ダンポポの種

備忘録です

阪神国道駅

2007年01月20日 14時05分22秒 | 備忘録



 私は、小学3年生から6年生までの4年間を、兵庫県西宮市で過ごした。

 西宮市は、大阪と神戸のほぼ中間に位置する町で、「阪神甲子園球場」の所在地としても知られている。実際、社宅の4階にあった私の家からは、南の方向に甲子園球場のナイター照明機を遠望することができた。夜、家族がタイガース戦のテレビ中継に見入っている傍らで、そっとベランダ越しに外を眺めたとき、遠く夜空に浮かび上がるように輝いていたその鮮やかな光の印象は、今でも記憶にはっきりと残っている。

◇          ◇          ◇

 阪急神戸線の特急停車駅-西宮北口で今津線に乗り換えて、ひとつ南下した地点にある阪神国道駅が、私の家の最寄り駅だった。阪急電車の駅なのに〝阪神〟という言葉が堂々と付くので、しばしば話題にあげられる駅だ。
 西宮北口駅が平面交差だった当時、今津線は今津-宝塚間で直通運転をしていたので、阪神国道駅に止まる電車もすべて6両編成だった。810系や1010系といった、神戸線では使えなくなった古い車両が主に活躍していたが、当時最新鋭だった7000系が運用されることもあって、支線ながら、車両バリエーションは豊富だった。阪神国道から西宮北口までの一駅区間を乗るだけなのに、7000系がホームに滑り込んできた日には、私は身に余る光栄というか、もったいない気がした。
 このほか、家の近所には、国鉄東海道本線(現JR神戸線)や阪神電車の線路も通っていて、〝鉄道ネタ〟には事欠かない環境だった。私が西宮で生活したのは4年間だけだったけれど、鉄道ファンの基礎を固める上では申し分のない場所だったと思う。

 私は、同じように鉄道ファンだった、同級生のコニタン(ニックネーム)という子と、学校の放課後によく電車を眺めに行った。
 阪急電車の駅から近かった私の家とは異なり、コニタンの家は阪神電車の線路沿いにあった。従って、日頃からそれを目にする機会が多いためか、コニタン自身はどちらかと言うと阪神派のファンで、阪神の車両形式や運行ダイヤの仕組みに詳しかった。
 当時、阪神には「8000形」という新形式の車両が登場したばかりで、私たちは、それを目当てに幾度となく線路際へ足を運んだ。
 阪神本線の久寿川-今津間が校区内に含まれていたこともあって、ここがお約束の観測場所であった。私たちは、線路際の児童公園で遊びながら、目の前の線路を8000形が通り掛かるのを待った。この駅間は直線区間だったので、接近してくる電車をいち早く確認でき、また、通過した電車をしばらく見送ることもできるという点で都合が良かった。
 もっとも、お目当ての8000形は、新型車両ゆえに1編成だけしか存在していなかったので、そう簡単に巡りあえるものではなかった。うまい具合に「梅田ゆき特急」の8000形に遭遇できた日には、必ず私たちは、それが梅田から折り返してくるのを待った。
「今度は須磨浦公園ゆき特急かなぁ…」
などと、行き先を予想しあうのも楽しみだった。

 いつも阪神電車ばかり眺めていては、さすがに飽きるので、時には気分を変えて国鉄東海道本線を眺めに行くこともあった。甲子園口-西ノ宮間にある、阪急今津線が東海道線をまたぐ鉄橋の下が、これまたお約束の観測場所だった。
 私たちは、線路敷地との境界を示すフェンスに張り付くようにして、目の前の複々線を駆け抜ける電車を眺めた。117系・113系・103系と、それぞれの列車種別に応じて車両形式は決まっていたけれど、国鉄車両特有のモーター音はいつ聞いても新鮮だった。
 時に、快速電車の113系が連結部付近の床下から〝水〟を落としながら走ってくるのを見つけると、コニタンは「垂れ流しや!」と大声で叫び、その箇所を指先で追いながら私にも注意を促した。そして、目の前を列車が走り去ったあと、「いま、顔にかかったがな!」と冗談を言って、互いに大笑いしたものである。

◇          ◇          ◇

 当時にして、すでに都市化が進んでいた西宮だけれど、あれから25年近い時間が流れた現在、街はさらに変貌をとげている。その背景には、阪神大震災からの復興という要素も、もちろんある。
 コニタンとよく出かけた阪神本線の久寿川-今津間は、今では高架構造になっていて、あの頃のように線路際から電車を眺めることができなくなった。また、それと連動しているのか、阪急今津線の今津-阪神国道間もこれまた高架化が完了しており、現在、今津駅界隈では阪急電車も阪神電車も頭上を駆け抜けてゆく風景になっている。
 私が通った小学校は、現在も当時と同じ場所に建っているが、恐らく、今では校区内に踏切がひとつも無い-、ということになっているはずである。
 鉄道趣味に興味を抱く子供が減少しているとも言われるなか、線路際から電車を眺める楽しみが失われてゆくのは、なんだか残念な気がする。


(終わり)



↑最近の阪神今津駅(と言っても今から数年前)。写真奥に、阪急今津駅の建物も見えています。