西宮で過ごした小学生時代の思い出。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
4年生のとき、遠足で「服部緑地公園」(大阪府豊中市)へ行くことになった。
『いつもの遠足と同じで、きっと、貸切バスで行くんだろうな…』
と、私は勝手に予想してみたけれど、意外にも担任の先生は、
「今回は、電車に乗って行きます」
とおっしゃった。
私は、なんだか嬉しかった。
先生の説明によると、学校の最寄り「今津駅」から、服部緑地の最寄り「曽根駅」(阪急宝塚線)まで、全行程を阪急電車で移動する計画だった。ただし、行きも帰りも〝宝塚経由〟の乗車ルートが示され、私は「ずいぶん遠回りして行くのだな…」と内心驚いたことを覚えている。
今津~曽根間を宝塚経由で移動するのは、あまり一般的ではないだろう。西宮北口で神戸線に乗り換えて、十三から宝塚線に入るほうが、断然早い。
…とは言うものの、自分が普段乗る機会がない阪急宝塚線にたくさん(=長い距離)乗れるのは楽しそうに思えたし、遠回りして目的地へ向かうのも面白そうだと思った。要は電車に乗れるのが嬉しかったのであって、私は遠足を心待ちにした。
けれども、遠足当日は文句なしの「雨」となり、服部緑地行きは中止という結末であった。
◆ ◆ ◆
学年が上がって、5年生1学期の遠足では、行き先が再び「服部緑地公園」になった。
或いは、先生方も、新たな行き先を考えるのが面倒臭かったのかもしれない。
再び発表された計画は、今津から曽根までを阪急電車で移動するのは前回と同じだったが、今度は、行きが十三経由、帰りは宝塚経由、という内容になっていた。
これまた興味深い。
すなわち、今津→西宮北口→十三→曽根→宝塚→今津という行程になる。そのとおりに路線図をたどってみれば分かるが、阪急の路線図の中で〝環状〟をなしている部分をぐるりと一周してくる格好になる。
興味深いと同時に疑問に思った私は、なぜ往復とも十三経由にしないのか、担任の先生に尋ねてみた。
先生の返事は、こうだった。
「西宮北口や十三は、駅の規模が大きいから、大勢(団体)での乗り換えが大変であること」
「神戸線の特急電車は混雑するので、団体での乗車が難しいと予想されること」
などの理由から、そもそも十三経由には消極的だという、舞台裏の事情を教えてくださった。
5年生の児童およそ200人が参加する遠足行事なので、担任の先生方も引率上の作戦をよくよく練ったうえでルート決定されたのだろう。
「5年生になって、君たちも体が大きくなったし、片道ぐらい神戸線に乗っても大丈夫だろう!?」(=神戸線の特急電車内の混雑に耐えられるだろう、の意)
…と、先生方はおっしゃって、片道だけ十三経由で移動することになったが、それが「行き(往路)」であった理由は、十三駅での乗り換えの便にあったようだ。
つまり、西宮北口から十三経由で曽根へ向かう場合、十三駅での乗り換えは同一ホームの平面移動で済ませることができる。けれど反対に、曽根から十三経由で西宮北口へ向かおうとすると、十三駅では階段通路を通って別ホームまで移動しなければならない。
帰り(復路)が宝塚経由だった理由は、そこにあったのだろうと思う。
さて、遠足当日は、今度こそ青空となって、予定通りに服部緑地へ出かけることができた。
行程表の通り、往路は十三経由、復路は宝塚経由で、阪急電車の〝環状ルート〟をぐるりと辿った。
心配の種だった往路の神戸線では、児童200名、特急電車に乗り込むことができて、十三までのひとときを頑張って耐えたものである。梅田ゆき特急にとっては単なる途中停車駅にすぎないので、西宮北口では速やかな乗車が、そして十三では速やかな下車が、求められた。引率の先生方には、気が抜けないひとときだっただろうと思う。
服部緑地公園で何をして過ごしたか…という肝心な記憶が残っていないが、往復の電車のことだけはちゃんと覚えている。
(終わり)
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
4年生のとき、遠足で「服部緑地公園」(大阪府豊中市)へ行くことになった。
『いつもの遠足と同じで、きっと、貸切バスで行くんだろうな…』
と、私は勝手に予想してみたけれど、意外にも担任の先生は、
「今回は、電車に乗って行きます」
とおっしゃった。
私は、なんだか嬉しかった。
先生の説明によると、学校の最寄り「今津駅」から、服部緑地の最寄り「曽根駅」(阪急宝塚線)まで、全行程を阪急電車で移動する計画だった。ただし、行きも帰りも〝宝塚経由〟の乗車ルートが示され、私は「ずいぶん遠回りして行くのだな…」と内心驚いたことを覚えている。
今津~曽根間を宝塚経由で移動するのは、あまり一般的ではないだろう。西宮北口で神戸線に乗り換えて、十三から宝塚線に入るほうが、断然早い。
…とは言うものの、自分が普段乗る機会がない阪急宝塚線にたくさん(=長い距離)乗れるのは楽しそうに思えたし、遠回りして目的地へ向かうのも面白そうだと思った。要は電車に乗れるのが嬉しかったのであって、私は遠足を心待ちにした。
けれども、遠足当日は文句なしの「雨」となり、服部緑地行きは中止という結末であった。
◆ ◆ ◆
学年が上がって、5年生1学期の遠足では、行き先が再び「服部緑地公園」になった。
或いは、先生方も、新たな行き先を考えるのが面倒臭かったのかもしれない。
再び発表された計画は、今津から曽根までを阪急電車で移動するのは前回と同じだったが、今度は、行きが十三経由、帰りは宝塚経由、という内容になっていた。
これまた興味深い。
すなわち、今津→西宮北口→十三→曽根→宝塚→今津という行程になる。そのとおりに路線図をたどってみれば分かるが、阪急の路線図の中で〝環状〟をなしている部分をぐるりと一周してくる格好になる。
興味深いと同時に疑問に思った私は、なぜ往復とも十三経由にしないのか、担任の先生に尋ねてみた。
先生の返事は、こうだった。
「西宮北口や十三は、駅の規模が大きいから、大勢(団体)での乗り換えが大変であること」
「神戸線の特急電車は混雑するので、団体での乗車が難しいと予想されること」
などの理由から、そもそも十三経由には消極的だという、舞台裏の事情を教えてくださった。
5年生の児童およそ200人が参加する遠足行事なので、担任の先生方も引率上の作戦をよくよく練ったうえでルート決定されたのだろう。
「5年生になって、君たちも体が大きくなったし、片道ぐらい神戸線に乗っても大丈夫だろう!?」(=神戸線の特急電車内の混雑に耐えられるだろう、の意)
…と、先生方はおっしゃって、片道だけ十三経由で移動することになったが、それが「行き(往路)」であった理由は、十三駅での乗り換えの便にあったようだ。
つまり、西宮北口から十三経由で曽根へ向かう場合、十三駅での乗り換えは同一ホームの平面移動で済ませることができる。けれど反対に、曽根から十三経由で西宮北口へ向かおうとすると、十三駅では階段通路を通って別ホームまで移動しなければならない。
帰り(復路)が宝塚経由だった理由は、そこにあったのだろうと思う。
さて、遠足当日は、今度こそ青空となって、予定通りに服部緑地へ出かけることができた。
行程表の通り、往路は十三経由、復路は宝塚経由で、阪急電車の〝環状ルート〟をぐるりと辿った。
心配の種だった往路の神戸線では、児童200名、特急電車に乗り込むことができて、十三までのひとときを頑張って耐えたものである。梅田ゆき特急にとっては単なる途中停車駅にすぎないので、西宮北口では速やかな乗車が、そして十三では速やかな下車が、求められた。引率の先生方には、気が抜けないひとときだっただろうと思う。
服部緑地公園で何をして過ごしたか…という肝心な記憶が残っていないが、往復の電車のことだけはちゃんと覚えている。
(終わり)