月の岩戸

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詩人の名前

2012-12-30 07:26:46 | 随筆集・とんぼ玉
       (「青いセーターを着た自画像」、色鉛筆、クレヨン)


わたしはこれまで、詩作などのために、たくさんの筆名を使ってきたのですが、それで今、少し困っています。名前がたくさんありすぎて、どれがわたしだか、わからない。

今年2012年、フェイスブックに入ったのを機に、前から考えていた「青城澄」(あおきすむ、と読む。すみでもかまわない)という筆名を使い始めたのですが、なんだかちょっと、しっくりこない。まだ慣れていないせいもあると思うのですが。

これまでにも、たくさんの筆名を使ってきました。一番最初の名前は確か、「棚木那野」だったと思います。「たなきなの」と読みます。20代前半の頃、詩や童話を書いて作った小さな個人誌をやっていたときに使っていた名前でした。まだ言葉も表現力も未熟なまま、ただ一生懸命に書いていた。あのころの主なテーマは、十代の頃に受けた心の傷でしたね。表現することで、自分を一生懸命に立て直し、癒そうとしていた。棚木那野は、ほんとうに、小さな作家でした。「なの」は「nano」で、ある単位の10億分の1を表す語。1ナノメートルは、0,000000001メートルのことを表すそうです。要するにとても小さいという意味でつけた名前。あのころのわたしは、本当に、消え入りそうなほど、小さかった。真面目に個人誌を出してはいたけど、ほとんど誰にも相手にされなかった。棚木那野の作品を読んでくれた人はほとんどいなかった。棚木那野の一番の傑作といえば、「きりこりん」かな。後に書き直して、ブログに発表しましたが、前のブログが消えてしまったと同時に、それも消えてしまいました。ちょっと惜しいことをしたなと今も思っています。

月日を経て、結婚して、しばらくしたら、本名で小説を出版しました。夫の姓を被った名前だったけれど、これもなんだか、自分にしっくりこなかったなあ。小説はのタイトルは「フィングリシア物語」という長編ファンタジー。これもあまり人に読んではもらえなかったな。自分なりに執筆にも売り込みにもがんばってみたのだけど、世間は厳しかった。

子供が生まれると、「ちこり」という小さな同人誌を初めて、そのときは「種野思束」という名前を使いました。「くさのしづか」と読みます。この名前は、長いこと使いましたね。種野思束はかなりのことをやりました。同人誌の編集から、自分の作品を書くことから、いろいろな絵を描くことやら、20人ほどいた会員さんたちの細やかなお世話とか。作品を書くことや、いろいろな人の作品を読むことで、わたしは、かなりの表現力を身につけることができ、それは後々、大いに役にたつことになりました。

「南野珠子」という名前を使ったのもこのころでした。同人誌では途中から、絵を描くときにはこの名前を使うことにしました。そして二冊目の本を出すときにも、この名前を使いました。あと、製本から挿絵まで手作りで作った小さな詩集、「ひとつの星」というものも作りましたが、これにも表紙に南野珠子の名前が書いてあります。詩人を自認してる私だけど、今のところわたしが出している詩集は、この手作りの詩集一冊だけですね。南野珠子は、地元の新聞紙に頼まれて切り絵を制作するなど、かなり熱いこともやりました。でも何だか、いつも、この名前は自分じゃないという思いが付きまとっていました。不思議なことだ。自分で考えて、自分で自分につけた名前なのに。意味は単に、南の国に住んでいて、真珠のように貝に隠れているということだったのですが。

パソコンを買って、ネットを始めると、ハンドルネームを使い始めました。
はあい、てんこでえす。今も使っているこの名前。最初のころのブログの読者さんは由来をご存知だと思います。てんこのてんは天使のてん。頭から羽が生えているおばかさんという意味だ。いやほんとは、ある人に言われたからだ。天使なんて、きれいなだけで、何にも役に立たないと。

2012年に書いた「月の世の物語」は、てんこの名前で書いた作品です。なかなかに壮大なファンタジーで、自分ではおもしろく書けたと思う。てんこはたくさんの詩や歌や論語エッセイを書きました。なかなかにきれいな切り絵も切った。ほかにおもしろいことも、かなりたくさんやった。それどころか、死にそうになりそうなところを乗り越えて、かなりの傑作を生んだ。「てんこ」は、今までの私の中では、一番の功労者だと思います。できないことでもやった、すごい根性の持ち主だった。というか、今もそうです。まだこの名前は捨ててないし。でも、ある人の言葉によると、この名前が一番わたしに似合わないそうです。まいったな。

で、今年の5月ごろに、フェイスブックを始めた。そこで、前から考えていた「青城澄」を使い始めたのですが。青城澄は、「菫青石」という詩集と、「玻璃の卵(はりのかひ)」という歌集を書きました。短期間のうちに、大量に詩歌を書いた。これと並行して、てんこが月の世も書いていたから、相当なエネルギーと言えますね。よく考えたら、この1年間でやったことだ。

いろいろな名前を使ったけれど、ここに発表できない名前も入れると、全部で十二くらいあります。どれも今一つ、自分にしっくりきません。待てよ。ジュディス・エリルやオリヴィエ・ダンジェリクや篠崎什も入れるともっと増えるぞ。よく考えたら、彼らの詩も結局はわたしが書いているんだし。

もし、今後、何かの本を出版する機会があるとしたら、その時は多分、「青城澄」を使うと思うんですけど、保証はできません。いろんな名前を考えたけど、どれもなんだか自分らしくないような気がして。はたして、私は誰なんでしょう。

てんこかな。青城澄かな。南野珠子か種野思束か。それともほかの名前か。

どうしたらいいだろう。いまだに悩んでいる。

まあ、名前に関しては、これからもゆっくり考えていこうと思います。わたしにぴったりの名前って、あるかなあ。でもあんまりさいさい変えすぎると、読む人が困りますね。青城澄でやめときましょうか。名前変えるの。

でもおもしろいからまた考えようっと。








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