私たちは、それぞれの解釈と信念を持って生きています。
どんなに中立を意識しても、どんなに自然体を意識しても、「私」が見ているものは「私」にしか見えません。
「私」という「個」を通して、「私自身が感じ、解釈している」のです。
「世間体」とか、「皆さんは」とか、そいういったあいまいな主語を使っても、結局はその人自身の想い(思い)から出てくる言葉なのです。
「生き甲斐の心理学」の学びの中に、「体験の解釈」という言葉があります。
同じ現象に出くわしても、個々により、その解釈は違います。
それはなぜか、というと、、人それぞれ(遺伝・環境・老化・自律神経・内分泌・免疫)であるからです。
自分の体験の解釈に囚われるあまり、辛い思いで生きていらっしゃる方もいます。
それをバネに強くたくましく生活している人もいらっしゃいます。
「生き甲斐の心理学」の勉強会では、難しいことを学ぶわけではありません。
扉を開くと、次にまた扉が見えてきます。でも、これは、私だけが見ている扉であって、他の人に同じ扉が見えているわけではないのです。
その自分にしか見えない扉を自分の手で開くことが、この勉強会の意味するところであると考えています。
他者を知ること。
そして、同じものを見ても、こうも違うとらえ方をするのだ、という感動を得ること、または落ち込むこと、それができて初めて、学ぶ意味が見えてくるのだと思います。
他者を知ること。そこから見えてくる自分の内を見ること。
何ができるというわけではありませんが、一人一人の「個性の美」を繋ぐ役をこれからもやっていきたい、というのが私の願いです。
「ガンジスの砂一粒一粒が宇宙をつくっている、」というヒンドゥーの教えは今も変わらず私を支えている考え方です。
先日、NHKで久しぶりに松岡正剛氏に触れ、ふと思ったことを書きました。
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どんなに中立を意識しても、どんなに自然体を意識しても、「私」が見ているものは「私」にしか見えません。
「私」という「個」を通して、「私自身が感じ、解釈している」のです。
「世間体」とか、「皆さんは」とか、そいういったあいまいな主語を使っても、結局はその人自身の想い(思い)から出てくる言葉なのです。
「生き甲斐の心理学」の学びの中に、「体験の解釈」という言葉があります。
同じ現象に出くわしても、個々により、その解釈は違います。
それはなぜか、というと、、人それぞれ(遺伝・環境・老化・自律神経・内分泌・免疫)であるからです。
自分の体験の解釈に囚われるあまり、辛い思いで生きていらっしゃる方もいます。
それをバネに強くたくましく生活している人もいらっしゃいます。
「生き甲斐の心理学」の勉強会では、難しいことを学ぶわけではありません。
扉を開くと、次にまた扉が見えてきます。でも、これは、私だけが見ている扉であって、他の人に同じ扉が見えているわけではないのです。
その自分にしか見えない扉を自分の手で開くことが、この勉強会の意味するところであると考えています。
他者を知ること。
そして、同じものを見ても、こうも違うとらえ方をするのだ、という感動を得ること、または落ち込むこと、それができて初めて、学ぶ意味が見えてくるのだと思います。
他者を知ること。そこから見えてくる自分の内を見ること。
何ができるというわけではありませんが、一人一人の「個性の美」を繋ぐ役をこれからもやっていきたい、というのが私の願いです。
「ガンジスの砂一粒一粒が宇宙をつくっている、」というヒンドゥーの教えは今も変わらず私を支えている考え方です。
先日、NHKで久しぶりに松岡正剛氏に触れ、ふと思ったことを書きました。
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