読者の皆さんは三連休をどのように過ごすのだろうか?
私は特に遠出の予定もなく、いつものようにダラダラ過ごすのだ
ギターを弾きながら見逃し配信のテレビを観るのも楽しい
休日に一週間分をまとめて視聴することも多いのだ
可能ならば常にギターに触れていたと思ってしまう
ある意味でプチ病だと自覚しているのだ
良くも悪くもギター中毒なのだ
「練習するぞ~!」
と構える必要もないと思う
そんなギターとの接し方もあると思う
身構えるとギターが精神的に重く感じてしまう
もっと気楽な感じで良いと思う
以前は目を三角にして作曲に励んでいた時期がある
振り返ると不思議な感じなのだ
何かの大会に出場するわけでもなく誰と競い合うこともないのに頑張っていたのだ
承認欲求のような感情が少なからずあったのだと思う
作った曲は楽器屋さんの店員さんや仕事仲間などに聴いてもらっていた
そんなことにも飽きてきた
むしろ、コピーが楽しく感じられるようになってきた
普通の人と少し順番が違うように感じる
コピーで腕を磨きオリジナルに足を踏み入れるという人が多い
まぁ、趣味の世界に順番などないと思う
自分が楽しいと感じることを瞬間として感じられれば良いと思う
重症はギターが楽しくないという症状?なのだ
私の知り合いにも少なくない
日々の生活の疲れやストレスがギターにまで波及しているのだ
ギターが気分転換や息抜きに感じられる人はまだマシなのだ
「あ~疲れた~もう寝るわ~」
という感情の隙間にギターの居場所はない
ギターを弾くには多少の気力と体力が不可欠なのだ
読者の皆さんにもそんな経験があると思う
失恋や受験の失敗などをギターで癒やすことは出来ない
かくいう私もギターから離れていた時期があるのだ
数ヶ月から数年というサイクルを何度か経験している
まったくギターを持たない時期があったのだ
レッチリのジョン・フルシアンテにもそんな時期あったらしい
レッチリの脱退の後ですべての機材を手放してしまったという
本気でギターと向き合う人は中途半端な気持ちが許せないのだと思う
真剣にギターと向き合った者だけが分かる感情の極みなのだ
私の場合には趣味の世界だが非常に共感出来る部分が多い
私はギターを体の一部のように感じている
生活や人生とは切り離せない存在に感じているのだ
気持ちの話なのだ
技術的に上手いとか下手とかではないのだ
精神論としての話なのだ
私にとってギターは心の拠り所であり支えになっているのだ
良き相棒であり良き親友のように感じている
「なんかギター弾きたくないなぁ・・」
ギター好きの私にもこんな気持ちの時があるのだ
精神的にかなり疲れているのだ
精神の状態をはかるバロメーターのような役割なのだ
特に意識したことはないがそう感じられる
ギターが上手く弾けた時にはリアルライフも充実していることが多い
実生活で良い出来事があるとギターの音が良く感じられる
ギターの音は機材や腕前ではない気がしているのだ
心病んでいる時のギターくらいつまらないものはない
それでもウジウジとギターを弾き続ける自分がいるのだ
それでもギターを止めないところが私の良い部分だと自覚している
”継続は力なり・・・”
とにかく良い時も悪い時もギターと一緒なのだ
”ギターと対話する・・”
という表現がある
どういうことだろうか?
ギターの音に耳を傾けることだと思う
ギターを弾き続ける為には楽しいと感じる必要がある
楽しいと感じる為には何かの曲を弾けるようにしておくべき
ブルースはお勧めなのだ
エレキでもアコギでも楽しい
”一人ブルース・・”
メロディ、コード、ベースが一人で弾けるようになれば無敵なのだ
半日くらい一人で遊ぶことができる
興味ある方はYouTubeなどで検索してみていただきたい
優秀な講師がレクチャーしてくれると思う
ギターを弾いている過程で迷ったらYouTubeで検索すると良いと思う
いまは動画の時代なのだ
ググっても巷のギターブログからは何の旨味を得られない
文章で何かを表現できる人が激減したのだ
もともと、ギター弾きは口数が少ない
表現が苦手なタイプが多い
リアルライフで積極的で雄弁ならばギターを抱えない
もっとアクティブな方面へと進んでいるはずなのだ
これは私自身に向けても言えることなのだ
私の場合には何故だか文章が好きなのだ
むしろ、文章の方が自分を表現し易い気がしているのだ
すべてのギター弾きの発信ツールが動画に移行しても私はブログを書くと思う
時代に逆行して生きていきたい
幸いにも私の場合には少しばかりギターが弾ける
それによってギターが正直なツールになり得るのだ
”有言実行・・”
実際に文章で書いたことを音として読者の皆さんにお伝え出来る
これは武器になると思う
多くのギターブロガーに足りない部分でもあると思う
”言うは易し・・”
読者の目(評価)は厳しいのだ
「偉そうなこと言ってるなら弾いてみなよ」
と心の中で思う読者も少なくないと思う
そんな厳しい読者に認められることは容易くない
しかしながら、いちど認知されれば強い味方になってくれる
『本物の読者』こそがギターブログの宝なのだ
書き手にもランクがあるように読み手である読者にもランクがある
ランクが低い読者にはギターの本質は伝わらない
上辺の派手な部分だけに反応する読者は飽きるのも早い
ギターにとって大事なことは何だろうか?
速く弾けることだろうか?
難しいコードを知っていることだろうか?
それも大事だと思うが・・・
個人的には音の重みだと思っているのだ
初心者とベテランの大きな違いはトーンなのだ
自分が上手くなれば上手い人の音が聴き分けられる
料理が上手い人は美味い料理の味が分かる
それと一緒なのだ
何事にとっても上手いということは大事なのだ
「上手くなくてもギターは楽しめるぜ」
本音だろうか?
私は違うと思う
ギターのテクが向上すればより一層楽しくなってくる
得た知識も本物になってくるのだ
昨日、ネットで調べたような知識は浅い
ギターが弾けない人が語る浅い知識は痛々しい
「それって何処かで聞いたことあるよ」
ネットは知識の戦いの場なのだ
むしろ、読者の側の方が詳しいということも多々ある
ギターの相場や価格などは読者の皆さんの方が私よりも何倍も詳しいと思う
ちなみに私の場合にはギターの相場には興味がないのだ
欲しいギターがある時だけ少し調べる程度なのだ
朝から晩までギターの価格比較サイトを検索することは皆無なのだ
仮に高価なギターを買うお金があっても買わないと思う
他に欲しい物や買うべき物がある気がするのだ
まだギターを持っていない人は早々に購入すべきだと思う
迷って調べる時間が惜しい
無知で悩むならばプロに相談した方が良い
新年度を目前に楽器の聖地も賑わっているそうだ
この時期に売らなくていつ売るのか?
リアルショップに足を運ぶ人には精神的な伸び代を感じる
なんでもかんでもネットの時代だが・・・
すべてを自分で決めているうちに迷子になっている人が多々いる
まぁ、趣味の世界なので特に困り事はないと思うが・・・
悪い意味でストイックになっている人を多々見かける
さらにこんなご時世なのだ
自分を正してくれる仲間とも疎遠になっているのだと思う
どんどんと悪い方向、深みにハマっているのだ
プロに相談するとリセットされるのだ
まぁ、プロにもランクがあるが・・・
楽器の激戦区で勤務しているような店員さんは総じてレベルが高い
まれに初心者を小馬鹿にするような人もいるが多くは優しく親切なのだ
リアルな会話には責任がある
言葉に重みがあるのだ
ネットの軽い言葉とは区別したい
何でも言える、誰でも言えるという気軽さが仇になる
親や友達の言葉は信用しないがネットの言葉や情報に信頼を寄せる人がいる
まさに次世代の発想だと思う
私の年代では話は半分くらいのだ
「この人って分かってないなぁ・・」
まぁ、かくいう私も読者の皆さんにそう思われているかも?
少なくとも私の言葉には嘘と背伸びがない
嘘をつけば、それを隠す為にまた嘘をつくことになる
背伸びをして格好をつければ、元に戻れなくなる
見栄とはある意味で地獄への第一歩なのだ
私は若い頃にそんな経験で失敗しているのだ
私の文章やギターの音が嫌いな人とは縁がなかったのだ
縁がなかったと思って諦めるしかない
読者の目や気を惹くような奇抜でブログタイトルは恥をかく
ブログのタイトルに引き寄せられて訪問するも撃沈・・
良くある話なのだ
一過性の読者数など何の意味も持たない
幸いにも当ブログには1,000人を超える読者の皆さんが常駐しているのだ
これは本当に宝であり有り難いことだと思う
「なんで読者数が伸びないんだろ?」
「真面目に投稿してるのになんで?」
意気消沈してブログをリタイヤする人も少なくない
気まぐれで定期的に投稿するブログが認知されるほど甘くない
毎日投稿していれば読者数が伸びるほどネットは甘くない
まぁ、難しい世界だと思う
最後は『本物も気持ち』だけが残るのだと思う
ギターが好きだという情熱は読者の皆さんに伝わるのだと思う
上手いプレイが聴きたければプロの演奏を聴けば良い
素人が素人に関心があるのは『可能性』なのだ
「俺も練習すれば、このくらい弾けるかな?」
これは大事だと思う
どんなに練習してもジミヘンにはなれない
しかしながら、頑張って練習すれば隣の少し上手い人にはなれる
ギターという趣味は本当に奥深いと思う
練習量と技術は釣り合わない
投入した金額とギターの音は比例しない
廉価のギターにも十分に勝ち目があるのもギターの世界・・
普通に生活している人ならば、5万円未満という金額ならば何とかなる
50万円は無理でも5万円ならばどうにかなる
廉価のギターはむしろベテラン向きだといえる
教育費や住宅ローンなど何かとお金がかかる年代のお父さんの夢を叶える
昔弾いていた人がギターを再開したい・・
5万円未満ならば鬼嫁でも許してくれる可能性がある
ギターを手に入れてしまえば何とかなるのだ
廉価なギターの扱いは難しい
どこを調整すれば良いのか?
自分で直せるのか? プロに依頼か?
依頼する場合、的確に症状と希望を伝えられるか?
実はユーザーにもランクがあるのだ
「あの・・なんか調子が悪いんですけど」
「なんかビビるんですよねぇ 調整できますか?」
ネックの調整やブリッジの調整で解決するのか?
大手術になってしまうのか?
廉価のギターにどのくらいお金をかけるべきか?
まぁ、難しい問題が山積しているのだ
「ペグが硬いんですけど交換ですか?」
難しいジャッジを迫られる
ペグの硬さも経験で判断できる
不良品なのか?
我慢の範囲なのか?
廉価のギターに文句を言う人も多い
むしろ、無知が故にそういう人が多いようだ
奥深く難しい価格帯だといえる
個人的には遣り甲斐を感じるギターが多いと感じる
10年くらい前と比較すると劇的に良くなっている層なのだ
上は伸び悩み下は伸びているのだ
近年は高級ギターと廉価ギターの差が少なくなっている
同じとは言わないが・・
価格と品質や満足度が比例していないことも事実
良いギターは恐ろしいほどに良いのだ
貯金をおろして買いたくなるギターがあるのも事実
値段が高くなるほどに自分の目と指で感じたい
ギター選びは根拠よりも直感重視なのだ
「このギターって好きかも?」
これは買いのサインなのだ
何で買いなの?
そこに理由などない
廉価なギターは初心者はリアルショップで購入すべき
ベテランは遊び用としてネットで買うのも良いと思う
その事のメンテと見極めに自信がない人は避けた方が良い
お宝ギターは廉価な価格帯に隠れているのだ
そのままで100点というギターは少ないが・・
チョイと手を加えるだけで化ける
自分の財布事情と相談すべきだと思う
近所に地上三階、地下一階の豪邸に住んでいる家族がいる
シャッター付きの車庫からオシャレな軽自動車が出動するのだ
むしろ、カッコいいと感じてしまう
背伸びして車に贅沢をしている自分が恥ずかしくなることがある
ここ最近のガソリン価格の高騰などを考えると次に購入する車が見えてくる
ギターも車も身の丈にあった物がカッコいいと感じる
そう感じられる年代になったのだ
ハイパワーの車でブイブイいわせるよりも歩行者に優しい運転の方がカッコいいと感じられる
横断歩道の手前で停止することがカッコいいと感じるられるには時間がかかる
少し脱線したが・・
周囲にストレスを感じさせるような買い物や行動ではダメだと思う
何故だか誰に会っても廉価ギターを褒めてくれる
「へ~そんなに安いの?」
「レリックって自分で出来るの?」
レリック加工の最終仕上げは自分で弾き込むこと
指板の削れやボディの痛みなどにリアリティが付加される
気づかぬうちに打痕も増えている
細かいキズも気にならない
”愛情を持ってキズつける・・・”
これがレリック加工のコツなのだ
破壊ではないのだ
レリック加工に教科書はない
非常に奥深く繊細な世界なのだ
プロも互いの秘技を教えない
道具すら教えないという
最近はメーカー発のレリック加工も増えてきたようだ
工場ラインで作るのは嘘臭い
レリックはすべてを手作業で行うべきだと考える
唯一無二の世界なのだ
パーツの交換にも法則や決まりはない
その時のさじ加減だと思う
それが面白いのだ
闇雲に傷付けただけのギターは悲しい
良い感じに朽ちたギターから発せられる極上のトーンこそが至福の時間を生む
「安物のギターで良くそこまで語れるよね~」
という方もいると思う
極上のトーンに定義などない
自分で決めれば良いのだ
ついついギターを語ると熱くなってしまう
廉価のギターや機材でこれほど熱く語れるのは私だけだと思う
ギターは心を豊かにしてくれる良き相棒であるべきなのだ
見逃し配信を観ながら少しギターを楽しみたい
いま、練習している曲があるのだ😉