テレキャス&ストラトの部屋

RolandのGT-001とzoomMS-50GでDAW制作を楽しんでいるよ

メンテは自分でが基本だよね

2023年09月09日 | 楽器
時計について調べていて驚いたことがあった

ネットで購入した時計の調整をリアルショップに依頼する人が多いこと

特に購入後の金属ベルトの調整なのだ

「ベルトの調整を自分でやらない人がいるの?」

ネット購入に敵意?を持っているショップでは修理や調整の依頼を断られることおもあるようだ

仮に引き受けたとしてもかなり法外な金額を請求されることも多いという

何となく気持ちは分かる

以前に私はロレックスの調整を近所の時計店に依頼した

色々な理由をつけて断られた

「うちじゃロレックスは扱ってないから」

単なるベルトの駒足しなのだ

結局、正規代理店に作業を依頼したのだ

ベルトの駒足し(一個)で約4万円だった

さすがに仕事は迅速で正確な作業だったと記憶している

しかしながら、その高額な費用に少し驚いた

オーバーホールも部品交換などを含めて10万円を超えることも多い

高級時計は金食い虫なのだ

ここをケチると後々の出費がさらに高額になってくる

買い取り店では作業の履歴などもチェックするのだ

「オーバーホールをされていないようですね・・」

「多少グリスが切れているようですね 動いていますが・・」

色々と減額査定の材料を並べてくることも多い

それが商売なのだ

間違ってはいない

私は交渉の末にそこそこ納得の金額で買い取ってもらった

ロレックスに未練はないのだ

良い経験をしたと思っているのだ

時計は誰が身につけるか?

私では神通力は発揮できなかった

まぁ、ロレックスもピンキリなのだ

人気のデイトナなどはちょっとし車のような金額で取引されている

興味がないといったら嘘になるが・・

自分で購入するか?と問われたら答えはNO

他に買うべき物がある気がする

やはり、ギター同様に時計も身の丈を重視したい

自分に似合っているということが一番だと思う

貧相な服の疲れたおじさんがデイトナを身につけても偽物だと思われる

逆にキラキラのはったりおじさんが偽物を身につけいれば本物に見える

そういうものだと思う

ギターも時計も似合うということが大事に思える

ギターが下手な人が激レリックのギターを抱えていても痛々しい

特にギターの場合にはその辺りが大事になってくる

コレクターを名言する人はむしろ人前で弾かない方がよい

「これって投資だぜ 価値あるギターだからな」

という方が潔く格好が良い

中途半端に蘊蓄を述べつつ中途半端に弾くから格好が悪いのだ

ギターは弾いてナンボ、弾けてこそ価値がある

私の持論なのだ

人馬一体という言葉があるがギターも同じなのだ

プレイヤーと一体となることで価値が決まる

上手い人が最高に良いギターを抱えている姿には後光が差している

キラキラ感がハンパない

時計好きならば自分の時計のベルト調整や交換くらいは行いたい

ギターも一緒なのだ

少なくともネック周辺やブリッジ周辺の調整くらいは自分で行いたい

自分で行うからには完璧に行いたい

自分のギターの状態を一番理解しているのは自分自身

おそらく楽器屋さんよりも上手く調整できるはず

私はメンテに自信がある

特にネックのセットアップには自信があるのだ

あくまでも自分基準

他人のギターを調整する自信はない

自分が好きな状態は自分が一番理解しているという意味


そもそも、自分が好きな状態を知らなければメンテなど出来ない

ギターがかわっても軸がブレてはダメなのだ

色々と言うがメンテがメチャクチャという人も多い

メンテの技術とギター歴はあまり関係がない

センスがない人は何十年弾いていてもダメ

センスがある人はキャリアが浅くてもキラリと光るものが感じられる

ギターはセンスがものをいう

理屈3割、センス7割だろうか?

購入後に差がでるから楽しいのだ

完璧に調整されたギターも場合によると数年後には酷いことになる

そんな悲惨なギターを多々見てきた

特にアーム付きのギターは酷い

フローティングの意味を理解しないままにストラトを弾いている

「なんかチューニングが安定しないんだけど」

「これって不良じゃないの? なんとかなる?」

かなり面倒臭いケースなのだ

仮に楽器店で調整しても同じ状態で修理に持ち込まれる

自分でブリッジの状態を理解しなければ問題は解決しない

それが原因でストラトが嫌いになる人も多い

非常に残念なことだと思う

ストラトのメンテが出来ればほぼすべてのギターのメンテは出来る

ストラトを自在に鳴らせるようになればギターが100倍楽しくなる

そんな図式が成り立つのだ

巷にギターを趣味にしている人は多いが本当に楽しさを感じている人は1割にも満たない

あくまでも私の私見だが・・・

私の周囲にもそんな人が多いのだ

”ギターを持っているがまったく弾かない・・・”

ある意味で残念な人だといえる

ギターに挫折したことがある種のトラウマになっているのだ

ギターは好きだがギター弾きに敵意を抱いている人も少なくない

それは嫉妬であり時に憧れの念を抱くこともあると思う

私も上手い人を観る(聴く)と嫉妬する

私の場合には嫉妬心を起爆剤として活用しているのだ

萎えるというよりはむしろ燃えてくる

「同じ人間だもの・・俺も頑張ればなんとかなるかも」

そんな前向きな気持ちになるのだ

先に述べたように人間は自信が大事

私はギターの調整に関しては絶対の自信がある

何でも良いの誇れるものがある人間は強い

正しい演奏には正しく調整されたギターが必須

それが大前提だと思うのだ

とりあえず、ギターを買った(手に入れた)だけで満足している人が多い

楽しみと苦しみはその先に待っているのだ

それを楽しみにするのも苦しみにするのも自分自身

ギターは持ち主の色に染まるのだ

読者の皆さんもご自分のギターを見つめていただきたい

「俺って完璧じゃない?」

という方はそのまま突き進んでいただきたい😉 

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時計の調子が良くなった

2023年09月09日 | 楽器
機械式時計の調子が悪くなってソーラー式の時計を買ったのだが何故だか調子が良くなってしまった


以前は一日に数秒ほど遅れるという状態だった

最近は一日に数秒進むという感じで落ち着いているのだ

機械式時計の場合、進むというのは良い状態らしい

時計として当たり前な気がする

そもそも機械式時計を好む人は細かいことを気にしないようだ

私の場合にはムーブメントに惹かれて買ったのだ

機械式時計にはロマンを感じてしまう

私が若い頃には自動巻きの時計はとても高価だった

リューズを指で巻き上げるタイプの時計が主流だった

中学の入学の祝いに祖父から買ってもらったことを思い出す

時計を身につけるということが大人への第一歩という気がしていた

そもそも、時間を意識するということが大人社会への第一歩だと思う

大人になっても時間にルーズな人も多い

仕事が出来るとか出来ないというよりも社会人として信用できない

私はとにか時間と約束を守れない人が嫌いなのだ

集合場所にも可能な限り早く到着するようにしている

人を待つことには耐えられるが待たせることには耐えられない

読者の皆さんは如何だろうか?

そんなこんなで引退を決めていた時計を再び使い始めた


一日に数分も狂ってしまう時計もあるようだ

メーカーの推奨する誤差の範囲は修理の対象にはならないという

ある意味で賭けのような買い物だと思える

自分の言い分をグイグイと主張するクレーマー気質の人はそんな場合にどうするのだろうか?

販売店側の対応気になる

最近はクレーマーには厳しい対応するようだ

楽器店なども同様の流れがあるのだ

使ったケースの不良交換を求めるような非常識な人がいること事実

恥を知らぬ人が増えている

私は買った商品に小傷があっても文句を言わない

使っているうちに多少の傷はつくと理解している

時間の狂いや約束破りは気になるが楽器の傷は気にならない

まったくもって不思議だと思う

人間のツボは千差万別なのだ

「あんまり細かい人には楽器を弾いてほしくないですよ」

行きつけの楽器店の店員さんが愚痴っていた

何となく分かる気がする

総じて、プレイヤーから離れている人ほどハードが気になる

「あれ? こんなところに傷があるけど・・」

「フレットが少し磨り減ってないかぁ?」

「なんかペグのトルクが軽くないかぁ?」

ちょっと面倒臭いのだ

購入前にチェックするのは自己責任

購入後に文句を言うのは恥でありルール違反なのだ

「自宅でじっくりチェックしたんだけど・・」

自宅で何をチェックしたのだろうか?

まさか虫眼鏡でギターの細部をチェックしているのだろうか?

自宅で裏蓋をあけてキャビティ内部の塗装ムラに苦情を言ってきたお客さんがいた

欧米のギターを買ったという自覚がないのだ

そもそも、勉強不足なのだ

ギターなどそんなものなのだ

欧米のギターが雑だと言っているのではない

重きを置くポイントが違うのだ

塗装よりも大事にしている部分があるということ

少しギターが弾けるようになると気づくことも多い

特に某社のギターはかなり作りが酷い

しかしながら音は本物なのだ

細かい事が気になる人には向かない気がする

まぁ、これも何が正解なのか?は難しいところ

時計の話から脱線してしまったが・・・

時計を買ったばかりだがまたまた欲しい時計が見つかった

時計の沼にハマりそうな予感がプンプンなのだ

時計は大人の遊び道具として最高だと思う

調べるほどに奥深い

限定販売という謳い文句にも惹かれる

気づけばスポーツ系のジャンルばかり検索しているのだ

自分の好みにブレはないようだ

少しゴツい感じが好きなのだ

さらにケースのサイズが大きいダイバー系も気になる

機械式の時計に再チャレンジしてみたい気持ちもある

電池式の時計は正確で信頼できるが色気がない

ダメな子ほど可愛い・・

という理屈が時計にも当てはまる気がしている

ゼンマイが一生懸命に仕事をしている様は愛おしい

電池式の時計に肉薄するような勢いで時を刻む様には感動すら覚える

使い方でも時間の進みが変わるという

姿勢の変化にも微妙に反応するという

面倒臭い世界も悪くない

ネックが暴れるギターにも似たような感じ

それを制した時の達成感は心地よい

ストラトのネックもかなり動いた


現在、12年という時を経て不動になった

順反りだったネックも近年は逆反り傾向になった

ロッドに限って言えば帳尻が合ったような印象なのだ

現在はとても安定しているのだ

12フレットで2㎜という数値を維持している

ドラゴンはかなり強いネックだった


購入後に一回だけネックを外して調整した

その後は若干の順反り傾向を維持しているのだ

さらに強いネックは廉価の黒テレ


今年の酷暑でもまったく動かなかった

廉価のギターはとにかく丈夫なのだ

初心者がガチャガチャ扱っても壊れない

そう設計されているのだ

投げても踏んでも壊れない

強度があるのもギターの性能の一つだと思う

繊細が故の愛おしさもあるが面倒臭さがあるのも事実

特にメンテが苦手という人にとっては丈夫なギターも選択肢になる

ギターも時計も大好きなのだ

夢中になれる物があれば生活も豊かになる

趣味の世界は楽し😉 



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ギター上達への長い道のり

2023年09月09日 | 楽器
どのジャンルにも『コレクター』はいる

読者の皆さんは如何だろうか?

私も昔はギターを集めていた時期があった

集めるというよりは興味あるギターを買っていたら結構な本数になっていたという感じ

USA製のストラトを手に入れたことでこの悪い癖が治まった

何となく正解が見えぬままにモヤモヤしていたのだと思う

「俺って何で上手くならないのかな?」

下手な理由をギターに転嫁していた気がする

本家のギターを買ったことで自分が下手だということが確証に変わった

もはや言い訳ができないのだ

この潔い感じが私を成長させてくれた

自身の上達をジャッジできるのは自分自身と近しい知人だと思う

最近はネットなどで反応を感じるということもあるが・・

その多くは『声なきリスナー』であることが多い

やはり、生身の人間の反応くらい良いステージはない

楽器屋さんなども良いステージだと思う

楽器屋さんに集う人は基本的に楽器や音楽が好きなのだ

少なくともダラダラと音楽を聴いている層よりは耳が肥えている

自身の腕前は別として上手いプレイヤーの音を肌で感じることが出来る

上手いプレイヤーの生の演奏は鳥肌が立つ

読者の皆さんもそんな経験をしたことがあると思う

プロとアマを問わず

上手いということに理由や理屈はない

それがギターなのだ

コンピューターが全盛の時代にも関わらずアナログのギターが生き残る意味がそこに見いだせる

逆の言い方をするならば、生身人間が弾くからこそ意味がある

長くギターを弾いていると何を感じる瞬間がある

「俺って少し上手くなったかも?」

これは正解なのだ

何故上手くなったのか?

少し考えてみると良いと思う

一晩寝たら上手くなった・・

値段が高いギターを買ったら上手くなった・・

これは私の経験上ではあり得ない

ギターはそんなに都合が良くはない

ギターはそんなに甘くない

甘くないからこそやり甲斐があるのだと思う

私には二つの転機があった

一つはブルースとの出会い

二つ目はジミヘンとの出会い

ジミヘンと出会ったことでブルースを知ったともいえる

順番は良く分からない

特にアコギを使ったブルースは良い練習になった

エレキ系のブルースとアコギ系のブルースではまったくの別物なのだ

共通している点はコード進行とスケールだと思う

単純だが深いのだ

ギター上達の方法は幾通りもあると思う

読者の皆さんにも最適な方法があると思う

ひとついえることがある

コピー三昧では間違っても上手くならないということ

特に他人とセッションが出来るレベルとはほど遠い

「ちょっとジャムらない?」

という感じで簡易なセッションが開始できることは憧れなのだ

誰とでも何時でもという点ではブルースは共通の言語になる

簡易なコード進行のブルースから誰もが知っている王道の有名曲まである

意外にも私の知り合いにもブルースが苦手という人は多い

それなりにギター経験があるのだがブルースを通過していない

とにかく、兎にも角にもコピー一辺倒という人も少なくない

傍から見ていて少し残念に思えることも多い

ブルースは弾いていて楽しいが飽きるのだ

引き出しが少ないとすぐに飽きてしまう

これは私の経験なのだ

ギター練習にとって最大の敵は『飽き』なのだ

指が痛いなどとは別の次元の話になる

弾いていてワクワクしない

以前は一人でカラオケなどを作って一人セッションなどを行うことも多かった

だんだんと面倒臭くなってしまった

「ひとりでバッキングとソロが弾けないかな?」

そんな欲が出てくるのだ

人間は考える葦・・

考えることで成長するのだ

YouTubeなどの動画サイトでも一人で完結している人を多々見かける

とても楽しそうにギターを弾いているのだ

「なんか楽しそうだなぁ・・」

その多くが『一人完結型』なのだ

その一つのアプローチがブルースという形態になる

正直な話、言葉でその雰囲気をお伝えするのは難しい

興味ある方はYouTubeなどで検索してみていただきたい

とにかく伸び悩む人は別のアプローチを考えることをお勧めしたい

それを考えることすら面倒臭いというのはかなりの重傷だと思える

そんな面倒くさいギター弾きは意外に多いよう感じる

勢い余ってギターや周辺機材を買ってみたものの・・・

部屋のオブジェと化している人は少なくない

潔くギターを売却して他の趣味に移行するという気持ちもない

一念発起してギターを練習するという気力も起きない

とにかく、停滞しているのだ

気がつけば、軽く一年が経過していることも多い

そのうちにギターのメンテも面倒臭くなっていく

弦が錆びてもネックが反っても気にならない

そもそも、ギターに触れないのだから気にならない

久しぶりにギターに触れるものの気分は上がらない

「なんか飽きたわ・・」

一瞬でギターを床に置いてしまう

最近はアコギを弾く機会が多いので久しぶりにエレキを弾いてみた

恥ずかしながら準備が面倒臭く感じられた

弾いていて10分くらいで飽きてしまった


正直な話、少しくらい弾かなくてもエレキは弾ける

すぐに感覚が戻ってくるのだ

逆にアコギの指弾きは少し弾かないと感覚が鈍ってしまう


アコギの激高い弦高に慣れてしまうとエレキの低い弦高が物足りない

弦のテンションもフニャフニャで物足りない

指が欲しているのだ


12フレットで3㎜超えくらいが心地よい


当たり前だがそんな状態で速弾きなど出来ない

その弦高や状態に応じた演奏があるのだ

親指でベースラインを弾き、その他の指で和音と短音(メロディ)を弾き分ける

匠になるとベースラインにも音程をつけて弾けるようになる

一人三役は楽しい

というか楽なのだ


”ギターを弾きたいが楽をしたい・・・”

そんなわがままを満たしてくれるのがブルースなのだ

特にアコギ系のブルースは奥深い

もともとはエレキ弾きだった人がアコギ弾きに転向したプロも多い

亡きランディローズもエレキで天下をとった後でアコギ弾きへの転向を希望した

そんな矢先の悲しい事故だった

天才は短命だと痛感する

言葉は悪いがダラダラと弾いている無能な人は良くも悪くも長生き

素人にプロにもいえる

ジミヘン然り、天才の人生は太く短いもの

それが故に濃密なのだと思う


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