洗面器をわたしのひざの上に載せ
コップ一杯の水をわたしに差し出した
わたしは何の疑いもなく
そうしなければならないような気がして
黄色い皮を水と一緒に一気に喉に流し込んだ

しばらくは なんともなかった
だが何分か経つと
胃の中で何かが暴れ出すのを感じた
わたしは猛烈な吐き気を感じて
洗面器に顔をつっ込んだ
星はわたしの背中を優しくなでてくれる

わたしは涙を流しながら
胃の中で暴れるものが
ばりばりと音を立てて喉を上ってくるのを感じた
思いっきり力をこめて吐き出したいと思ったがその前に星が言った

力を抜いて 
自分ががんばらねばならないと
思い込まなくてかまいません
すぐに終わりますから

するとその星が言ったとおり
それはわたしが大して努力をしなくても
するりと喉の奥から出てきて
洗面器の中に黒いナマズのようなものが落ちた

わたしはほっとして
洗面器の中の黒いものを見た
よく見たらそれはナマズではなく
大きなウナギのようなものだった
わたしはさっきまで見ていた夢のことなど思い出しながら
傍らの星に尋ねてみた
これはなんですか?
すると星は暗い声で悲しそうに言うのだった

それは愛の振りをした嘘です
あなたは子供の頃から
ずっとそんなものばかりを食べさされて来たのです

わたしは驚いた
洗面器の中のウナギはナマズのように太り
まるで腐った泥のような匂いがして
もう死んでいた

こんなものを
わたしはずっと食べていたのですか

ええ それは長い間
だがもう あなたは苦しまなくていい
愛の振りをした嘘は
黒い塩の塊のようになって
今 だんだんと崩れてきているのです
人間はもうすぐ
嘘で人を馬鹿にすることはできなくなるのです

わたしは 洗面器の中のものを見ながら
妙に自分の心がさわやかに晴れているのに気づいた
なぜでしょう
わたしは今 とてもここちがいい

そうでしょう
もうあなたは嘘の愛で苦しまなくていいのです
嘘ばかりの世界で
自分一人で本当の愛を叫ぶのは
とてもつらかったでしょう

ああ そうです
でもそれはもういいのです
なんでもないことだ
わたしは大事な自分の役割を果たせて
それで十分に幸せでしたから

ほんとうに ほんとうに
あなたは幸せな人だ

笑いながらそういうと
星は黒いウナギを洗面器ごと大きな袋に入れ
厳重に口を閉めるとそのままカバンの中にしまいこんだ

どうするのですか それを
と尋ねたかったが 何かに止められてできなかった
ああ まだそれを尋ねてはならないのだと
わたしにはもう自然にわかる
それで何も尋ねはしなかった
ただ 言った

愛の振りをした嘘は それはたくさん飲み込みました
そうでなければ 生きていけなかったのです
だけれども 本当は死ぬほど苦しかったのです

そうでしょうとも
でももう大丈夫
あなたはもう冷たい嘘の愛をもらうために
傲慢な鶏におべっかを使っていた頃の夢など
見ないでよいのです

言いながら星は 小さな一瓶の水薬を
カバンから出して言った
この水薬を今 一気に全部飲んでください
心配いらない 甘くておいしいですよ
さっきの薬は 相当にきつい薬だったので
副作用をふせぐために
これを飲まねばならないのです

ああ そうなのですか
とわたしは合点して
その水薬を受け取った
瓶は透明なガラスのきれいな瓶で
薬はかすかに葡萄色をしていた
わたしは瓶のふたを開けて薬に口をつけた
すると本当にそれは甘くておいしかったので
あっという間に全部飲んでしまった

わたしが水薬を一滴残らず飲んだのを見ると
星はほっと息をついて 
さあ これでわたしの仕事は終わりです
と言いながらもう去って行こうとした
立ち上がる星に わたしは慌てて瓶を返してお礼を言った
すると星は少し悲しげな顔をして瓶を受け取り
言うのだった

あなたはもう少し傲慢にならないといけません
魂の病気というのは本当に難しいが
時間をかけて 少しずつ治していきましょう

そう言うと星は
ウナギの入ったカバンを肩にかけ
すぐに小窓の向こうに去っていった

ふと瑠璃の籠を見ると
そこにプロキオンがいなかった
ああ きっとどこかに何かをしにいったのだろう
少しさみしさを感じたが
わたしはもう
子供みたいに泣いてしまうようなことはしなかった
多分 皆のお陰で
少しずつ 自分の病気が治ってきているからだと思う

そして床の中に横になろうとしたそのとき 
遠くから花火が上がるような爆発音が
どん と聞こえてきた
ああ もう始まっている
わたしは何かがわかって
涙を流した

わたしは確かに言った
ここから全てが始まると
しかしそれが こんなことだったとは
思いもよらなかった
にんげん にんげんよ

あなたがたもいつか
あの愛の振りをした嘘を
吐き出すときがくるだろう
その時の苦しみが
できるだけ少なくてすむようにと
わたしは心から願う



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