岩戸の中が
狭いようで広いとわかってから
時々岩戸の中を少し散歩するようになった
何度ふすまを開けても
似たような和室があるばかりなのだが
あの朱いすみれのいる紺色のふすまには
あれから一度もあっていない
迷路のような岩戸の中を
迷っても心配はない
ある程度時間がたつと
わたしを心配したプロキオンが
ちるちると鳴いて呼び戻してくれるから
和室の空気はどこも清浄で
ほこりひとつもまじっていないほど澄んでいて
息をするのが楽なことが
これほど生きることを快くさせることだとは
思わなかった
でも 長いこと歩いてくると
だんだんと体が重くなってきて
肩や足が痛くなって 疲れてくる
わたしは そろそろ帰ろうと思ったが
まだプロキオンが鳴いてくれない
ふうと重い肩で息をして 少しめまいを感じながら
ふすまを開けた
するとその部屋には 小さな星が二ついて
それぞれに カストル ポルックスと名乗った
二つの星は声を合わせて
「疲れるでしょう たすけてあげましょう」と言って
わたしの上着のすそをめくった
わたしはおどろいた
わたしの上着の裏には
それはたくさんのオナモミが
びっしりとはりついていたからだ
「たくさんありますね ずいぶんとたくさん」
カストルがいった
「これはね 人の言葉の裏にある 暗い憎悪の棘なのです」
ポルックスがいった
「そんなものが しらないうちに
こんなところについて たまってしまうのです」
「それが重くて 痛くて 人は知らないうちに 苦しみ続ける」
「長い間 痛かったでしょう」
「長い間 重かったでしょう」
わたしは ぜんぜん気付かなかったと答えた
でもそういえば
長い間上着を着ていると ずいぶんと肩が凝り
何だか悪いものでも食べたように
おなかのあたりが苦しくなってきていたことを思い出した
カストルとポルックスは
わたしの上着の裏についたオナモミを
ていねいにひとつひとつとってくれた
オナモミを全部とってきれいになった上着を着ると
それはふわりと軽く 暖かかった
ああ 上着はこんなにやわらかくてやさしいものだったのかと
初めて知った
「よかったですね」
とカストルはいった
「着物の裏には 気をつけてください」
とポルックスはいった
わたしは「ありがとう」と言った
ああプロキオンがちるちると呼んでいる
わたしが立ち上がると 二つの星は言った
「わたしはカストル」
「わたしはポルックス」
「わたしたちはよく似ていますが」
「全く違う星です」
わたしは深くうなずき
まったくそのとおりですと 言った
すると二つの星は嬉しそうにきらりと光ると
ゆらゆらと互いを回りながら
空気に溶けるように静かに消えていった
プロキオンが呼んでいる
早く表の部屋に 帰らなければ
わたしは上着をひるがえして小走りに駆けだす
体が 風のように 軽かった