これは練り水晶だが、とてもよい。
持って10年にはなるだろうか。買った当初は、練りであるためか、少々そっけない気がしたが、長い間持っている間に、何かが変わったようだ。
とても美しく、持っているだけで気持ちがすがすがしくなる。ほっと安心する。水晶はよい。透明な水晶の表現する愛は、自分というもののそのままの存在を素直に認めてくれるというものだ。ゆえにこれをもっているものは、やすらぎを感じるのである。だれかが自分をしっかりと認めてくれているという気がする。
練り水晶もよいが、やはり自然の結晶を加工したもののほうがよいだろう。
形というものも、考えねばならない。勾玉という形は少々動的で、落ち着かない気がするが、勇気が出てくる。だが丸いものやまろやかなものは、より安定を感じる。
前にも言ったが、鉱物というものは、目に見えない高い愛を見える形に変換して表現してくれる。よい石は積極的に持ってみた方がよい。感性を磨いていけば、石に、人間には表現できない愛を感じることができるようになる。
それは人間の人生を豊かに高めていくことにつながるだろう。
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