ダンポポの種

備忘録です

どんより日和

2010年01月31日 18時29分33秒 | 日記・雑記


きょうは、冷たい雨の一日でした。
夜が明けてないのか?と思うぐらい、一日じゅう、ど~んよりと、薄暗いままでした。
こんな天気だと、気分もパッとしないです。
どんよりと、憂鬱なまま一日が終わってしまったな…。

早くも1月が終わり、明日から2月やね。
きり良く月曜日から始まる月初め、気分新たにまいりましょう。



トップ記事で…

2010年01月29日 17時51分52秒 | 日記・雑記
↓本日付『京都新聞』の1面です。



トップ記事は「河原町阪急 閉店へ」

京都河原町にある阪急百貨店(→店名は「四条河原町阪急」と言う)が、今年秋にも閉店するとのことです。

驚いたなあ。
河原町の阪急が閉店するなんて、夢にも思わなかったです。
…って、実は、私は河原町阪急をそんなに利用したことがないのですがな。

前に阪急へ買い物に行ったのは、いつだろう?
たぶん、2年前だと思います。

これは阪急に限らなくて、向かい側の高島屋へも久しく行っていません。
いや…、高島屋へは昨年に行ったか…。
それでも、高島屋もやっぱり2年ぶりぐらいの訪問だったし。

そもそも、私は河原町あたりで買い物をすることが少ないんですね。


6300系特急の引退、そして河原町阪急の閉店。
阪急京都線を彩ってきた〝役者たち〟が、思い出に変わっていきます。



どこを走ってる!?

2010年01月28日 22時41分19秒 | 動画・music,音
特急スーパー宗谷1号 - 前面展望 - Part 1



ユーチューブで発見、北海道の特急列車の前面展望動画です。

きれいに映しておられることにも感心しますが、なんと言っても、映し出される光景がすごいですねぇ。
雪が積もって線路が見えていないですが、徐行するわけでもなく、ふつうに走っています。
もちろん、雪に対する備えが十分にできているから為せることですけど。

冒頭のところ、駅を発車して加速していくところとか、「こんなの、へっちゃら!」という感じが伝わってきます。

降り積もった雪だけでなく、前方視界も相当悪いように見えますが、全然スピードを落とさないんやね。
こんなとき、運転士は、どこをどう見て列車を走らせているのだろう…。


私も過去に一度「冬の北海道」へ旅行したことがあります。
もう10年以上前のことになりますが。
どこまで乗っても、車窓は真っ白な世界だったなぁ。



ミ号も〝受験シーズン〟?

2010年01月20日 18時05分17秒 | それゆけスペース
先日は厳しい冷え込みがありましたが、きのうとかきょうは、寒さがグッと緩んでいます。
きょうは「大寒」ですが、暦とは裏腹に、もう春が来たのかな?と勘違いしそうになる暖かさでした。
とりあえず、暖かければ過ごしやすいので、それに越したことはないですが、このあとに〝反動〟がありそうでコワイですね。

◇            ◇            ◇

ミ号が、まもなく車検を迎えます。
納車以来、ずうっと三菱の販売店で定期点検してもらっているので、車検もそこでやってもらいます。
前回の点検のとき、エンジンの何かのベルト部品が劣化しつつある…と言われていたので、今回はそこを交換することになりそう。
あとは、タイヤ!
ずいぶんすり減っており、たぶん、このままでは車検はパスできそうにないです。

どうせ交換するんだし、車検の前に新しいタイヤに取り替えておけば良いんやんな?
また、出費だな…。仕方ない。



↑再掲です。
 同じような画像ばかりで、いい加減、見あきた感じのミ号。
 これは3年前の納車直後に写したもの。現在もそのままの姿で頑張っています。



今年の3月20日は?

2010年01月19日 22時21分10秒 | クルマ

片側3車線のワイドな高速道路-「第二京阪」が、今年3月20日に全線開通するそうです。

昨年の3月20日は「近鉄-阪神」の直通スタートでしたが、今年は高速道路の全通です。
なんだか、そういうめでたい節目に選ばれる日やね。


現在は京都側から枚方東ICまでで終点になっている道路が、一気に「門真」まで到達します。
門真JCTというのが出来て、既存の近畿道と接続されます。

これで、通行台数も増えるかな。
今まで名神を通っていた大型トラックが迂回してきそうやね。
高速バスの新路線もできるかな?


↓「第二京阪」の公式ページ(別窓オープンします)

http://www.daini-keihan.jp/

公式ページをしっかり読んで、ルートとか出入り口を予習しておこう。

話には聞いていましたが、京田辺PA(パーキングエリア)も新規開設されるんやね。
ちょうど松井山手の辺りですが、昨年からずうっと新設工事をやっていましたわ。

京滋バイパスに休憩所(SA・PA)がひとつも無いので、京田辺PAって結構重宝されるのではないかな?



震災から15年

2010年01月17日 17時18分05秒 | 日記・雑記
きょう、阪神大震災から15年の節目を迎えました。

15年かぁ。もうそんなに経つんですね。

あの日、思いもよらない形で、大勢の人々が命を失くしました。
そのとき、私は何をしていたんだったか…?
その記憶は、今でも自分の中に明確に残っています。情けなくなります。
しっかり生きなければ、と思います。

合掌



今朝の『京都新聞』1面です。

↑小沢氏の件がトップに来てしまったな。
 全国女子駅伝も大きく載りました。地元京都で開催される大会なので、これは大きく報じられます。
 …というわけで、震災15年のニュースはコンパクトな感じです。



きのうの晩は、「神戸新聞の7日間」というテレビドラマが放映されていました。
ご覧になりましたか?


◎神戸新聞社の「震災15年ブログ」ページです。(ブログ開設期間は今年1月末まで)

↓別窓でオープンします。
http://d.hatena.ne.jp/shinsai15/


この「震災15年ブログ」のなかで、本日付(2010年1月17日)の記事に、震災直後に書かれた神戸新聞の社説全文が掲載されています。
きのうのドラマの中でも、この社説が紹介されるシーンがありました。
自らもが被災者の立場となった地元記者が、震災直後の混乱のなかで書いたもので、ありのままの思いが綴られています。

↓以下、青字の文は、神戸新聞社「震災15年ブログ」の2010年1月17日付記事のコピーです。

◇            ◇           ◇

昨夜放送されたドラマ「神戸新聞の7日間」をご覧になった方から、「番組内で紹介された社説を読みたい」とのリクエストがありましたので、ブログに転載いたします。


1995年1月20日朝刊1面


「被災者になって分かったこと」


 あの烈震で神戸市東灘区の家が倒壊し、階下の老いた父親が生き埋めになった。三日目に、やっと自衛隊が遺体を搬出してくれた。だめだという予感はあった。

 だが、埋まったままだった二日間の無力感、やりきれなさは例えようがない。 被災者の恐怖や苦痛を、こんな形で体験しようとは、予想もしなかった。

 あの未明、ようやく二階の窓から戸外へ出てみて、傾斜した二階の下に階下が、ほぼ押し潰されているのが分かり、恐ろしさでよろめきそうになる。父親が寝ていた。いくら呼んでも返答がない。

 怯えた人々の群が、薄明の中に影のように増える。軒並み、かしぎ、潰れている。ガスのにおいがする。

 家の裏へ回る。醜悪な崩壊があるだけだ。すき間に向かって叫ぶ。

 何を、どうしたらよいのか分からない。電話が身近に無い。だれに救いを求めたらよいのか、途方に暮れる。公的な情報が何もない。

 何キロも離れた知り合いの大工さんの家へ、走っていく。彼の家もぺしゃんこだ。それでも駆けつけてくれる。

 裏から、のこぎりとバールを使って、掘り進んでくれる。彼の道具も失われ、限りがある。いつ上から崩れてくるか分からない。父の寝所とおぼしきところまで潜るが、姿がない。何度も呼ぶが返事はなかった。強烈なガスのにおいがした。大工さんでは、これ以上無理だった。

 地区の消防分団の十名ほどのグループが救出活動を始めた。瓦礫(がれき)の下から応答のある人々を、次々、救出していた。時間と努力のいる作業である。頼りにしたい。父のことを頼む。だが、反応のある人が優先である。日が暮れる。余震を恐れる人々が、学校の校庭や公園に、毛布をかぶってたむろする。寒くて、食べ物も水も乏しい。廃材でたき火をする。救援物資は、なかなか来ない。 いつまで辛抱すれば、生存の不安は薄らぐのか、情報が欲しい。

 翌日が明ける。近所の一家五人の遺体が、分団の人たちによって搬出される。幼い三児に両親は覆いかぶさるようになって発見された。こみ上げてくる。父のことを頼む。検討してくれる。とても分団の手に負えないといわれる。市の消防局か自衛隊に頼んでくれといわれる。われわれは、消防局の命令系統で動いているわけではない、気の毒だけど、という。

 東灘消防署にある救助本部へいく。生きている可能性の高い人からやっている、お宅は何時になるか分からない、分かってほしいといわれる。十分理解できる。理解できるが、やりきれない。そんな二日間だった。

 これまで被災者の気持ちが本当に分かっていなかった自分に気づく。“災害元禄”などといわれた神戸に住む者の、一種の不遜(ふそん)さ、甘さを思い知る。 この街が被害者の不安やつらさに、どれだけこたえ、ねぎらう用意があったかを、改めて思う。




よびこ会(仮)!?

2010年01月16日 18時53分04秒 | 日記・雑記
きのうの晩、高校~予備校時代からの仲間であるS氏とE氏と、飲みに行ってきました。
時節柄、「新年会」の名目で開催されたものです。
昨晩の集会場所は伏見桃山でした。
午後7時ごろに集まって、近鉄終電の時刻まで、楽しく飲みました。
私のほうはいつもお誘いをいただくばかりで、すみません。おおきに。

このメンバーで集まるのは、昨年6月の新田辺集会以来でした。
これでも半年以上のご無沙汰だったわけやね。
業務が無ければ夜はとことんヒマな私なので、また飲みに行きましょう!

ヤマさんも、ぜひ参加してください。京都まで来てください。飲み会目的で。(←行けるかー!)

◇          ◇          ◇

このメンバーで集まった時のグループ名(ブログ内呼称)を考えておくと、今後のブログ投稿の際にも便利ですね。何か考えよう。

予備校で知り合ったメンバーなので、単刀直入に「よびこう会」で良いんじゃないか?(←もうちょっと、ちゃんと考えようさ)

ちょっと縮めて、「よびこ会」というのはどうか…。

また、面白そうなネーミングがあれば、教えてください。

一応、ブログ内呼称は「よびこ会(仮)」にしておきます。
そのうちに、「Yクラブ」みたいに、当ブログ内に専用カテゴリーを設定しようと思います。



耐寒撮影

2010年01月14日 21時51分54秒 | うちの近所
きょうは、とても寒い一日でした。
今朝はこの冬一番の冷え込みだったそうです。
昼間も風が強く吹いて、とても〝冷たく〟感じました。
なお、京都南部は、寒いばかりで、雪は降っていません。

◇          ◇          ◇

この、くそ寒い中、きょうも新田辺へ出掛けたついでに、「しんたなカーブ」で足を止めてみました。
しかし、あまりにも寒かったので撮影どころではなく、すぐに退散しました。


↓少ないですが、何枚か写したので、貼っておきます。(新田辺~興戸間のカーブ区間で撮影)


↑きょうは、曇りがちな天気でしたが、所々、青空も見えていました。
 けれど、陽光の暖かさは届いてこなくて、冷たい風が吹きまくる一日でした。
 カーブ区間にさしかかろうとしている京都地下鉄10系電車。(国際会館ゆき急行)



↑新型22600系の、奈良ゆき特急。(スズメバチ顔)
 「賢島→京都」運用のあと、京都から折り返して奈良へ向かっているところ。
 この列車は、京都を15時05分に発車する奈良ゆき特急です。
 しんたなカーブを通るのは15時22分ごろ。
 京都から17分でここまで走って来るのか…。やっぱり速いな。
 ちなみに、私は、まだこの形式には乗ったことがありません。



↑京都ゆき特急、30000系ビスタEX。(後打ち)
 こちらは、奈良発→京都ゆきで運用中のひとこまです。
 京都に着いたら、折り返しで賢島ゆきに運用されます。
 この寒いなか、長距離運用ごくろうさまやね。



↑おまけです。
 しんたなカーブのすぐ近くを通っているJR学研都市線。(京田辺~同志社前間に当たります)
 4両編成の木津ゆき。電車の後方にミツマンボが見えています。
 この春から7両化されるそうなので、「4両編成の学研都市線」もまもなく見納めになるのかな…と思います。



昭和末期の光景

2010年01月13日 22時29分12秒 | 鉄 道
またまた寒さが強まってきました。
明日、京都の予想最低気温はマイナス4℃…。
ちょっと、寒すぎるのとちがうか?

◇          ◇          ◇

さて、きょうは古い写真を貼っておきます。


↓どこの駅で写したものだと思います?


↑これ、新田辺駅です。
 京都方面ゆきホーム(3番・4番ホーム)で撮影。
 現在の橋上駅舎ができる前の光景です。
 1986年か1987年の冬に写したものと記憶しています。1月か2月ごろです。
 近鉄電車の塗装変更が進んでいたころで、旧塗装と新塗装が混在していた時期です。
 ホームの西大寺寄りにスロープ&構内踏切があって、改札口へ結ばれていました。なので、電車も西大寺寄りに停車していました。
 急行電車も昼間は4両編成で走っていた頃です。

 プラットホームが粉を噴いたようになっていますが、これは〝砂〟です。
 これを撮影した数日前に、京都南部では珍しい「積雪」があって、ホームも雪で覆われたのです。
 翌朝にはそれが凍結して、ホームがツルツルになったので、駅員さんがスベリ止めの砂をまいたのです。
 その後、雪はとけて消え去り、こうして砂だけが残ったというわけ。



↑同じ場所から、対向ホーム(西大寺方面ゆきホーム)を撮影したものです。
 西大寺方面ゆきホームは、現在よりも幅が狭かったと思います。
 駅舎を橋上化するときに、1番線の線路がちょっと東へ移設されて、そのぶんホームが幅広になったと記憶しています。
 写っている新塗装の車両は、奈良ゆき急行かな?
 塗装の仕方が現行のものとはちょっと違っています。当時は、塗り分けに、いくつかのバリエーションがありましたよね。



冬の田んぼと近鉄

2010年01月11日 18時58分35秒 | うちの近所
きのう・きょうの二日間は緊急業務対応で、仕事に励んでおりました。
もともとの予定では、きょうは業務予定が無いはずだったんだけどな…。仕方ないです。


きょうは緊業終了後、夕方のわずかな時間ながら、新田辺まで行って、線路際にたたずんできました。


以下、画像です。きょう写してきました。
新田辺~興戸間のカーブ区間(しんたなカーブ)で撮影。



↑カーブ区間にある小さな踏切道。




↑太陽が沈む直前に撮影した一枚です。
 車体にちょっとだけ光を受けながら、地下鉄10系電車が京都へ帰って行きます。(国際会館ゆき急行)



↑奈良ゆき急行(後打ち)。
 夕暮れだし、田んぼにも何も植えられていないし…、殺風景です。冬やねぇ。



↑先頭車の正面部分が丸っこい、3220系です。
 この塗装色の3220系って、見かけることが少ない気がします。
 しかし、田んぼの土の色と同じというか…、映えないな。



↑上の画像と同じ場所で写した、夏の様子。(昨年7月撮影。再掲)



↑カーブ区間にさしかかる京都ゆき急行。2両+4両の6両編成。
 先頭寄りの2両が1252系(←と呼ぶそうです。このタイプは形式分類が複雑で、私もちゃんと理解できていない…)。
 運転席の窓下に小さなマークが付いています。青っぽく見えるやつ。これは、近鉄-阪神直通運転のシンボルマークです。
 この箇所にマークが付いているのを見て、私はL/C車(5800系)だと思い込んでいました。
 よくよく考えたら、
 「ん…? 5800系って、先頭車にパンタ付いてたっけ?」
 気づいて良かった。



↑太陽が沈んで、辺りは暗くなってくるし、あんまり楽しくないな…。



↑橿原神宮前ゆき特急。ビスタ。



↑橿原神宮前ゆき急行。6両編成。
 新田辺を発車して、徐々に速度を上げながらこのカーブを通り抜けて行きます。



 おいおい…。また撮影失敗か。
 〝これ〟を写しに行ったのと違うんかい!と、自分でツッコミ。
 しかし、なんで私はこんなに下手なのか…。


またいつか、再挑戦したいと思います。



ならるりえ?

2010年01月10日 21時58分26秒 | 日記・雑記
きょうは、業務で京都市内まで出かけてきました。
久しぶりに、業務服の格好で近鉄に乗りました。

で…、近鉄に乗っているとき、何かの拍子に目に止まったのですが、
こんど奈良で、「なら瑠璃絵」(ならるりえ)というイベントがあるそうです。
自分でも、きょうは何を見てそれに気付いたのかよく覚えていないのですが…、たぶん、駅のポスターだったと思います。
なんとなく目に止まって、
「ならるりえ…って、何だ?」
と思ったのです。


家に帰ってから調べてみたら、この2月に、そういうイベントが行われるみたいです。


↓【参考ページ】
  「しあわせ回廊なら瑠璃絵について」 (奈良県ホームページより。別窓オープンします)

http://www3.pref.nara.jp/hodo/dd.aspx?itemid=32892


『2月の奈良の魅力アップを図るため、LEDなどの照明器具及び電材を使った夜間のあかりの催事を行い、観光振興や地域振興に役立つ事業を開催します。』
という目的で行われるようです。

2月11日~14日までの短い期間ですが、奈良で行われる〝電飾系〟のイベントやね。
これって、バレンタイン・デーを意識した日程なのかな。

ならるりえ、という〝響き〟が、同じ電飾系イベントの何かに似ている気がしてならないです。
こりゃ、間違っても片仮名で書いたらあかんな。

いっそ、全部漢字で書いてしまうのはどうか。

「幸福回廊奈良瑠璃絵」

おおっ、ごっつい名前や…。